第55話:天壌無窮の詔勅

「なんじゃ、案外あっさり終わったな」


「――……な!?」


 一瞬の出来事。何が起きたか海人には全く視認できなかった。


 だが推測は出来る。悠天が清棟を蹴り飛ばしたのだ。なんてことはない。神気を乗せ、ただそれをぶつけるだけの一撃だ。


 しかし、あまりに鮮やか過ぎる。海人が一目見て慄然とするほどの強者が、文字通り一瞬で大地の染みとなった。

 一方的な殺戮に唖然とする海人。清棟を屠った悠天は教え諭すような口調で、


「よいか? 悠天が表象する神は八咫烏、そして、かの神の霊威というのは単純じゃ。人を望む目的まで必ず導く、ただそれだけぞ。なら、これを攻撃に転ずるとどうなる?」


「え……」


 海人はしばらく考え込むが、すぐにその答えに辿り着く。


「……つまり、必殺必中の攻撃!?」


 不敵な笑みを浮かべて悠天は首肯した。


 八咫烏の霊威――主宰神の導き。

 それが悠天の権限だ。

 

 シンプル、故に強力。


 搦手は一切通用しない。純粋な力の差がなければ彼女と渡り合うことは出来ない。皇国六神子の一角を担うに相応しい能力である。


「弱くは無かったが、神子を相手に出来るほどでもなかった。彼奴の敗因は、相手の強さを測り損ねたことじゃな」


 彼女は余裕の表情で袖を振る。

 だが――


「その言葉、そっくりそのまま貴様に返すこととしよう」


「!?」


 ふいに飛んできた一言。

 彼女は信じられない程の反応速度で身体を翻し、迎撃を試みるが、


「ぐッ!?」


 横薙ぎの鋭い蹴りを両手で受け、勢いを殺しきれず吹き飛ぶ。そのまま彼女は塀を突き破り、石段で数度弾んで大楠に直撃した。


「悠さんっ!」


 砂煙が辺りを包む。

 その中に、一つの人影があった。


「なん……で?」


 再び訪れた理解不能の状況。目を見開く海人の視線の先には、死んだ筈の清棟が傷一つなく立っていた。


「ほう、受け切るか」


「……この程度で我が倒れる筈が無かろう。じゃが、さっき其方は確かに死んだ筈。一体、何をした?」


 額から血を流しつつ、悠天は小首を傾げて清棟を再び睨みつける。彼は憐れむような笑みを浮かべて悠天を嘲った。


「何を言っている。いつ、私が死んだのだ」


「な――!? ……お前は、悠さんに蹴られて木端微塵に……」


「はて、そんなことがあったかどうか」


 顎に手を当て思い出すような仕草をとる清棟。あくまでとぼけるつもりだ。

 だが、悠天は何かに思い至る。彼女は心の底から見下すような冷たい目で清棟を見た。


「……貴様、それでも神武の後裔か」


「変革に犠牲は付きものだろう?」


「卑怯者め!」


 石畳にひびを入れるほどの鋭い踏み込み。

 再び悠天が視界から消える。


「ふっ!!」


 大地を穿つ強烈な踵落とし。

 それを清棟は半身で避ける。


「面白い! なら」


 悠天が手を伸ばす。


その先に現れたのは矛だ。


「消え失せよ!!」


 凄まじい膂力で彼女は矛を振るう。その剣筋は空を裂き、衝撃が木々を揺らす。だが、


「無駄なことを」


 彼女の矛は見えない壁に阻まれて清棟には届かない。しかし悠天は更なる攻撃を加える。物理攻撃を阻む結界を、彼女は力業で叩き割りにかかる。


「チッ……」


 清棟は即座に悠天と距離を取った。彼女は直ちに追撃。矛を横薙ぎに払う構えを見せる。そして――


「契神「火雷命ホノイカヅチノミコト」:御業『黄泉雷炎よもつらいえん』!」


 禍々しい漆黒の炎とともに、紫の雷撃が放たれる。伊弉諾イザナギを追う伊弉冉イザナミの怒り、それを体現する火雷の霊威が清棟に襲い掛かった。


「それで終わりと思うなよ」


