第43話:鈴鹿峠の女盗賊

「どんな術式じゃ!?」


「だから術式じゃないって!」


「嘘を申すでない! 術式無しで鉄の塊が空を飛ぶはずがなかろう!」


「それは航空力学が!」


「よく分からぬ言葉を使うな!」


「何してるんですか……」


 ふと開いた襖。部屋に響いた銀鈴のような声。呆れたような表情で、浴衣姿の仁王丸が立っている。

 海人と悠天は、お互いの頬を引っ張ったまま同時にその方を向いた。


随分ふいふん遅かったのうほほははっはほう

ずいぶん遅かったなふいふんほほはっはは


「何言ってるか分かりません」


 そう言うと彼女は、今日何度目か分からないため息をつく。


「まったく、遊びではないのですよ……」


「悪い悪い」


 全く悪びれずに口だけで答える海人。

 そんな時、彼はふと違和感を覚えた。


――あれ……?


 風呂上がりで微かに火照った肌に、下ろされた髪。ただそれだけなのに、彼女は妙に艶めかしく見える。


――いつもと雰囲気違うな……


 海人はドキリとする。が、問題はそこではない。注目すべきは彼女の足元。正確には、そこに転がっている縄で縛られた少女だ。


「誰だそいつ」


「誰とは失敬な!  俺はかの大盗賊、鈴鹿御前だぞ!」


 歯をむき出して不服を露にする少女。

 しかし、海人と悠天はぴんと来ない。


「……そうか。我は悠天の神子」


「俺は再臨の神子」


 少女につられて悠天が名乗ったので、海人もなんとなくそれに続く。だが、鈴鹿御前と名乗った少女は嘲るような表情を浮かべた。


「はっ、 戯言を!  神子がこんなところにいるはずがない! 下らん噓をつくな!」


 当然の反応である。

 皇国の最高戦力にしてシステムの軸、それが神子だ。そんなものがおいそれと都の外にいていいはずがない。しかも、同時に二人など冗談にも程がある。


 だが、それはあくまで平時の話だ。


「……あれ?」


 悲しいことに、今はいるのである。故に三人は、何か哀れなものを見るような目で彼女を見つめた。


「本物……?」


 無言で頷く三人。


 そこでようやく、自称鈴鹿御前は自らが置かれた絶望的な状況を理解する。

 一人で一万の敵を相手取る神の代理、それが神子。しかも二人。戦えばどうなるかなど考えるまでもない。


「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」


 悲鳴を上げて泡を吹き、のたうち回って失神する自称鈴鹿御前。

 そんな状況を若干引きながら静観していた海人は、冷や汗を流しながら躊躇いがちに口を開く。


「あのー、仁王丸さん? とりあえず状況説明お願いします」


 ▼△▼


 仁王丸は一通り湯屋で起こった顛末を説明する。


 つまりはこうらしい。


 湯屋で怪しい気配を感じ、警告したところ彼女たちが現れた。投降しなかったので戦闘になった。が、大して強くなかったので全員倒して拘束し、リーダー格っぽいこの少女だけ連れてきた。


「で、現在に至ると。捕まえる意味あった?」


「何かの役に立つかもしれません」


「立つか?」


 今一つ仁王丸の意図が読めずに、海人と悠天は同じように首を傾げた。

 そんな彼らを、いつの間にか目覚めた自称鈴鹿御前が不服そうに睨んでいる。


「どうした?」


「どうしたじゃねえよ! 好き勝手言いやがって! 俺がお前らの役に立ってやる義理はねぇ!」


「拒否権もないでしょう?」


「ひでぇ! ていうかなんだお前、急に丁寧な言葉遣いで気味悪ぃな……」


 苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべて、自称鈴鹿御前は三人の顔を順に眺める。そして、不思議そうに首を傾げた。


