第二章:権謀術数と導きの神々

第37話:来訪者

 焼け落ちていく都を、幼い弟の手を引いて眺めていた。


 もう、遅い。もう何をしても、失ったものは戻ってこない。頭では分かっているのに、心はそれを受け入れようとはしなかった。でも、身体はついてこない。

 だから私は、茫然と立ち尽くすことしか出来なかった。


 全てが、焼けてしまった。

 理不尽な神の炎は、私の日常を、家族を、そして未来までもを焼き尽くしてしまった。


 耳鳴りがうるさい。息が苦しい。頭が回らない。無意識に伸ばした自分の手すら、滲んで夜空と同化する。

 薄らいでいく五感、離れていく意識。不安そうな弟が何かを言っているけれど、もはや私の耳には届かない。


 ただ、父の最期の言葉だけが脳裡に木霊して――


 ▼△▼


「……っ」


 仁王丸はおもむろに起き上がると、頭を押さえてため息をつく。


 ――最悪の目覚めだ。


 よく眠れなかったのか、顔色がすこぶる悪い。なにより、酷いクマだ。彼女は艶やかな黒髪を束ねなおすと、廊下に出て風に当たった。


「……ん」


 朝日を浴びて大きく深呼吸をすれば、幾らか気分はましになってくる。彼女は縁側に腰を下ろし、髪をかき上げた。


 今日は神無月の六日。

 例幣使一行出立の日である。


 言わずと知れた皇国祭祀の中心、伊勢神宮。それが今回の目的地だ。

 十二年ぶりの例幣使派遣。朝廷は海人を副使に任命した。その護衛として仁王丸も付いていくのである。


 ――ああ、憂鬱だ……


 彼女の口から、ふいにため息がこぼれる。

 そんな時、広間の方から悲痛な叫び声が響いてきた。


 ▼△▼


「はぁーっ!?」


 高階邸に海人の絶叫が響く。まだ朝方だというのに騒がしいことこの上ない。現代日本のアパートなら間違いなく壁ドンが飛んでくることであろう。しかし彼にそんなことを気にする余裕は無かった。


「たった三人だけとか聞いてないんですけど!?」


「ええ。今初めて言いましたから」


 大混乱の海人に、師忠は涼しい顔で告げる。どうも今回の例幣使には人数制限があるらしい。


「で、でも! なんでそんな少人数!? 例幣使って、ほら、なんか響き的に二十人位いそうじゃないですか!?」


 冷や汗交じりに身を乗り出す海人。ただでさえ困難が予想される旅路だ。たった三人、いや、戦闘要員は実質二人なんて心細いことこの上ない。


 ――だいたい三人で何しに行くんだ? 旅行か?


 そんな彼をよそに、師忠はいつも通りの微笑で小首を傾げる。


「そうは言いましても、今回のは密命ですからねぇ」


「み、密命……?」


「ええ、密命です」


 師忠は意味深な笑みを浮かべた。

 海人は知っている。これは絶対に詳細を教えてくれないときの笑みだ。


「で、でも三人までって……俺と、師忠さんと――」


「申し訳ありませんが、私は行けません」


「え」


 絶句する海人。だが、師忠は曲がりなりにも都の上級貴族なのだ。ちょっとやそっとのことで都を離れるわけにはいかない。当然といえば当然の反応だ。


「そうか、そりゃそうですよね……」


 ただ、師忠は身内で間違いなく最強。いれば心強いだけに残念である。

 しかし、無理なものは無理。他を当たるしかない。


「じゃあ、犬麻――」


「あ、犬麻呂もちょっと借りますので厳しいですね、すみません」


「な!?」


 期待の十四歳、佐伯犬麻呂の持ち出しにノーが突き付けられる。

 海人は開いた口がふさがらない。なにせ、この世界に身内という身内は三人しかいないのだ。その内二人は同行不可。つまり――


「えっ? 俺仁王丸と二人で伊勢まで行くんですかぁっ!?」


 急におどおどし出す海人。


 ――マズい、それはマズい! 流石にやっていける自信が無ぇ!!


 しかし、師忠は優しく微笑んで「いえいえ」と手を振った。


「ふふ、 もう一人いらっしゃいますよ」


「えっ?」


「ええ。正使の方が」


 その言葉に、海人ははっとしたような表情を浮かべる。


「あ、そっか。俺副使だもんな」


「まあ、私はあのお方と長旅なんて御免ですね。神子様、ご愁傷様です」


「はい?」


 突然飛び出した不安材料。曲者、胡散臭さの権化のような師忠をしてこう言わしめる人物。そんな人物と、これから一緒に敵地まで旅をしなくてはならないらしい。海人は急に不安になる。


