第42話:今しばらくの休息

 甲賀から約十七キロ、時間にして五時間。海人たちはようやく二日目の休息地点、土山へと到着した。もう日は落ちかけている。


 土山は斎宮や勅使が伊勢へ向かう際の休息地点であり、それなりに栄えている――海人は師忠からそう聞いていたのだが、


「……人いねーな」


 近頃は勅使の派遣も絶えていたのだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。町も寂れてみえる。海人たちが泊る宿もどこか小汚かった。


 ▼△▼


「どうもようおいでなさいました。さあさ、こちらへ」


 宿の旦那が出てきて案内してくれる。外に比べれば中は整っているようだ。

 部屋もそれほど悪くない。


「昨日よりは広いな」


「じゃが、ちとボロい」


 相変わらず悠天は部屋に厳しい。まあ、比較元のレベルが高すぎるのであろう。


 それはともかく、海人の足はずっと悲鳴を上げていた。土山で悠天の施術があったとはいえ、その後はずっと歩きっぱなしだ。


「ほれ、近う寄れ」


 悠天が海人の足に手をかざす。ほんのり暖かい感覚とともに、痛みが和らいでいく。


「ありがとうございます。それ便利ですね」


「我の権限と以てすればこの程度朝飯前よ」


 自慢げに答える彼女を見て、海人は感心したように息を吐く。


 ――俺もこんなん出来たらいいのにな……暇な時に練習してみるか。


 そんなことを考えているうちに、夕食が運ばれてきた。


 ▼△▼


 夕食を終え、女将が食器を片付けに来る。

 そんな時のこと。


「湯屋? 湯屋があるのですか!?」


「ええ、ありますとも」


 湯屋、すなわち風呂。勢多にはなかったが、どうやらここにはあるようだ。

 秋も暮れとはいえ、これだけ歩けば汗もかく。海人にとってはありがたい。海人ですらそうなのだから、女性陣はなおさらだろう。


「じゃあ、お先にどうぞ」


 海人は仁王丸と悠天を見やる。悠天はその流れで仁王丸を見た。


「えっ、私?」


「ふむ」


 彼女は少し困惑したような様子で、


「……ですが、従者である私がそんな……」


「全然いいよ! 今回一番頑張ってるの仁王丸だし」


「そうじゃ。再臨のお守なら我がやっておく。先に行くがよい」


「お守って……」


 しれっとお荷物扱いされて口を尖らせる海人。仁王丸は少し落ち着かなさそうにしながらも、躊躇いがちに頷いた。


「……では、お言葉に甘えて」


 ▼△▼


 ふと、息が漏れる。

 彼女にとっては、久方ぶりの一人の時間。そして、休息のひと時だ。


 再臨の転移、陽成院派の急襲、そして例幣使の護衛。ここ十日ほどは、休息らしい休息も取れず、慌ただしい日々が続いた。


 そんな中でふいに訪れた今しばらくの休息。張り詰めていた緊張の糸も、この時ばかりは解けて――仁王丸は自分の頬をぱしり、と叩いた。


「……まったく」


 彼女は目を細めてため息をつく。


 ――私としたことが。こんなことで緩んでしまってどうする。


 武門の長を任せられた者が、緊張の糸を切ることなどあってはならない。何時いかなる時も自分の立場を弁え、恥じることのない行動を心掛けなくてはいけない。父の願いを裏切るようなことはしてはいけない。

 それがたとえ、自分という存在を殺してしまうようなことであっても。


――私はそのために生き残ったのだから……


 どこか憂いを含んだような顔で、少女は少し欠けた月を仰ぎ見る。

 そんな時、ふと彼女の脳裏に一人の少年の姿が浮かんだ。


 ――犬麻呂はどうしているのだろうか……


 彼女は唯一生き残った大事な家族に思いを馳せる。仁王丸と犬麻呂。姉弟はいつも一緒だった。分かれての任務など今回が初めてかもしれない。


 犬麻呂は京で留守番中だ。余計な事をやらかしていなければいいが、などと彼女は心配してみる。


 いつもそそっかしくて、危なっかしくて仕方ない弟。裏表がなくて、素直で、悩みなんてあまりなさそうに見える。


 ――どうか、そのままでいて欲しい。犬麻呂は、私みたいにならなくて良いから……


 彼女は、胸に手を当て目をつむった。


 ――……背負うのは私だけで良い。自分の人生がどうなろうと、佐伯を、父さまが守ろうとしたものを受け継いでいかなければならない。父さまがあの術式を私に託したのは、そういうことなのだから……