「ていうか、なんで都の貴族サマがこんなトコにいんだ?」


「話しても構いませんが、口外すればお仲間共々命は保証できませんね」


「怖! けど、こうなっちゃどうせ一緒だろ。教えてくれよー」


 ヘラヘラと笑みを浮かべながら、彼女はそうのたまう。気楽なものだ。

 ただ、俎板の鯉も同然の彼女にとっては、もはやどうあがこうが大した問題ではない。そう考えると合理的ではある。


 思いの外図太い自称鈴鹿御前。仁王丸はとうとう観念して、再び深いため息をついた。


「……我々は神宮に向かっております」


「そりゃ無理だな!」


 自称鈴鹿御前は豪快に笑い飛ばす。

 三人は怪訝な表情を浮かべた。


「どういうことですか」


「一昨日から上皇さんの兵二千が鈴鹿関を封鎖してる。お前らはそこで終いさ」


「そんなことは知っている。だが、転移で渡ればいいでしょう」


 落ち着いた調子で言い放つ仁王丸。

 だが、自称鈴鹿御前は嘲るように、


「転移? お前らが使う妖術の類か? そんなもん上皇さんが備えてないはずないだろ」


「備えじゃと?」


「ああ。都の密使かなんかが、転移に失敗して斬られてたぜ」


 ここに来て衝撃の事実が告げられる。

 陽成院派の対策、それに関してノーマークだったわけだ。


 無理もない。転移術式なんて扱える人間はごく少数しかいないのだ。その上、対策には中々コストがかかる。そもそも、そこまでして転移を防ぐ必要性があまりない。故に、対策の存在などそうは思い至らなかった。

 仁王丸は顎に手を当て、少し考え込む。


「探知系の術式、もしくは術式阻害……」


「何言ってんのかわからんが、俺はこの目で見たんだ。間違いない」


 そう語る自称鈴鹿御前。

 しかし、海人は聞き逃さなかった。


「待てよ、見た……?」


「ああ、伊勢側からな」


「何っ!?」


 目を見開く海人。自称鈴鹿御前は不敵な笑みを浮かべて、


「俺は関の越え方を知ってる。教えて欲しけりゃ条件を飲みな!」


 床に伏したまま、堂々と言い放つ。彼女はこの圧倒的不利な状況から三人に交渉を持ち掛けたのだ。何たる胆力。


 しかし、海人はそんな彼女を一笑に付す。


「馬鹿か。お前の言うことを聞く必要がどこにある? 俺たちの力を以てすれば雑兵の二千程度簡単に殲滅できるぞ?」


 自分は弱いくせに、ちょっと調子に乗った様子でそう返してみる。

 だが、自称鈴鹿御前はニヤニヤしながら、


「兄ちゃん嘘下手だねぇ」


「はぇ?」


 あっさりハッタリを見破られる海人。


「そんなことは出来ねぇ、そう顔に書いてあるぜ。てか、ホントに伊勢行きだけが目的なら、都はもっと数送るだろ普通。ってことはお忍びでの伊勢旅行か?  可愛い姉ちゃん二人も連れていい御身分だなぁ」


「ちょ、そんなんじゃない!」


「ふはは! 我が此奴とがか? 女、面白いことを言うのう!」


「……冗談を」


「なっ!」


 ちょっと煽ってみるつもりが返り討ちにされてしまった。海人は口をパクパクさせて狼狽している。

 結局、簀巻きの女一人に全部かき乱されてしまった形だ。悠天は感心したような表情を浮かべて、


「面白い奴じゃな。命は助けてやろう。其方の言う通り、確かに我らは強硬策を取れん。なにせ隠密じゃからな」


「へぇ、隠密で神子まで出すか。一体帝は何考えてんだ?」


「下らぬ詮索はよして頂きたい。話を戻しましょう。貴女は関の越え方を知っていると言いましたね」


「ああ、言った」


「では、条件とは何でしょう」


「……」


 自称鈴鹿御前は、楽し気な表情を浮かべてニカリと笑った。暫しの沈黙。そして――


「俺たちを都に連れていけ」


「……は?」


 想定外の答えに、間の抜けた声を上げる三人。だが、自称鈴鹿御前は楽し気な表情を浮かべたまま、


「そのままの意味だ。一度都に行ってみたかったんだよ!」


「……勝手に行けばよろしいのでは?」


「馬鹿か。逢坂関には抜け道が無い」


 三人は顔を見合わせた。あれだけ勿体ぶっておいて、要求が都案内とは拍子抜けにも程がある。


「そんなんでいいのか……?」


 今一つ納得がいかない海人だが、本人が納得するならそれでいいのだろう。結局、仁王丸は頷いた。


「まあ、貴女が良いなら……分かりました」


「案内は関を越えるまでだ。果たせたならば、その約束たがえるなよ?」


「其方らこそ、違えたときはどうなるか分かっておるな」


 不敵な笑みを浮かべる悠天と自称鈴鹿御前。こうして、取引が成立した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る