「えっと……その正使ってどんな人なんですか?」


「ふふ、それは会ってからのお楽しみ、ということにしておきましょう。あとで仁王丸にその方の屋敷まで案内させます。では」


 師忠はおもむろに立ち上がる。


「え、今教えてくれないんですか?」


「すみません、私は少し用があるので」


「ちょっ」


 海人は師忠を追うが、部屋の外に立っていたのは師忠ではなく――


「あっ」


 予期せぬタイミングでの遭遇に思わず声が漏れる。

 そこにいたのは例の少女、仁王丸だった。


「お、おはよう……」


 躊躇いがちに口を開く海人。仁王丸はほんの一瞬だけ嫌そうに眉をひそめると、いつものように能面のような冷たい表情を作った。


「……おはようございます」


 相変わらずの無機質な声。この反応にもそろそろ慣れ始めてきたとはいえ、海人の図々しさを以てしても少々くるものがある。しかも、先日の一件もあって最近は余計によそよそしい。

 だが今日のは、それを加味しても何割り増しかで機嫌が悪そうに見えた。


「……なんか今日元気なくね? 嫌な夢でも見た?」


「……!」


 一瞬表情をわずかに変える仁王丸。だが、すぐに元通りの顔で、


「……いえ、何でもありません」


 どうみてもそうは見えないのだが、問い詰めたところで仕方がない。海人は心配そうな表情のまま「それならいいけど……」と呟いた。


「そういえば、仁王丸は正使の人がどんな人か知ってる?」


「?……ええ、まあ」


 急な話題転換に意表をつかれた仁王丸だったが、複雑な表情を浮かべて言葉に詰まる。海人は不思議そうに首を傾げるが、彼女はどうやら言葉を選んでいる様子だ。


「やっぱり変な人なの?」


「……変というより……うーん……いや、変ではありますけど……」


「変なんだ……」


 師忠からの前評判もあって、海人に不安が募り始める。

 その時であった。


「――っ!?」


 ピキッ、と何かが割れるような音。

 海人たちは反射的にその方を向き、庭に飛び出した。


「何だっ!?」


 音だけではない。ゾッとするような感覚とともに空が震える。


 「結界にヒビが!?」


 仁王丸の頬を冷や汗が伝った。

 直後、空気が変わる。高階邸に満ちていた独特の神気が、全く別の神気で塗り替えられていく。

 木々の隙間を吹き抜ける風のような、清々しい神気が唐突に流れ込んできて――

 

「ふっ!」


 それは、凛とした女性の声だった。


「な――!」


 深緑の艶やかな髪、琥珀色の双眸、起伏の激しいプロポーション、そして、巫女装束。そのいずれもが、女性としての美しさを際立たせている。顔の右半分を覆う包帯ですら、彼女のミステリアスさを演出する材料となっていた。

 歳は海人よりいくつか上であろう。しかし、その快活な雰囲気は十代半ばの少女と遜色ない。


 目を剥く海人たちを見て、彼女は自慢げにニヤリと笑みを浮かべる。

 そして長い脚を華麗に振り下ろし、ついに結界に穴を空けた……のだったが、


「なにッ!? のわっ!!」


 突如空中で姿勢を崩す彼女。

 そのまま制御を失って――


「まずいっ! 避けろッ!!」


「え!? はあああぁぁぁあああっ!! ぐえっ!!」


 一段目の結界を割って空から無理やり高階邸に侵入した彼女は、二段目の結界の効果によって飛行術式を強制解除され墜落。海人に直撃した。


「すまぬ! 大丈夫か!?」


 深刻な表情で叫ぶ女。一応後頭部は彼女が咄嗟に手で庇い、顔面は彼女の豊満な胸部がクッションとなって致命傷は避けた形だ。


「い、一応?」


 力なく答える海人に、女は安堵したような息を漏らした。

 突然の来訪者。だが仁王丸が臨戦態勢を取らないあたり、どうも敵ではないらしい。


「……ということは、もしかしてこちらの方が?」


 海人は緑髪の隙間から仁王丸に尋ねる。仁王丸は忌々しげな目をして頷いた。


「……はぁ、そうです。そいつ……じゃなかった。その方が――」


「悠天の神子じゃ」


「はあ…………………………はあっ!?」


「そして、伊勢例幣使の正使じゃ!」


「なああああああぁぁぁぁぁぁっ!?」


 二連続の爆弾発言。

 海人の思考回路に処理不能なレベルの情報が流れ込んでくる。


 ――え、悠天の神子っ!? このお姉さんが!? てか正使神子なのっ!? で、結界を破って無理やり突っ込んできて今ここにいて……なんで俺の上にいるの? え、どういう状況? というかいつまでこのまま? なんかいい匂いするしやわらかいし……やわらかい? は? え? ん? なッ!? まっ、ちょ……


「へ?」


 間の抜けた声とともに、海人は完全に停止する。

 男子高校生の思考回路を捨て身で粉砕した悠天は、二、三度宙返りをしながら高階邸の屋根に飛び乗ると、ポーズを取って海人たちを指さした。


「ふふ、驚いたか。其方らがあまりに遅いのでこちらから来てやった。感謝せよっ!」

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