第56話:狂気の沙汰

――葦原千五百秋瑞穂の国は、是れ、吾が子孫の王たるべき地なり。爾るに皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ――


「フフフ、アハハハハハ!!!」


 清棟は手を広げたまま、赤く光る空を見上げて高らかに笑う。皇祖神の御名の下、彼の詠唱は神域都市一体に広がった。


 天壌無窮の詔勅――高天原たかまがはらの主宰神、天照大神が天孫邇邇芸命ニニギノミコトに下した神勅。


 その内容は皇国支配の全権委任。すなわち、高天原からの帝としての承認である。

 清棟は「術式の範囲内において」、名実ともに『神裔』の資格を得た。


「この宇治山田に集まる神羅万象が私の支配下にある。神宮の気脈は全て私の力となる。そして数万の民全てが私の盾となり、糧となろう!! クク、ハハハハハ!!」

 

「この町に人を集めたのはこの為か……!」


 一変した状況。清棟は宇治、山田に溢れる神気を掌握し、さらには集まった人間全てを贄の術式の対象にしたのだ。

 悠天は冷や汗を流しつつ口を開く。


「……それに、あれは『神裔』しか扱えぬ筈の術式……」


「なんでそんなものをコイツがっ!?」


「それが佐伯の術式だからだよ。彼女はよくやってくれた」


 狼狽える海人を見て、清棟は再び高らかに笑った。海人は歯を食いしばり、こめかみを震わせる。

 仁王丸を自分の野望の為の踏み台にした清棟。彼は彼女の思いを踏みにじり、何の罪もない人々を私欲のために弄んだのだ。


「……ざけるな」


「ふむ?」


「ふざけるなって言ってんだよ!!」


 海人は怒りに駆られ、恐れも忘れて前に出た。清棟は微笑みながら彼を見下して、


「何を言うか。私はあの忌むべき一族を上手く使ってやったまで。何故貴様如きに責められる筋合いがある」


「この野郎っ!!」


「待てっ!!」


 あわや飛び掛からんとする海人を悠天が制する。


「其方が出て何になる。ただ死ぬだけぞ」


「くっ……」


 拳を握りしめ、悔しさに身を焦がす海人。悠天はそんな彼の肩を掴み、ふいに不敵な笑みを浮かべた。


「まだ間に合う。奴の術式は不完全だ」


「……え?」


「神裔は天照の表象、そして、天照は太陽の神じゃ。つまり、日の出まであの術式は完成し得ない」


「それって、どういう……!?」


「細かい話は後じゃ! 其方はあの馬鹿者を探し出せ。そして術式を解除せよ。佐伯の術式を解けば、奴は神裔の資格を失う」


「……でも!」


 海人には仁王丸がどこにいるかなど全く分からない。これだけ掛けて見つからなかったのだ。ノーヒントで探し出すなんて不可能に近い。

 それに、彼の時計で現在午前二時前。日の出まで四時間程しかない。

 

