第53話:闇夜の皇大神宮

 海人の時計で午前一時過ぎ。

 草木も眠るような夜更けにも関わらず、宇治の町は煌々とした灯りに包まれていた。

 そんな喧騒を抜け、彼は五十鈴いすず川に架かる橋を渡る。その向こうは皇大神宮の境内。正真正銘の、神域の中の神域だ。


「……っ」


 橋を渡ると空気が変わる。海人にも分かる程の濃密な神気が溢れているのだ。高天原より八咫鏡を介して流れ出るという神宮の神気。彼は気を引き締めた。


 ――それにしても、人が全くいない……


 海人は目を細める。こんな真夜中に境内へと立ち入る人間はそうはいない。

 だが、度が過ぎているのだ。町の賑やかさと比べると、皇大神宮の静けさは不気味にすら感じられる。思わず足がすくんだ。


 ――でもそれを気にしてる場合じゃない。


 彼は雑念を振り払うように首を幾度か振ると、再び歩き始める。


 ▼△▼


 灯篭の灯が朧げに参道を照らしていた。荘厳な雰囲気。そして、漂う独特の緊張感。


 時折木々から鳥が飛び立ち、得体のしれない獣の鳴き声が響く。そんな音に海人は毎度のごとく驚き、肝を冷やした。だがぐっと堪え、着実に歩みを進めていく。

 

「……」


 神官たちは名目上中立、しかし実際は陽成院派寄り――悠天の話ではそうである。つまり、境内で出会う人間はほぼ全員敵方といって良い。

 ほんの一瞬も気が抜けない状況。その中で彼は仁王丸を探さなくてはいけない。しかも、皇大神宮は皇国祭祀の中核だけあってかなり広大な敷地を有している。普通に一周するだけでも一苦労だ。


 ――本当に見つかるのかよ……


 海人の心は折れそうになるが、引き返す選択肢はない。彼は神官たちの影に怯えながら、それらしい建物を見て回る。

 しかし、見つかる気配はない。


 ――どこにいるんだ……?


 疲労で回らなくなってきた足に鞭を打ちつつ、海人は参道を進んでいく。

 そして本殿を目前としたその時であった。


「――!?」


 海人は足を止める。


 ――なんだこの気配は!?


 海人は耳を澄まし、固唾をのんで灯篭の照らす闇の先に目を凝らした。


 風に揺れる木の葉の音の他には、何も音はしない。闇の中にも、人影は見えない。


 なのに、確かにそこに「誰か」いる――

 それだけははっきりと感じられた。


「……っ」


 海人は動かない。

 いや、動くに動けない。


 気配だけはある不明の存在は、一言も発さず、姿も見せず、足音も立てない。


 ある種の膠着状態。

 海人は意を決して口を開く。


「だ、誰かいるのかっ!?」


 反応は無い。恐る恐る進む海人。


 ――何なんだ一体……


「……ん?」


 彼は何かに気付いて、虚空に手を伸ばす。その瞬間――


「なっ!?」


 ピキッ、という音とともに、空間にひびが入る。亀裂に巻き込まれるような感覚に見舞われながら、海人は大地に尻餅をついた。


「ッてて…………これは!?」

 

 砂煙の舞う闇夜の伊勢神宮。

 砕ける空間の隙間から、ため息が漏れた。


「……あっさりと見つかってしまったな」


「!!」


 ふいに現れる人影。冠に神官のような真っ白の装束。そして、気だるげな翡翠の双眸。


「お前は、誰だ……?」


「清棟。陽成院第五皇子、二品刑部卿宮清棟親王だ」


「なっ!?」


「再臨様。遠路はるばるよくぞいらした」


 穏やかな笑みを浮かべて、清棟は告げる。海人の頬を冷や汗が伝った。この旅で幾度となく感じた陽成院派の気配。それが、最悪のタイミングで目の前に現れたのだ。


 ――陽成院の皇子、だと……!


