第44話:鈴鹿関突破作戦

 明朝土山を出発してから数時間後、海人たちは山の中にいた。雨が降ったのか、かなり地面がぬかるんでいる。


「うへぇ……」


 道なき道を行く海人の靴は泥にまみれてしまっていた。一足しか靴を持ってきていない彼には地味に痛い。

 苦虫をかみつぶしたような表情のまま、海人たちは自称鈴鹿御前たちに従って渋々足を進める。そんな時、


「お?」


 ふいに視界が開ける。

 崖とまではいかないが、かなり切り立った尾根沿いの斜面へと彼らは辿り着いた。


 霧の間から見え隠れするのは、遠く見える谷、その間にある鈴鹿関。そこから広がる平野。そして――


「……なんだあれ!」


 目を見張る海人たち。視線の先にいるのは、終結した陽成院派と思しき大軍勢。数は軽く五千を超えるであろう。

 だが、御前一党は別に慌てる様子はない。


「前より増えてんじゃねえか」


「まあ、俺たちにかかりゃあんなのハリボテよ」


「なんたって相手にする必要ねえからな」


 へらへらと気の抜けた笑みを浮かべながら、そんなことをのたまった。彼女らは慣れた足取りで軽々と歩みを先に進めていく。


――大丈夫か?……てか、ここ行くのかよ……


 斜面沿いの湿った岩の上の道なき道。足を滑らせれば谷底まで一気に滑落する。右側十数センチ先は急斜面。谷の下までは何メートルあるのだろうか。霧が掛って全く見えない。海人は引きつった表情を浮かべる。


「……あっ」


 ふとつま先に触れた小石が弾んで、転がって……谷底に消えた。


「おい鈴鹿ご……いや鈴鹿! 他にもっと安全な場所なかったのかよッ!!」


「あるわけねえだろ。だから唯一の抜け道なんだよ」


「道かコレ!」


「うッさいなぁ! 奴らにバレんぞ!?」


 大軍勢の方を見やって、自称鈴鹿御前改め鈴鹿は不機嫌そうに口を尖らせる。不満ではあるが正論なので、海人は渋々口を閉じた。


「とりあえず、ここを進んでいけば……」


 だが、彼女はそこまで言いかけて口を閉じる。そして、体を前にせり出し目を細めた。


「何だ?」


 一同が不思議そうに鈴鹿を見つめる。

 彼女は何かに気付き、先を行く子分たちを制止した。


「待て」


 全員に緊張が走る。

 皆、鈴鹿の見る方を睨みつけた。数秒遅れて、海人もようやくその事態に気付く。


「……マジかよ」


 向こうの尾根側の道。距離にして一キロ有るか無いかのところに人影がある。

 それも十や二十ではない。百単位の人間が集まっている。ただの村人の装いではない。


 ――陽成院派!?


