第52話:消えた少女と導きの社

「はっ……はぁっ……」


 煌々とした明かりが照らす夜の町。上機嫌な人の波に呑まれながらも、少年は少女を探して駆け抜けていく。


 眠らぬ山田の門前町。そこに溢れかえる群衆から、人一人を探し出すのは困難。いや、不可能といって良い。

 だが、だからといって諦めるという選択肢は決して浮かんでこない。とめどない感情に突き動かされるまま、海人は走り続ける。


 己の引き起こした失態を取り返そうとする焦燥感。自分の行いに対する後悔、そして罪悪感。さらには、説明のしようのない使命感が彼をそうさせるのだ。


――どこだ……どこにいるんだ!?


 しかし、いくら心が逸れども無理なものは無理。一人で探すには広大過ぎる町。紛れてしまうのには十分すぎる喧噪。ありとあらゆる要素が彼を彼女から遠ざける。


 土地勘などない。地理も分からない。もちろん居場所に心当たりなどない。

 だから、ただ我武者羅に走る。彼は人の波に押されつつ、一心不乱に少女を探した。


 極めて非効率なやり方だ。

 だが、他に取れる手段がない。


 幾度も同じような光景が目の前を過る。今自分がどこにいるのかすら分からなくなってくる。


「…………畜生」


 走り続けて早二時間、海人はいつの間にか元居た宿の前まで戻って来てしまった。無論、彼女は帰って来ていない。


「くっ!!」


 無念さが募り、悔しさに唇を噛む。


 自分より年下の不憫な少女。この世界に来てすぐ、命の危機を救ってくれた恩人。


 そんな彼女の力になれず、それどころか追い詰めてしまった。その事実が海人の心に暗い影を落とし、針で刺すように心を痛めつけ続ける。


 常人ならここらで諦めてしまったかもしれない。だが、この世間知らずでお人よしの少年にそんなことは不可能だった。


「探さないと……」


 海人は再び走り出す。今度はさっきとは逆の方向。山田ではなく、宇治の方へ。


 ――いや、待てよ。


 海人はふと足を止めた。辛いことがあったとき、一人になりたいとき、自分ならどういうところに行くか。それを考えてみる。


 ――人混みに混ざることで、気を紛らわせる人間もいるかもしれない。だけど……


 恐らく彼女は自分と根は同類の人間。

 そういう妙な確信が海人にはあった。


 ――俺なら誰もいない場所がいい。そして、悩みの原因から遠く離れた場所が……


 つまり、探すべきは町ではなくその周辺。

 それも、山田から離れた場所。


 その上、彼女は生真面目な性格だ。それはこの世界に来てからの二週間で、海人は痛いほど思い知っている。

 そんな生真面目な彼女が、完全に任務を放棄して帰ってしまうということは考えにくい。きっとまだ、この神域都市の中に留まっている。そう海人は確信していた。


 ――やっぱり、可能性が一番高いのは宇治の郊外か……


 道は知らない。だが、方角は分かる。遠くに見える皇大神宮の森の方。町の明かりの影となって、夜空に象られる黒い影の方角だ。


「……よし」


 海人は再び駆け出した。

 恐らく、距離で言えば二キロもない。走れば三十分と掛からないだろう。

 山田の町を抜けて、なるべく人のいない方へ。もうすっかり夜は更けてしまっている。


 町の外は、闇そのものだった。

 街灯などあるはずがない。


 現代社会の都市での生活に慣れ切った海人の想像の上を行く夜の闇が、町の郊外を包み込んでいた。ただ、月明かりがわずかに雲間から弱々しく差してくるばかりである。


――暗すぎて何も見えねぇ……


 海人はポケットに入っていたスマートフォンの電源ボタンを押してみるが、なんの反応もなかった。当然だ。スリープ状態でもこれまで電池が持つはずがない。

 結局、何の灯りも無しでこの暗闇の中を行かなくてはならなかった。

 これでは仁王丸の姿など探しようがない。


 だが、海人は思う。


 ――多分、この辺りにはいない。


 なんの根拠もない。はっきり言ってただの勘。だが海人はそんな勘に従い先を目指す。


 ――もう少し明るくて人気のない場所……


 そんな場所はないかと考えてみる。


 ――公園……は無いよな


 辺りを見渡しながら、自分なら立ち寄るであろう場所を探す。

 しかし、見当たらない。彼の目に映るのは遠くに見える町の灯り。そして、月明かりがわずかに照らす、闇の中の田園風景だけだ。


 いよいよ探す当てがない。


 もしかしたら、自分の考えは全て外れているのではないか。彼女はもうこの町にはいないのではないのか。転移術式や変装の術式を使って、完全に自分たちの元から消えてしまったのではないか――


 海人の心にそんな不安が過る。もし本当にそうであれば、いよいよ見つけることなど不可能だ。


「……でも」


 今仁王丸を見つけなければ、きっと後悔することになる。何一つ分からない状況の中、海人にとってそれだけは確定した未来であるかのように思われた。


「どうすれば……」


 途方に暮れ、海人は天を仰ぐ。だが、何も思い浮かばない。彼は再び足を進める。


▼△▼


 しばらくして、彼が辿り着いたのは猿田彦神社だった。皇大神宮を目指すなら、どういうルートを辿ろうと必ず経由することになる導きの神の社。神代より代々猿田彦の末裔が祭祀を執り行う由緒正しき社だ。


 現在海人の時計で午前1時前。参拝客など一人もいない。いるのは彼くらいしか――


「あら? なんかボロボロじゃねえか。どうした?」


「鈴鹿!?」


 突然の呼びかけに海人はびくりと肩を震わせる。そういえば、彼女たちとは明日はここで落ち合う予定であった。


「いや、まあ……色々」


「はぁ?」


 不思議そうな顔で首を傾げる鈴鹿に、海人は気まずそうな顔で目を逸らす。


「話変わるけどさ、あの女はどうした?」


「変わってねえよ!」


 声を荒げる海人。鈴鹿はどこか楽しげに、


「ははーん。さては喧嘩したな?」


「……」


「まあ、黒髪の姉ちゃんの方は結構不満が溜まってたっぽいし、緑のやつは鼻につくし、お前はなんか頼りないしでそろそろ揉めるかと思ってたぜ」


「ぐっ……」


 鈴鹿にすら分かっていた仁王丸の不満。気付けなかった自分を、海人は再び責める。


「俺は……全然駄目だ」


「まあ、そんなに落ち込むなって。で、差し詰めお前は、出てった黒髪を探して走り回ってたってとこか?」


 ピタリと言い当ててみせる鈴鹿。海人は観念したように息を吐いた。


「お前すげえな……まさにその通りだよ。でも、どこにいるか全然分かんねえ……」


「ほーん。成る程なぁ」


 鈴鹿は顎に手を当て思案する。

 そして、しばらくした後、


「もしかして、一人で神宮まで向かってんじゃね?」


「はぁっ!?」


「いや、勘だが……お前ら神宮に用があんだろ? なら可能性はあんじゃね?」


 盲点だった。意地でも計画を成功させたいのなら、当然取るうる行動。なのに、思い付かなかった。

 いや、思い付いたのに排除したと言った方が良い。海人は彼女がそこまで無鉄砲だと思わなかったのだ。今も半信半疑どころか二信八疑くらいである。

 しかし、他の居場所は思い付かない。なら、彼が取るべき行動はただ一つだ。


「ありがとう!」


「お、おいっ!」


 海人は走り出す。目指すは伊勢の最奥部にして皇国祭祀の中核、皇大神宮。

 彼にとっては、恐らくこれまでの人生で最も長い夜が始まろうとしていた。

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