第45話:閑散たる日本三津
――夕刻、伊勢国安濃津。
海人たちは鈴鹿関を無事突破し、ようやく三日目の目的地に到達した。
そんな彼らの眼前に広がるのは――
「う、海だ……!」
海人にとっては、この世界に来て初めての海。ペットボトルやポリ袋といったゴミなど一つもない。古代のありのままで美しい砂浜がそこにあった。
――そうか、海って、本来こういうものなんだよな……
夕日を背中に浴びながら、彼はしみじみそんな感慨に浸る。
「ようやくここまで来たな」
「ええ。明日には山田まで行けそうですね」
「……にしても」
仁王丸は、後ろに広がる安濃津の町を見て目を細めた。悠天も不思議そうな顔で頷く。
「やはり、人がおらぬな」
「薩摩の
怪訝な表情を浮かべるのは彼女たちだけではない。しばしば伊勢側へ
「なんでこんな人少ねぇんだ? 五日前はもっといたのに……」
そこで海人は、琵琶湖を渡る舟で出会った老人の話を思い出す。
「それは陽成院の家人が伊賀に引き上げて、鈴鹿関まで閉鎖したからだろ?」
「どういうこった?」
「商人連中がみんな安濃津から別のところに動いちゃったってことだよ。だからみんな近江か山田にいんの」
しかし、鈴鹿は海人の答えに首を傾げた。
「それは……妙だぞ」
「え?」
困惑する海人。老人の話は筋が通っていたはずだ。怪訝な表情を浮かべる彼を見て、鈴鹿は「いいか?」と手を振る。
「近江はまだわかる。鈴鹿関が閉まる前なら行けたしな。だが、山田……神宮周辺はよく分からん。なぜあそこに商人が集まる?」
「デカい町があるとか?」
「それを言ったら、安濃津も大概デカい町だ。なのにこのザマ。それじゃあ山田に人が集まる説明になってねぇ」
「今は山田の港がメインで……じゃなかった、主に使われてるとか?」
「なんでそんなことする必要があんだよ? 港の規模で言ったら比べるまでもねぇよ」
鈴鹿は即座に海人の仮説を一刀両断した。ここまで確信を持っておかしいと言われると、流石に海人も訝しみ始める。
その時、ふと鈴鹿が何かに気付いた。
「……お前ら、そもそも伊勢の情勢をどうやって知った?」
「それは、伊勢に親戚がいるとかいう爺さんから」
「いつの話だ?」
「一昨日だよ」
それが何か? という表情の海人。
だが鈴鹿は、合点がいったというふうに幾度か頷いた。
「そうか。やっぱりな」
「?」
海人たちはまだ吞み込めていない。鈴鹿が持った違和感。その正体が何か分からないままでいる。
鈴鹿はため息をつくと、「つまりだな」と身振りをとり、
「お前らここまで二日掛ったんだよな」
「おう」
「そんで伊勢までは三日は掛かる」
「それが何か……ん?」
「気づいたか」
鈴鹿はニヤリと微笑んだ。
「確かに、おかしい」
「何がです?」
まだ今一つ理解できていない仁王丸に、海人は人差し指を立てて、
「いいか? 関が閉まったのは四日前。それ以降は恐らく、伊勢側からも近江側からも出入りは不可能になった。それなら、爺さんの話は辻褄が合わない」
「……! そうか。ご老体が知りうるのは今から最低でも五日以上前の伊勢。それなら、まだ関は閉まっていない……ですが」
「五日以上前の伊勢は平時と変わらぬ。じゃが、何故か翁は今の状況を知っていた」
ようやく、皆が老人の話の矛盾点に気付いた。だが、問題はその先――
「これは一体どういう……」
しかし、そんなこと考えるまでもない。
「簡単だ。その爺さんは上皇さんの手下ってことだよ」
「なッ!?」
「そうじゃなきゃ、伊勢の情報なんて分からねぇ、いや、予想出来ねぇよ」
衝撃。そう言う他にない。旅の初日で陽成院派に捕捉されていた。いや、捕捉まではいかなくとも、彼らの情報操作に操られていたということになる。
「だが、一番の問題はそこじゃねぇ」
「ああ」
鈴鹿と悠天が同じように険しい目をして安濃津の町を眺める。
そう、一番の問題は――
「なんで、わざわざそんな情報をばら撒いてんだってことだ」
陽成院派の情報操作。鈴鹿関の封鎖。閑散とした安濃津。人で溢れ返る山田の町。
「……奴ら、伊勢で何をやるつもりじゃ」
状況はふいにきな臭くなる。重い空気が立ち込める中、波の音が響いた。夕日は山の向こうに落ち、夜の帳が下りようとしている。
▼△▼
――伊勢国宇治。
清浄な空気が満ちる神域都市。その奥に位置する
その神域の最奥部に、本殿は建っている。ごく限られた者しか立ち入りを許されない、正真正銘のブラックボックス。そんな皇国祭祀の中核に、男は佇んでいた。
冠に真っ白な装束。その様子はさながら高位の神官そのものである。
しかしながら、彼は神官ではない。ただ、彼の立ち姿、振舞い、そしてオーラが、相対する者にその高貴さを知らしめる。
そんな時のこと。
「殿下。彼らは無事関を越え、安濃津まで辿り着いたようです」
夕闇に紛れて姿の見えない男の声が響く。
「そうか。ご苦労」
白装束の男は一つ頷いた。彼は祭壇に安置される神鏡を眺めたまま、そばに控える神官に向けて口を開く。
「
「は。今のところ特に動きは無く、まだ我らの動きには気付いておらぬようです」
「そうか」
「……万事順調で御座いますな」
ニヤリと笑みを浮かべる頼基。
白装束の男は一つ息を吐くと、同じく不敵な笑みを浮かべた。
「天祐は我らにある。これは大義だ。簒奪者から『神裔』を取り返し、暴君を廃す。そして、私が皇国の頂に立つ」
白装束の男は、熱を帯びた声で言い放った。そして、彼は大きく手を広げる。
「そのために、彼女の力が必要だ」
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