 爆炎を縫い、悠天は一飛びで距離を詰める。背丈よりも長い矛を物凄い音を立てながら振り回し、悠天は斬撃を放った。


 術式など使わない。ただ、彼女の純粋な膂力が生み出す風の刃が、白い境内に大きな爪痕を残し確実に清遠を追い詰めていく。


「っ!」


 ついに清棟の防御結界に亀裂が入った。

 彼女は、矛を大きく振りかぶる。


「盟神「賀茂別カモワケ雷命イカヅチノミコト」:御業『神山こうやま天孫降臨てんそんこうりん』!!」


 雷神にして豊穣神、賀茂社の一柱の具現。闇夜の境内を稲光が照らす。そして、数ミリ秒後に轟く例えようのない雷鳴。


「……やったか!?」


 海人が叫ぶ。悠天の放った雷神の一閃。その落下点に立つ清棟は、消し炭すら残されていない――筈だった。


「流石は神子。忌々しい……」


 彼は、苛立たしさを露にして悠天を睨みつけている。それも、純白の装束に汚れ一つないまま。


 彼は首を傾げ、悠天、そして海人を見つめて低い声で言った。


「貴様ら神子のせいで、私が一体どれだけの煮え湯を飲まされたと思っている」


 怒りを抑えるような清棟の声色。海人はその態度にうすら寒いものを覚えながら、無意識のうちに後ずさる。悠天は息を切らしながら清棟を睨み返した。


「何を言っているのか分からぬ」


「分からぬだろうなぁ。持つ者に、持たざる者の苦痛は分からぬだろうよ」


 怒気のこもった声で、清棟はそう語る。悠天はため息をついて冷ややかな目を向けた。


「それが貴様の魂胆か。呆れるほど矮小な男よのう」


「何?」


「そんな下らぬ意地のため、臣下の命を犠牲に生き恥を晒すか」


 悠天の言葉に、清棟は首を傾げつつ青筋を浮かべる。だが彼女はなおも嘲るように、そして蔑むような目で続けた。


「まさか、貴様が神産霊かみむすびに見込まれることなぞあるまい。なら、もっと簡単な仕掛け……にえの類か? 稲田姫いなだひめか、弟橘姫おとたちばなひめかは知らぬがな」


 忌々しげに語る悠天。海人に細かいことは分からない。だが、彼女の言わんとすることは分かった。


 ――まさかアイツの術式って、部下の命を身代わりにした攻撃の無効化!?


 海人は慄然とする。他人の命を使い捨てにする、血も涙もない冷酷な術式だ。


「……お前は、上皇の非道に心を痛めていたんじゃないのかよ」


 彼は清棟を睨みつける。清棟はそんな彼を見てと息を吐き、凶悪な笑みを浮かべた。


「ああ、そうだとも。命は有用に使わなければならない。それを無暗に散らすなぞ愚策も愚策、父帝はそれを分かっておらぬのだ」


 人の命をあくまで駒としか捉えない清棟。為政者の風上にも置けぬ男だ。


「……腐っても暴君の皇子か」


 苦し気な表情を浮かべて目の前の男と対峙する悠天。彼女はため息をつき、口を開いた。


「だが、その術式は相互の了承が必要。そして、親王の家人なぞ数は知れている」


「なら、お前の手で全て殺すか?」


「貴様が生む惨劇を鑑みればやむを得ぬ犠牲……観念せよ」


 悠天は再び矛を構える。対する清棟は一つ息をつき瞑目した。


「やれやれ。では、これならどうかな」


「――っ!!」


 突如、清棟の立つ場所を起点に術式陣が構築される。海人も、そして悠天すら見たことがない程の難解で複雑な術式。そして、海人にも分かるほどの異常な気脈の変化。

 目を見開いて動けない海人たちを尻目に、清棟は天を仰いで手を広げ、高らかに声を上げた。


「契神「天照大御神アマテラスオオミカミ」:御業『天壌無窮てんじょうむきゅうの詔勅しょうちょく』!!」

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