第28話:開戦の狼煙

「山城国府が落ちた……だと?」


 御所、近衛陣。血相を変えて飛び込んできた蔵人頭くろうどのとうの報告に、実頼は目を見開いてそう返す。突然の事態に、この場にいるほとんどの者が反応出来なかった。


「は……?」


 国府は、今で言う県庁。そして、山城国は今の京都府に相当する地域。つまり山城国府は京都府庁のようなものだ。

 現在は大和国との国境付近に置かれており、山城国南部の統治を行いつつ、南都への睨みを利かすための軍事拠点としての役割も担っている。まさに要所中の要所。

 それが、上皇方の兵によって落とされたというのだ。


 十年ぶりに開かれた戦端。その衝撃的な幕開け。


 驚きのあまり、公卿たちの口は開いたまま塞がらない。蔵人頭は、跪いたまま報告を続ける。


「今朝方、南都軍四千余りの急襲を受け、抵抗止む無く国府軍は潰走。南都軍は現在、木津川沿いに北上中……」


山城守やましろのかみはどうなった!」


「山城守殿は国府が陥落した後、残った軍勢八百程を率いて退避。現在は巨椋池おぐらいけ西岸に布陣しているようです」


「八百だと……?」


 山城国府には元々兵が三千ほど配置されていた。それが、もう三分の一も残っていないという。

 討ち取られたか、逃散したか、置いていかれたか――いずれにせよ、国府軍がほぼ完全に能力を失っていることは確かであった。


「八百では一日と持たんぞ!」


「どうする!?」


「都に向かっておるのか!?」


「何故今なのだ!?」


 にわかに騒がしくなる近衛陣。公卿たちは半ば恐慌状態に陥った。

 そんな中、彼は大きなため息をつく。


「狼狽えるな!」


「――!」


 「彩天」藤原師輔の一喝に、公卿たちは目を見開いた。そんな彼らを見下すように睨みつけて、師輔はバッと袖を振り立ち上がる。


「高々四千如きの兵に怯むな。即座に兵を集めよ。神裔に仇なす賊を叩き潰せ!!」


「お、おぉ!!」


 即座に数人の公卿が賛同し、近衛の陣は再び騒がしくなる。そして、陣定は急遽軍議へと様相を変えた。


「まっ、まず総大将は如何いたしましょうか……?」


「右近衛大将殿が宜しいでしょう」


 そう間髪入れずに返したのは実頼だ。師輔はピクリと眉を吊り上げ、高明は怪訝な表情で首を傾げる。


「時忠卿を……ですか?」


「ええ。ここは二十五年前の先例に倣いましょう」


「……というと、若かりし摂政殿下の吉例ですか」


 合点がいったように、高明はポンと手を叩く。

 二十五年前に陽成院派が蜂起した際、平安京を守り抜いて彼らを平城京まで追い返したのは、かつて右近衛大将であった藤原忠平だ。

 その故事を知らぬ者はこの場にいない。公卿たちはみな納得した様子で頷いた。

 師輔は何かを察したふうに目を伏せると、蔵人頭に指示を出す。


「右近衛大将時忠卿を以て征南大将軍に補任せよ。すぐに下文くだしぶみを送れ。父上へは事後報告でよい。そして都の兵を集められるだけ集め、準備が整い次第派兵せよ!」


「はっ! ただ、此度の挙兵は余りに想定外ゆえ、即座に動かすとなると二千が限度かと……」


 蔵人頭はためらいがちにそう告げる。師輔はそんな彼に、刺すように冷たい視線を向けた。


「構わぬ」


「しかし兄う……権中納言殿! 敵兵は四千。二千では数が足りませぬ!」


 蔵人頭は悲痛な叫びを上げる。当然だ。援軍としてはあまりに心もとない。しかし師輔はそんな彼を見下し、


「ではどうする? 時は一刻を争うぞ。その範囲で応える外あるまい!」


 蔵人頭は愕然とした表情を浮かべる。


 ――無謀だ……


 そう口をついて出そうになるが、彼は「彩天」の怒りに触れることを恐れて留まる。

 しかし、それでも無謀は無謀。朝廷の雑事を統括する蔵人頭が、それを見過ごすわけにはいかない。


「で、ですが……」


「くどいぞ師氏もろうじ。案ずる暇があるなら動け。一刻以内に今言ったことを果たすのだ」


 師輔は傲然と言い放つ。一刻――今にして三十分で、総大将の任命、兵の再編成、招集、出撃を行えというのだ。


「無茶な!」


「出来なければ山城守らが死ぬだけだ」


 厳しいが事実。蔵人頭に返す言葉はない。


「……分かりました。取り急ぎ行います!」


 蔵人頭が足早に退出、そして師輔は再び席に着いた。そして彼は公卿たちを見渡す。


「構いませぬな? 皆様方」


 有無を言わさぬ態度。

 

 彼の官位は従三位権中納言。公卿たちの中では下から数えた方が早い官位だ。しかし、その決断力、統率力は折り紙付き。そして何より『彩天の神子』である。

 彼より上席の公卿、そして、叔父である左大臣仲平も、師輔の問いかけにただ黙って頷くことしかできない。

 ただ、実頼、良相、師忠の三人だけが、各々の理由を抱えて不敵な笑みを浮かべていた。

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