 不測の事態。

 一行は俄かに慌ただしくなる。


「なんでこの道にも人がいるんだ!?」


「どうしやす?」


「どうするも何も、迂回するしか……」


「迂回ってどこを?」


「……っ!」


 道が塞がれている。

 彼らは関破りをする人間を絶対に逃がすまいと、こちらにも人員を割いていたのだ。


「ど、どうしましょう!? 引き返します?」


 海人は頬を伝う冷や汗を拭いながら、一番落ち着いていそうな悠天に尋ねてみる。

 だが、彼女は呆れるような表情を見せた。


「随分気弱じゃのう」


 そして、手を額に当てて向こうを眺め、


「数は二百前後……じゃが、えらく固まっておるな」


 そう呟くと、今度は一行を見渡してふむ、と頷いた。


「此方は十六人……余裕じゃな」


「まさか戦うつもりか!?」


 狼狽した様子で叫ぶ鈴鹿。しかし、悠天は彼女を一笑に付す。


「馬鹿か」


「え?」


「昨夜は雨が降っておったようじゃな。なら、山崩れに気を付けねばならぬ」


「……それは、どういう?」


 悠天はニヤリと笑う。そして、今度は流し目で仁王丸を見た。


「娘、再臨は任せたぞ?」


「は?」


 海人に嫌な予感が走る。

 その、直後。


「ふっ!!」


 悠天は大地を強く踏みしめた。接地点から亀裂が走る。その亀裂が新たな亀裂を生み、目の前の斜面一杯に広がっていって――


「なっ――!!!!」


 物凄い音を立てて地滑りが起きる。陽成院派の兵が崩落に巻き込まれてゆく。

 だが、他人事ではない。海人たちが立つその地面も、嫌な音を立てて揺らぎ始める。このままでは海人たちも巻き込まれてしまうだろう。その刹那、


「おわッ!」


「えっ!?」


 ふいに悠天が海人を仁王丸の方へ突き飛ばし、二人は空中へと投げ出された。


「其方らも飛べっ!」


「はぁ!?」


 悠天は鈴鹿たちにそう叫ぶと、時を同じくして跳躍する。その時、悠天は何かに気付いて笑みを浮かべた。


「……なるほど、僥倖」


「はぁッ!?」


 全員の理解を置き去りにして、悠天は空中で身を翻すと札を撒く。淡い光が一行を包んだ。微かな独特の浮遊感、海人にはこの感覚に覚えがある。


「め、滅茶苦茶だあああぁぁぁっ!!」


 そんな海人の叫びは、山崩れの轟音にかき消されていった。


 ▼△▼


「うわぁッ!!」


 二転三転する視界。何も分からないまま、海人は顔から草むらに墜落した。鈴鹿たちもその辺に転がっている。


「……ってて」


 悠天は山もろとも敵兵を蹴散らし、転移術式を強行発動。どことも知らぬ地へと一行を飛ばしたのだ。


「ふッ、ふざけるなっ!!」


「死ぬかと思ったわ!」


「あれが一番手っ取り早いであろう?」


 華麗に着地を決めた悠天は、自慢げな笑みを浮かべている。悪びれる様子は全くない。


「……いい加減にして下さいよ……」


 目を回した様子の仁王丸が、頭を押さえてふらつきながら呟いた。

 見たところ全員無事……なのかは微妙なところだが、一応生きてはいる。悠天の咄嗟の行動は上手くいったということだろう。


「ここは……どこだ?」


「す……鈴鹿川だな。はぁ、はぁ……は、半里ほど飛んだか?」


「っていうか転移出来たじゃないですかッ!? なら最初から」


「偶々出来るようになっただけじゃ。恐らくあ奴らが術式阻害の本体だったのじゃろう」


「なっ……」


「まあ、此奴らに貸しを作らんで済んだ。そう思えば実に運が良い。フハハハハ!」


 悠天は鈴鹿たちを眺めてそう言い放った。無茶苦茶な理屈である。海人は不満を込めて悠天を睨んだ。また、彼女を憎らし気に睨むのは海人だけではない。


「ふざけんな! お前が山を崩したせいで帰れねえじゃねぇか!」


「知らぬ」


 ばっさり切り捨てる悠天。

 鈴鹿は半分涙目だ。


 ――すげぇ気の毒……


 海人は鈴鹿一党に憐みの目を向ける。鈴鹿関を越えるまでが取引だったが、もはやそれどころではなくなってしまった。


「……いっそ、一緒に伊勢まで来るか?」


 海人は鈴鹿たちに同行を誘ってみる。

 しかし、反応はあまり良くない。


「伊勢ぇ? 何しに?」


「さぁ?」


「さぁ? じゃねえ!!」


 叫ぶ鈴鹿。仁王丸は冷ややかな視線を彼女に送ると、腕を組んで思案してみる。


「…………まあ、何かの役には立つか」


「立つか?」


「立たんことはないじゃろう」


「勝手に話を進めるんじゃねぇ!!」


「うるさい、ちょっと黙って」


「ふっざけんな!!」


 かくして、鈴鹿たちの同行が決まった。旅は道連れ世は情け、一行は伊勢へと進む。まだ道は長い。

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