第1章幕間:葵茂る御社の姫君

 いやに静かな近衛陣。


 時忠は消え、実頼は療養中、良相と師忠は欠席。他にも、方違かたたがえだの物忌ものいみだの適当な理由を付けて、出席する気配がない者がちらほら。


 結局揃ったのは、十五名いる公卿のうち、たった七名。今回の功労者『彩天』藤原師輔は、不機嫌そうにため息をつく。


「……まったく」


 十年の平安を終わらせる陽成院派の急襲。それは、蒼天の一閃を以て幕を閉じた。


 平安京側の被害は山城国府、兵千余百、そして、筆頭大納言の戦死――結果的には平安京防衛に成功したものの、甚大な被害である。

 一方、敵方に与えた損害は兵二千弱のみ。ついに『蒼天』は見つけられず、『影』には逃げられ、完敗に等しい散々たる結果だ。


「……あれから早五日。陽成院派の動きはどうなった」


「あの一件以来、特に目立った動きは……」


「……そうか」


 脇息に頬杖をついて、彼はますます不機嫌そうに答えた。

 さて、今回の議題は戦後処理。そして、対南都戦略の見直しである。


「さて、これから如何致しましょうか」


「……ここは、思い切った手が必要ぞ」


▼△▼


平安宮の北東。

賀茂社、ただすの森。


「へぇ。先日の騒ぎは御所への襲撃、それに、『蒼天』とな?」


「そのようで」


「は!」


 巫女装束に身を包む緑髪の女は、男勝りの豪快な笑みを飛ばした。

 彼女の顔は右半分が包帯で隠れている。いや、よく見ると、包帯は脚や腕などいたるところに巻かれていた。

 そんな彼女は腕の中の鴉を撫でながら、


「蒼天はやはり敵方であったか」


「ええ」


「……にしても、御所で狼藉を働かれるなぞ御門の威光も落ちたものよのう」


 そう言うと、彼女は嫌味な笑みを浮かべる。そこに愉悦や感嘆、まして憎悪などはなく、ただ純粋に軽蔑のみがあった。


「ふむ……?」


 そんな時、彼女はふと首を傾げる。そして、何かを思い出そうと天を仰ぎ、唇に指をあてた。


「確か新大納言は『彩天あの阿呆』の兄であったな。無事なのか?」


「一時危篤に陥りましたが、摂政殿下の手により……」


「そうか、つまらん。我はあれが嫌いじゃったのに」


 ふいに、彼女は鴉を放つ。

 鴉は糺の森を抜け、洛中の方へと飛んでいった。


「そういえば、この前何やら新たな神子が現れたと聞いた。何か知っておるか?」


「再臨……のことにございますか?」


「知らん。が、恐らくそやつじゃろう」


 女はぶっきらぼうに言い放つ。聞いたのは自分なのに、えらくいい加減な態度だ。

 しかし、従者と思しき壮年も彼女の扱いには慣れているらしく、気にも留めないでそのまま続けた。


「彼は高宰相殿の屋敷にて居候の身であります。先の一件で手柄を立て、叙爵されたと聞いておりますが、今は気を失い寝込んでいるようで」


「ふむ……で、どうじゃ?」


「は?」


 今ひとつ意味の分からない問いかけに、壮年は首をかしげる。その様子を見て、彼女はため息をついた。


「そやつはどんな奴かと聞いておる」


「それは先ほど申し上げた……」


「そうではない! 相変わらず物分かりの悪い奴じゃな! どんな顔じゃ? 美男子か!?」


「知りませんよ! まったくもう……そんなのだから婚期を逃」


「何か言ったか?」


「いえ何も!」


 ギラリと光った琥珀こはくの双眸に恐れをなし、壮年は思わず口を閉じた。


 そんな時、一人の女房がこちらに駆けてくる。


「姫様! 先ほどこんな文が!」


「む?」


 緑髪の女は女房が差し出した文を受け取ると、ばっと開いて流し見する。


 どうやらその文は、陣定での決定事項を摂政が承認し、帝の名の下で発給されたものであるようだ。


「ふむ……ほうほう……」


 女は内容を一通り飲み込むと、怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。


「何ゆえ例幣使れいへいしなぞ送るのじゃ?」


 例幣使――その名の通り、ぬさを奉納する使者だ。送り出すのは朝廷、届け先は伊勢神宮。ちなみに、伊勢は今上皇の勢力圏。敵地も敵地だ。


――そのうえ、彼処にあるのは……


 そこまで考えて、彼女は何かに思い至る。そして、愉快そうに口角を吊り上げた。


「面白い。あの馬鹿共も思い切った策をとるではないか。で、これがなんじゃ?」


「最後のところを読んでくださいよ!」


「例幣使に二品にほん賀茂斎院宮かもさいいんのみやを…………は?」


 緑髪の女は露骨に嫌そうな顔を浮かべる。


「何ゆえ我があんな所に赴かねばならぬ」


「そこも重要ですが、その続きです!」


 彼女は「なに?」と小さく呟くと、顔をしかめながらその先に目を通す。


「……例幣副使に従五位下高階海人朝臣を………」


 彼女は首を傾げ、呆けた表情を浮かべた。


「誰じゃコイツ?」


「彼が『再臨の神子』です」


「……再臨の神子?」


「ええ。正使が姫様、副使が再臨です!」


 元気よく女房がそう応じる。緑髪の女はしばらくぽかーんとしていたが、


「なんじゃとっ!!!」


 ようやくその意味を理解し、彼女は大きな声を上げて女房の肩をゆすった。ゆすりすぎて、女房はぐったりしている。

 彼女は「あ、すまぬ」とだけ言い、どこか嬉しそうな表情を浮かべた。


 壮年の男は「あ、これ絶対悪いこと考えてるな……」と呟くが誰にも聞こえていない。


「奇妙な縁もあるものだな! よし、急ぎ支度をせよ。あと我は出かける」


「いずこへ?」


「高階の屋敷だ。再臨の顔を拝みに……」


「なりませぬ!」


 即座に壮年は制止。女房もわたわたしながら止めにかかる。緑髪の女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、


「何故だ! 我は気になる! 其方ら我の好奇心を……」


「姫様、少しは弁えてくださいませ! かように尊いお方がそう易々と」


「行ってまいる」


「姫様ぁ!?」


 彼女は従者たちの制止を無視して空に飛び立った。彼らは唖然としたままその様子を眺めることしかできない。

 壮年の男は諦めたようにため息をついた。


「まあ、すぐにお帰りになるだろう。姫様は宰相殿の屋敷の場所をご存じでない。きっと見つけられずにしまいだ」


 その言葉通り、数刻後にはどこかしょんぼりした顔で帰ってきた。


 彼女は悠天ゆうてんの神子。皇国の六神子のうち、第四位の格を持つ存在。

 そして、海人にとっては今回の伊勢旅行の同行者である。

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