 深く、深く刻み込む。自分が生き残った意味を忘れないために。自分がすべきことを、決して忘れないために。


「ぷはっ」


 ふいに彼女は勢いよく息を吐きだす。気付けば、顔まで湯に浸かっていた。


 ――駄目だ、やっぱり緩んでいる。


 仁王丸は再びため息をついた。


 ――あの二人と一緒にいると、どうしても気が緩んでしまう。あの人たちは、どこまでも気楽だ。私の苦悩など、微塵も理解出来ていない。出来るはずもない。


 仁王丸は、鼻から下まで湯に浸かった。彼女は向こうで揺れる明かりを伏し目がちに見ながら、物思いにふける。

 彼女の緊張の糸をほぐす元凶、その二人を思い浮かべながら。


「……」


 最初に思い浮かべたのは緑髪の彼女だ。

 かつて仁王丸の嘆願を一蹴し、軽蔑をもって笑い飛ばした尊大で傲岸不遜な彼女。


 ――悠天様は自由だ。何物にも縛られない心と、それを可能にする絶対的な力を持っている。私は彼女のようにはなれない。彼女ほど強くはない。強くはなれない。羨ましい。


 ぶくぶく、と息を吹きながら、ぶつけようもない思いの丈を頭の中で巡らせる。


「……」


 次に思い浮かべたのは黒髪の少年だ。

 突然現れた、弱くて、役立たずで、守られてばかりの少年。


 ――再臨様は世間知らずだ。この世界のことを何も知らない。無力な癖にお人よしだ。きっと元の世界でも甘やかされて、何の苦労もなく生きてきたのだろう。妬ましい。


 仁王丸はばっ、と体を起こした。

 彼女の海人に対する不満は止まらない。憎らし気な表情を浮かべたまま、湯船の縁で頬杖をつく。


 ――無力な癖に、何が「無理すんなよ」だ。誰のせいで無理をしていると思っている……貴方がもう少し強ければ、私はこんな思いをしなくても済んだ。なのに貴方は、なんでそんなにヘラヘラしていられる。気に喰わない。はっきり言って嫌いだ。師忠様があれほど貴方を買っている理由が分からない。もういっそ、見限ってしまおうという気すら起きてくる。なのに……


「……はぁ」


 仁王丸は忌々し気な表情を浮かべ、一息ついた。どうしても、彼女は心のどこかで海人を憎み切れない。

 口だけのお人よし。彼女がもっとも嫌いな人種。なのに、何故――

 

 そんな時のことであった。


「っ!?」


 周囲に気配がする。殺意まではいかないが、敵意に近い感覚。


「誰だ」


 返事はない。

 だが、気配は消えていない。


「いるのは分かっている。十三人。直ちに投降せよ」


 藪の中でガサっ、と音が鳴った。


「バレちゃあ仕方ねぇ」


 出てきたのは、十二人の様々な装いの男たち。だが、戦をする格好には見えない。特別強そうなわけでもないし、陽成院の刺客にしてはお粗末だ。

 仁王丸は首を傾げる。


「……覗き?」


「 お前の貧相な身体なぞ誰が見るか!」


「チッ」


 凍えるような冷たい一瞥に男たちは一瞬ひるんだが、すぐに持ち直して進み出る。

 そして、各々がわいわい言い始めた。


「その余裕がいつまで持つかな、小娘!」


「俺たちを誰だと思っている!」


「そうだそうだ!」


 勝手に盛り上がる野郎どもを傍目に、仁王丸は再び首を傾げた。


――なら何者だ。夜盗か?


「親分、何か言ってやってくださいよ!」


「おうよ」


「?」


 ふいに藪の中から飛び出してきたのは奇怪な格好の女だった。派手な装束に立烏帽子たてえぼし。彼女はポーズをとって仁王丸を指さした。


「俺は泣く子も黙る大盗賊立烏帽子、またの名を鈴鹿御前すずかごぜんと言う! 小娘よ、よく覚えておけ!」


 大げさな口上を切って見せる鈴鹿御前。はやし立てる男ども。

 仁王丸は怪訝そうに目を細めた。


 鈴鹿御前。鈴鹿山を拠点とし、鈴鹿峠を越える旅人たちを襲った伝説の女盗賊だ。だが、彼女は百年以上前に征夷大将軍坂上さかのうえの田村麻呂たむらまろによって制されたという。それに、ここは鈴鹿峠からも少し距離がある。設定がガバガバだ。


 しかし、盗賊なら鈴鹿御前だろうが何だろうが放っておいて碌なことはない。


「お前たち、その娘を捕らえよ!」


「まったく」


 彼女はため息をつく。暗く静かな夜空に煌びやかな光球が舞い、爆音が轟いた。

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