「む、無理だ……」


 青ざめながら立ち尽くす海人。悠天は彼の肩を揺すった。


「どうせ他に手はないのじゃ。術式が完成すれば、あ奴は我の手に負える相手ではなくなる。そうなればこの町、いや、皇国全ての民があの男に命を握られることとなるぞ!」


「――っ!!」


「そうなる前に必ず成せ、行け!!」


「……分かった、やるよ、やってやるよ!!」


「ああ行け。此奴は我が食い止める」


 ニヤリと微笑み、悠天はバッと袖を振る。


「ああ、そうじゃ」


 彼女は海人に刀と小箱を放り投げた。


「これは……!?」


「あの娘のものよ。届けてやれ」


 海人は一つ頷いて走り出す。

 参道の闇の中に消えていく彼を見送って、悠天は再び笑みを浮かべた。彼女は琥珀の双眸で清棟を睨んで言い放つ。


「さあ、『神裔』と『悠天』、力比べといこうではないか」


 ▼△▼


 宇治の町のとある酒場。そこに、ひときわ賑やかな店が一つ。


「ガハハハッ!! 嬢ちゃん、ええ飲みっぷりやないか!!」


「ケッ、嬢ちゃんじゃねぇ、鈴鹿御前だ! ナメんなよ!?」


「そうだそうだ!!」

「親分の言う通りだ!!」

「よっ、日本一!!」


 どういう流れか、鈴鹿は地元の男どもと飲み勝負をしていた。周りの客も鈴鹿の子分も盛り上がっている。


「へへ、にしても嬢ちゃん、あんまり見いへん顔やな。どっから来たんや?」


「鈴鹿峠だよ。お前みたいな太ったおっさんには少々厳しい難所だな!!」


「なぁにを!? 俺やって山登りの一つや二つぐらい出来らぁ!!」


「ハハ、面白いこと言うぜ。絶対無理っしょ!!」


「じゃぁ今から行くかっ!?」


 楽し気にやいやい騒ぐ鈴鹿たち。

 そんな時だった。


――!?


 ふいに彼らを、何とも言えない嫌な感覚が襲う。彼らは誰に言われるわけでもなく店の外に飛び出した。


「なんだよ、あれ……」


 鈴鹿は、眼前に広がる光景を見て茫然と立ち尽くす。皆も同じように空を見上げて口を開けていた。


「空が……赤い?」


 信じられない光景に彼女の酔いも冷める。男も怪訝な顔で冷や汗を流していた。


「気持ち悪ぃ……」


 いや、彼が冷や汗を流したのはそういう理由ではない。男はそのまま苦しげな表情を浮かべて倒れこんだ。


「おっさん?」


 彼女は男に駆け寄り、身体を揺する。

 しかし、反応は無い。


「…………え? は?」


 彼は呼吸をしていなかった。

 脈もない。心臓も止まっている。


 彼は、息絶えていた。


「ひ……ひ、ひぃッ!!!!」


 人々は腰を抜かし、あるいは悲鳴を上げ、そして逃げ惑った。立て続けに起こった理解不能の事態。彼らの心を恐怖が支配する。


 その時、鈴鹿の目に見覚えのある少年が映った。


「鈴鹿っ!!」


 海人は息を切らしてへたり込む。


「ど、どうした! てか、なんだあの空はッ!!」


「ハァ……ハァ……あ、あれは……」


 そこまで言いかけて、海人は目の前に人が倒れていることに気付く。


「……彼は!?」


「そいつか? さっき死んだよ。それも、突然な」


 鈴鹿は苦い表情でそう言い放つ。海人は目を見開いたまま固まった。


「どうした……?」


「……ろ」


「は?」


「今すぐ、この町から逃げろっ!!」


 半狂乱になって彼は叫ぶ。清棟の術式の犠牲者を目の当たりにして、彼は平常心ではいられなかった。鈴鹿たちは全く意味が分からず困惑する。


「おい、なんだよ急に? 一体どういう意味だ?」


「説明してる暇はない!! とにかく早く町を出ないと皆あの人みたいになるぞ!!」


「――!!」


 俄かに群衆がどよめき立つ。

 海人は再び叫んだ。


「この町全部が術式範囲だ!! 死にたくなければ早く逃げろ!!」


 人々は訳も分からず着の身着のままで走り出した。だが、その瞬間、


 ドゴン!!