 海人には分かる。間違いなく目の前の男は強い。彼のまとう雰囲気が、嫌でも海人にそう思わせる。


 ――俺が戦える相手じゃない……ここは退くしか……!


 弱気な考えが脳を支配し、海人はじりじり後ずさる。

 そんな時、ふと清棟が口を開いた。


「おや、其方は従者を探しに来たのではないのか」


「…………………………は?」


 清棟の言葉で海人の足が止まる。海人が危険を冒してまでここに来た目的。それを何故この男が知っている?――その答えなど、海人には考えるまでもなかった。


「……仁王丸に何をした」


「はて、何のことやら」


「とぼけるなっ!! アイツは今どこにいる!? 答えろッ!!」


「嫌だと言ったら?」


「ッ!!」


 拳を握りしめる海人。まともにやりあっても勝負にならない。それは分かる。だが、ようやく掴んだ仁王丸の足跡。ここで離すわけにはいかない。


 ――考えろ! 何か良い手はないか……!?


 そこで海人は一つ思い至る。相手は自分を再臨と言った。なら、勝機はそこにあるのではないか。

 彼は先日の一件、その最後に自分が使った異能を思い出す。


 ――感覚は覚えてる。でも……


 反動が大きすぎる。それに海人自身、あの力で何が出来るのかほとんど把握していない。いま使うのはあまりにリスキーだ。


 ――ただ、他に手は……いや?


 そこで気付く。再臨の神子は謎に包まれた存在。なら、能力も脅威度も相手にとっては未知数のはず。つまり、再臨という立場を活かせば何か出来るかもしれない。


 ――ハッタリを利かせばワンチャンあるか……?


「黙り込んでどうした、再臨の神子様よ」


 嫌味な笑みを浮かべる清棟。海人もそれに応えて無理に笑って見せる。

 彼は賭けに出た。


「いや? ただ、随分余裕こいてんなぁ」


「何?」


「俺は『再臨』だぜ? その気になれば、お前からアイツの情報を無理やり奪うことも出来る。なのに、こうやって聞いてやってんだ。大人しく口を割った方が身のためだぞ」


 ほとんど嘘だ。しかし、海人は必死に余裕を装う。まるで自分が清棟にとって未知の脅威であるかのように必死で演じ、身体の震えを抑える。


 ――吉と出るか凶と出るか……


 固唾をのむ海人。目を伏せる清棟。事態は再び膠着状態に陥った。


 そして――清棟は袖を振る。清棟に向かって収束する神気。周囲の気温が下がるような感覚がもたらされ、それに続いて空気が揺れる。術式発動の予兆。


「別に其方を殺めるつもりは無かったが、気が変わった」


「ひっ!!」


「契神:磐余彦命いわれひこのみこと:神器『布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ』」


 闇夜の神宮に響く詠唱。彼の手に現れる光剣。高天原最強の軍神が、毒気に沈む始祖の帝に与えた霊剣。皇国建国の礎となった神の意思そのものを清棟は振りかぶる。


 海人は、判断を誤った。


「死ね」


 刹那の無音。それに続く衝撃。

 ゴゴォォォォォン!! と、空間全体が揺さぶられる。巻き上がる砂煙。揺れる木々。振り下ろされる純粋な破壊力。

 全てがスローモーションに見えた。


「――ぁ」


 明確な死が、すぐそこまで迫っている。


 もう、身体が動かない。頭も回らない。思考も、感覚も、視界すらも真っ白になって――




























「じゃから言ったであろう。止めておけと」


「!!」


 突如飛び込んできた声とともに、神の閃撃は霧散する。

 不愉快そうに眉を吊り上げる清棟。取り戻される海人の五感。彼らの目に映ったのは深緑の艶やかな長髪。そう――


「悠さんっ!!」


「あの娘は馬鹿じゃが、其方も大概じゃのう。ほれ、立てるか?」


 不敵な笑みを浮かべて、彼女は海人に手を差し伸べた。

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