第57話:「情けない顔ね」

 闇夜の神宮境内。


 そこでは人間の領域を逸脱し、神の世界へと半歩踏みこんだ者たちの応酬が繰り広げられていた。


 敷石は砕け、塀は吹き飛び、神木は薙ぎ倒される。想像を絶する光景の中心で、男は六万の民を盾に高らかに笑った。


「どうした? 神子というのはその程度かぁ!?」


「笑止」


 真上に吹き飛ぶ神木を足場にして、悠天は逆落としに矛を振るう。清棟は凶悪な笑みを浮かべた。


「また先のように民を殺めることとなるぞ」


「たわけ、方法は幾らでも……ある!!」


 刃が清棟に届く直前、悠天は身をひねり、左手を伸ばす。そして――


「霊術『天岩戸あまのいわと』!!」


 主宰神の霊威を遮る神話の一幕の再現。

 生じた隔離空間に清棟は飲み込まれる。


「む?」


 ここには天児屋根アメノコヤネも、天鈿女アメノウズメも、天手力男アメノタヂカラオもいない。なら、清棟に宿る天照の霊威も少しは抑え込めるはず――だが、


「弱い」


 術式は瞬きする間もなく砕け散る。清棟は一歩たりとも動かない。ただ、余裕の表情で悠天を見つめている。彼は失望を浮かべて口を開いた。


「弱いぞ。これでは蒼天の足元にも及ばぬ」


「此奴め……」


 神子としての並外れた神気と多彩な術式を以てしても、神裔の力の一片を振るう清棟には届かない。圧倒的な力を前にして、悠天は苦し気な笑みを浮かべた。

 そんな彼女に、清棟はふと首を傾げる。


「ふむ、それともまだ私の圧が足りぬか」


「何?」


「逃げるだけならいつでも出来るだろうからな。だが、それでは戦いの気も抜けよう」


 そう言うと、清棟は瞑目して手を広げた。


「何をする気だ……!」


「簡単なことよ。今から私は自分の神気を使わぬ。全て、宇治山田の民草から賄うこととしよう」


「っ!?」


 神気は人間の生命力の構成成分でもある。それを、あらゆる術式の中でも最悪の燃費を誇る天照大神の術式の源泉とするのだ。

 一回の術式で費やされる命は、軽く見積もっても五十は下らないだろう。


 清棟が告げた内容は、大虐殺の始まりを意味していた。


「正気か貴様ぁぁぁっ!!」


「そう、それで良い。そうでなければ、蒼天を討つ予行にすらならぬからな」


 清棟は瞠目し、声を上げる。


「さあ来い悠天!! 忌まわしき神子の力とやらをもっと私に見せてみろッ!!」


 ▼△▼


 轟音鳴り響く神域都市。


 半狂乱で逃げ惑う人の波に揉まれながら、海人は一心不乱に駆ける。

 しかし、仁王丸は見つからない。見つかるはずもない。それはつい先程、他ならぬ彼自身が思い知ったことであった。


 だがそれは諦める理由にならない。この町にいる数万人の命運は、今まさに海人が握っている。


 ――絶対に清棟の術式を解かないと……最悪仁王丸が見つからなくても、俺があの時の力で……


 そこまで考えて海人は首を振る。


「何バカなこと考えてるんだっ!」


 追い詰められると弱気になってしまう。彼の悪い癖だ。しかし、今はそんな弱気に取りつかれている場合ではない。


 必ず彼女を見つける。

 海人はそう誓ったはずだ。


 ――見つからなかった時のことなんて考えてどうする!


 今考えるべきことはただ一つ。

 海人は自分の頬を叩いた。


 ――持てる情報を整理、統合しろ。望む答えはきっとある! 仁王丸はどこだっ!?


 術式範囲はおそらく半径二キロ弱。無策では四時間弱の間に見つけるのは不可能だ。鈴鹿たちの手を借りても依然かなり厳しい。故に、彼は思考回路をフル回転させる。


 ――多分、アイツはまだ術式の範囲内にいるはず……


 そんな海人の直感。というのも、仁王丸の術式はまだ未完成なのだ。術式の対象である清棟から離れ過ぎる訳にはいかない。だが、この推測だけではとても探し出せない。


 ――他に何か手掛かりは……


「ん?」


 そこで彼は気付く。よく考えれば、清棟はわざわざ奈良から三重までやって来て天照の術式を使ったのだ。仁王丸の術式が条件として必須だったとしても、こんなところでやる必要性があるのか疑問である。

 しかし実際、清棟は人目に付く危険を冒してまでこの場所を選んだ。なら、きっとそれ相応の理由があるに違いない。


 そんな彼の目にふと鳥居が映る。なんてことはない、名前も祭神も知らない末社だ。


 ――待てよ、契神術……神と契る術……?


