第38話:出立
突然の来訪者、悠天の神子。
彼女は高らかに笑いながら、海人たちを屋根の上から見下していた。
いまだに肌の感触が残っている海人は、しばらくそのまま呆然としていたが、
「!?」
何かに気づいて赤面し、ふいに目を背ける。悠天は妙な様子の海人を不思議そうに見つめて、
「なんじゃ?」
「あ、あのー……えっと、その……」
海人は首をかしげる悠天の方を一切見ずに、すがるような目で仁王丸を見た。だか、彼女が助け舟を出してくれる気配はない。
「?」
挙動不審な海人に、悠天の首の傾きはどんどん角度を増していく。
しかし、放っておくわけにもいかない。彼は意を決して息を吸い込んだ。
「えっと! その……胸が……」
「――……?」
キョトンとした顔で悠天は自分の胸元を見る。そして――
「だあああぁぁぁッ!? ばっ、馬鹿がっ!! そういうことは早く言え!!」
悠天はばっ、としゃがみこみ、急いでほどけた帯を結びなおす。その慌てようは尋常ではない。これまでの大物感が台無しだ。
いや、墜落してきた時点で既にダメだったのかも知れない。
「ふっ」
「わ、笑ったな!? 従者の分際で!」
「貴女の従者ではありません。『再臨』の神子様の護衛です」
赤面しながら必死に叫ぶ悠天を、仁王丸は適当にあしらう。
悠天は「ぐぬぬ……」と悔し気な表情を見せた。そんな時、彼女はふと何かに気付く。
「ん? 其方は確か……まあ良い」
そう呟くと、彼女は屋根から飛び降りた。そして再びそれっぽいポーズを取ってカリスマを気取るが、もはやどうにもならない。素材はいいだけに残念である。
「やっぱり変な人だ……」
「変な人とか言うな」
「神子様は事実を仰ったまでですが」
「なにを!」
嘲笑するような仁王丸の言葉に、悠天は子供みたいな声を上げる。が、怪訝そうに眉をひそめた。
「待て、神子だと? 誰が?」
「俺が」
「其方がかっ!?」
少々大げさなリアクションで驚きを露にする悠天。彼女は小難しい表情で唸っていたが、己を納得させるように幾度か頷いた。
「そうか……いや、悪くはない。ないのじゃが……」
「なんだよ!」
「いや、良い。こっちの話じゃ」
そう言って少し気落ちした様子の悠天に、海人はどこか釈然としない表情を浮かべた。
「まあ、いいけどさぁ」
「で、其方は名をなんと申す」
「海人。海の人って書いて海人」
「どこぞの帝の出来損ないみたいな名じゃな……ともかく、其方が『再臨』か。なんか弱っちいのう」
「皆してそう言うな。てか、出来損ないとか弱っちいとか散々だな……」
不服そうな海人を華麗にスルーして、悠天は黒髪の少女を見る。
「で、其方は」
「佐伯仁王丸。高宰相殿より『再臨』様の護衛を承っております」
淀みない無機質な声。用意していた台本を読み上げるようなその名乗りに、悠天は目を軽く見開く。
そんな彼女を海人は不機嫌そうに睨んだ。
「で、あんたの名前は?」
「其方らに名を名乗るつもりはない」
「はぁ!?」
散々人には聞いておいて自分は名乗らない、そんなワガママが通じて良いものか。海人は抗議の声を上げるが、悠天は取り合わない。彼女は髪をかき上げると不敵な笑みを浮かべた。
「故に、好きに呼べ。許す」
この期に及んで大物ぶる悠天。しかし、
「ミドリちゃん」
「却下!」
「なら、痴女」
「それ最早ただの悪口であろうが! ていうか其方ら突然距離感詰めてきたな!? もう良い! 悠天と呼べ!」
「それじゃあ悠さん」
「……まあ良い。それなら許そう。それぐらいなら許してやる! 我は心が広いからなっ!!」
結局ペースを乱され声を荒げる悠天。完全に海人たちにナメられ切っている。最初のミスはもう取り返せそうにない。彼女は半ば諦めたような目をしてぐったりした。
「まったく、出立前から疲れたわ……」
疲労感を露にする悠天とは対照的に、海人は安堵していた。師忠の話からどんな曲者が出てくるものかと思っていたら、実際出てきたのはただの変なお姉さんである。これなら、仁王丸と二人きりで旅をするよりは幾分か気は楽だ。
「そうだ!」
ふと、海人は思い出したように悠天の方を見る。
「早速ですけど悠さん」
「なんじゃ」
「そもそも俺たちはなんで伊勢に? まさか本当に幣を届けに行くだけなはず無いですよね」
この世界の事情に疎い海人にも流石に分かる。例幣使なんて建前だ。帝の代理の使節がたった三人だけなんてあり得ない。それに、上皇との戦争が再開したこのタイミングで派遣だなんて怪しいにもほどがあろう。きっとこれには何か裏がある。
海人の思考回路は、断片的な情報をそこまではつなぎ合わせた。
「ほう? 思いのほか頭は回るようじゃな」
わずかに悠天の眉が動く。彼女は興味深そうな海人の顔を覗き込んだ。唐突な行動にたじろぐ海人に、悠天は小気味の良い笑みを浮かべる。そして――
「まあ、細かい話は後でよかろう。道は長い。雪が降る前に京に戻れるよう急ごうではないか」
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