 と、遠くで爆発音が鳴る。


「なんだ!?」


 パニックに陥る群衆、そして海人たち。爆発音は数回鳴り響いた後止んだ。しかし、その方角を見て誰かが叫ぶ。


「は、橋が全部落ちたんじゃねぇか!?」


「っ!?」


 目を見開く海人。なにせこの神域都市は、東を海、西と南を山、北を川に囲まれている。もし本当に橋が落とされたなら、脱出は非常に困難なものとなった。


「マジかよ……」


 海人は頭を抱える。しかし鈴鹿は納得がいっていない。


「説明しろ。お前はあの空が何か知ってるんだな?」


 彼女の問いに、海人は首肯する。


「……ああ、あれは天照の術式だ」


「天照の術式ぃ?」


「この町全部があのイカレ皇子に掌握されてる。気脈も、そして、人の命も!」


 海人は大地を殴りつける。そして、息絶えた男を無念そうな目で見つめた。


「悠さんが今アイツを足止めしてくれてる。その隙に、なんとかしないと……!」


「……そういやお前はなんでここにいるんだ? お前も神子だろ? 何で戦わないんだ?」


「――っ!」


 その問いに海人ははっとする。


――そうだ、取り乱してる場合じゃない。


「……仁王丸を、探さないと」


「あの女を? なんでだ?」


「アイツがイカレ皇子の術式の一部を作ってるからだ!! 仁王丸を見つけないとあの男は倒せない!」


「……なんであの女が絡んでるんだよ?」


「細かい話は後だ! でも俺一人じゃ探しようがない。お前たちにも手伝ってほしいんだ!!」


 だが、鈴鹿は露骨に嫌そうな顔をした。


「つまり、お前は俺たちにこの町に留まれと言ってるんだな?」


 鈴鹿の刺すような視線。彼は今更自分の言っていることの意味に気付く。


 そうだ。今この町は清棟の支配下にある。つまり、さっきの男のようにいつ命が奪われるか分からない状況。

 本来なら山を登ってでも川を泳いででもいち早く町を抜け出したいところだろう。それを引き留めてまで仁王丸捜索を手伝えと言うのは、命を捧げろと言っているのに等しい。


 鈴鹿は海人を睨みつけながら口を開いた。


「で、それは俺たちに何の得があんだよ」


「得って、そんなこと言ってる場合か! この国の未来が掛ってるんだぞ!?」


 だが彼女はそんな海人の言葉を一笑に付し、嘲るような視線を向ける。


「お前、流石に俺をナメすぎだぜ? 皇国の未来なんてどうでもいい。自分の命に比べりゃ大した価値はねぇよ」


「う……」


「俺たちの力が借りたきゃ、費用に見合う対価を提示しな。それが無理なら、誠意を見せてもらわにゃなぁ」


 海人は言葉に詰まる。鈴鹿の言葉は正論だ。だが、彼には与えられる対価などない。海人はどうすれば良いのか分からなかった。


 鈴鹿は苛立たし気に舌打ちをする。

 そして――


「じゃあ言い方を変えてやる。お前はなんでアイツを探したいんだ?」


「…………え?」


「え? じゃねえ。答えろ」


 品定めするような、そんな視線。海人は苦し気に奥歯を噛みしめる。


 ――俺がアイツを……仁王丸を探したい理由? それは清棟を……


 そこまで考えて、彼は首を振った。


 ――違う! そんなの本当はどうだって良い。別にこの国の支配者が誰かなんて、正直興味は無いんだ。そう、俺はただ……


 海人は拳を握り、表情を引き締める。彼は鈴鹿の目を真正面に見て立ち上がって言い放った。


「俺は、仁王丸に謝りたい。そして、アイツを助けたいんだ!」


 鈴鹿は、瞑目する。


「で? 他に言うことは?」


 彼女は海人を睨みつけたまま腕を組んで立っている。海人は息を呑んだ。

 そして――頭を下げる。


「だから、力を貸して……下さい。どうか、どうかお願いします!」


 皇国の神子が、一介の盗賊に首を垂れる、有史以来初めてといってもいい光景。だが今、彼に出来るのはそれだけだった。

 鈴鹿は頭を掻きながらため息をつく。


「……チッ、まあ及第点ってところか」


 彼女は子分たちを見渡す。彼らも手を広げて呆れたような態度を見せた。


 だが、皆どこか晴れやかな笑みを浮かべている。その様子を見て、鈴鹿は大きく息を吸い込んだ。


「よし、お前ら! 神子様のお願いだ!! たまには正義の味方も悪くねぇ、必ずあの女を見つけるぞ!!」


「おぉー!!」


 拳を掲げ、鬨の声を上げる鈴鹿一党。心強い協力者に海人は再び深々と頭を下げた。

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