 海人の脳内で何かが繋がる。彼は一つの仮説に思い至った。


 ――神社の存在が大技使用のキーになってるんじゃ……


 ふいに浮かんだ仮説。彼の持ちうる知識では反証も検証も出来ないが、清棟の行動の説明は出来る。


 そして、仁王丸の術式も恐らくかなりの大技。仮説が正しいのならば、彼女はどこかしらの神社にいる可能性が高い。


「……つっても」


 海人は一度立ち止まった。

 契神術は神の力を借りる術。つまり、神とやらと術者の関係性が術の成否に大きな影響を与える。そうなると、使う術に関わる神を祀る社でなければ意味はない。しかし、


 ――仁王丸の術式なんて知らないぞ……


 結局彼にはこれ以上の判断材料がない。


「……結局しらみつぶしかよ……」


 仮説が正しいと決め打ちしても、ここは神域都市。神社の数など軽く百を超える。

 海人は苦し気な表情を浮かべた。


 しかし、彼にやれることはそれだけだ。

 なら、やるしかない。


 その時突如、裂くような悲鳴が海人の耳を突いた。思わず彼は振り返る。


「な……!」


 彼は言葉を失った。そこに広がっていたのは、阿鼻叫喚の地獄絵図。


 片腕を欠損し、うめき声を上げる男。両足がぐちゃぐちゃに砕け、芋虫のように這いずる女。原形も分からぬほどに粉々になった人だったもの。


 いずれも、清棟が受けた傷を肩代わりした人々の成れの果てだ。


「う……ぐ、うぷっ……」


 あまりにもショッキングな光景。海人は吐き気を抑えきれず膝をつく。


「……ぁ、はぁ……人でなしめ……」


 そして同時に、彼は悠天を案じた。

 贄の術式を用いる清棟への攻撃は、全て術式範囲内の人々へと受け流される。それを、悠天は分かっているはずだ。


 となれば、彼女がなんの躊躇いもなく清棟に攻撃を与えるとは考えにくい。

 つまり、それだけ余裕が無くなっているということだ。もしくは、もっと別の異常事態が生じている可能性もある。


「く……、早くしないと……」


 ▼△▼


 悲鳴の響く中、海人は人混みを掻き分けて走った。宇治山田に無数にある神社を片っ端から見て回る――果てしない作業だが、消えた少女を見つけるためにはそうするしかなかった。


「クソっ!」


 しかし、見つかる気配は全く無い。海人が神宮を離れて二時間、今のところ彼の努力は全て不発に終わっている。


 ――見落としとか無いよな……いや、そもそも仮説が間違ってるとか……


 疑心暗鬼に陥りそうになりながらも、彼はひたすら走る。もはや疲労などは気にもならなかった。


 そんな時のこと、


「あれ? ここさっきも通った気が……」


 海人は足を止めて周りを見渡す。やはりどこかで見た景色だ。似たような町並みが続いているとはいえ、店の並びや木の位置まで同じとなると流石に怪しい。


 ――まさか同じ所をグルグル回ってる!?


 海人は別に方向音痴ではない。それに、遠くの景色を目印にすれば、知らない道でも方向は間違えないはずだ。


「そんなバカな……!」


 彼はこれまでと反対方向に走り出す。しかし、しばらくするといつの間にか元いた場所に戻って来ていた。


 ――なんだよこれ……


 何度目か分からない不測の事態。海人は途方に暮れて天を仰いだ。


 その時のこと。ふいに月が雲に隠れた。辺りが闇に包まれる。彼の目には町の灯しか映らなくなり――


「……あれ?」


 少し先の木々の隙間に灯りが見える。さっきまではなかったはずの、微かな灯り。町の灯りではない。神宮の灯りでもないはずだ。


 ――……もしかして仁王丸か?


 そう距離はない。彼は淡い期待を抱いて灯りの方へと駆け出した。だが、


「くっ……!?」


 突然足がもつれ、バランスを崩して倒れこむ。いくらアドレナリンが疲労感を誤魔化していようとも、はっきり言って彼の足はもう限界だった。


 足の裏にはまめができ、ふくらはぎは張りに張っている。太腿も攣りそうになっていた。むしろ今まで動けていたのが不思議なくらいである。


「ざけるな……っ!!」


 海人は今にも切れそうな息を何とか続け、悲鳴を上げる身体にむちを打ち、足を引き摺りながらもその灯りの方へと向かう。


 何度も体勢を崩し、時には倒れこんでボロボロになりつつも、彼は足を止めない。


 そして――辿り着いたのは、荒れ果てた神社だった。


 ただの摂社にしてはかなりの広さ。だが、手入れがされている様子はない。灯籠は崩れ、鳥居にも苔がむしている。

 その鳥居の先に、朽ち果てた本殿があった。扉の隙間から光が漏れている。これがさっきの灯りの正体だ。


 ――あそこに、仁王丸がいるのか……?


 海人は足を引き摺りつつ灯りを目指す。伸びっぱなしの雑草を踏み分け、蜘蛛の糸をくぐり、ただひたすらに少女の行方を求めて。


 きぃ。


 踏んだ階段が軋む。せいぜい四、五段しかない階段が、彼には永遠にも続くように思われた。


 後悔、不安、劣等感、罪悪感、無力感。

 一段一段踏むごとに沸き起こる感情と対峙しつつ、彼は一歩、また一歩と昇っていく。

 ついに海人は、本殿の扉に触れた。


「いるのか? 仁王丸?」


































 それは、衝撃と言うよりほかなかった。


「え…………は?」


 海人には今の状況が理解できない。扉の向こうに広がる空間――そこは、彼にとってあまりに馴染みがあり過ぎる。


 ――なんで……


 いや、理解できないわけではない。


 ――まさか……そんなことが……!?


 信じられなかった。

 頭が、身体が、心が理解を拒絶する。

 なにせ、ここは――


「……俺の……部屋?」


「そうだよ」


「っ!?」


「ここは、アンタの部屋」


 そこには、あどけない笑みを浮かべる人影が一つ。学校の制服に身を包んだ「彼女」は、足を組んで椅子に座っていた。


「にしても情けない顔ね……どした? あたしが話を聞いてあげようじゃないか」


「……お前は……誰だ?」


 海人は声を震わせつつ尋ねる。

「彼女」は、昏いなかにも明るさの混じった宵闇のような双眸で海人の方を見つめた。

 そして、いたずらっぽい表情で口を開く。


「そうね……月詠ツクヨミ。今のアンタには、そう名乗っておくことにするわ」

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