第27話:嚆矢
「ぬあっ!」
海人は近衛陣から乱暴に放り出され、地面に突っ伏した。身体中が痛む。ただ、何故か地面がぬかるんでいないのは救いだった。
「いててて……ん?」
そんな彼に、ふと差し伸べられた手。顔を上げると、そこに立っていたのは――
「なんだお前か」
「なんだとか言うなよ失礼なッ」
不機嫌そうに返すのは、かの少年、佐伯犬麻呂だ。はぐれたのはついさっきなのだが、海人にとっては何日かぶりのように思える。
「……どこ行ってたんだよ」
「どっか行ったのは神子さんの方だろ。俺はそのまま朱雀大路にいたぜ」
「そうなの?」
キョトンとした表情を浮かべる海人。犬麻呂は「メチャクチャ探したんだぜ?」などとため息混じりにこぼすと、考え事でもするように腕を組み、天を仰いだ。
「多分、神子さんは結界の反動に巻き込まれたんだな」
「反動?」
「そ。皇都の結界は遠方からの転移術式を阻害すンだが、その時にちと反動があンだよ」
「なるほど……?」
分かったような、分かっていないような反応の海人。そんな彼に、犬麻呂は呆れたような表情を見せると、
「そもそもッ、転移術式ッてのは送り先と届け先の正確な場所が決まってねェとダメなんだ。で、結界はそれを空間を歪ませて邪魔するッてワケよ」
「ほーん……つまり、さっきのワープはその歪みに巻き込まれた、ってコト?」
「わーぷは知らんが多分そういうことだ」
ふむ、と頷く犬麻呂。彼は「まあ、平時なら反動は中和されるはずなんだがな」と呟くと、遥か向こうに見える東寺の五重塔を眺めた。
まだ何か引っ掛かる気もするが、海人もぼんやり天を仰ぐ。太陽が高い。もう正午過ぎだろうか。
「……そういや、犬麻呂はなんでここに?」
「伝心術式で宰相殿に呼ばれた」
「あっ」
思わず声が漏れる。伝心術式が何か知らないが、海人は師忠の名前で察した。
――一回目は知らんが、二回目の転移はやっぱり師忠さんの仕業か……ん? 待てよ、転移術式って正確な場所が分からないと無理ってことは……
「俺らの行動読まれてたんじゃね?」
例の微笑を脳裡に思い浮かべながら、海人はどこか薄ら寒い感覚に見舞われる。
「そうか、そうだよな……」
よく考えれば、あの状況で近衛陣に転移するのも、犬麻呂が手を差し伸べたのもタイミングが良すぎる。
――どこまで底が見えないんだよあの人……
もし本当に海人の考えが正しいなら、聡明とか狡猾とかそういう次元を通り越して少し気味が悪い。
彼は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて肩をすくめ――
「……待てよ、転移術式の阻害?」
ふいに、先ほど感じた引っ掛かりの正体に気付く。海人を飛ばした結界の反動、その発生条件は遠方からの転移術式の発動だ。
つまり、
「誰かが外から転移してこようとしたってことか?」
「ん? 確かにそうだな、」
「誰が?」
「さあ?」
犬麻呂は首を傾げる。そのまま腕を組み、天を仰ぐも、どうやら答えは出ないようだ。
「少なくとも都の人間はそんな事普通はしねェ。外の人間か、それとも……」
「普通じゃない事態が起こってるか、か」
にわかに海人を胸騒ぎが襲う。
結界の異常、そして正体不明の転移術式。まだ偶然の範疇かもしれないが、それでも――
「あんまり良い予感はしねェな……」
その時である。
「犬麻呂っ!」
ふいに響いた銀鈴のような声。艷やかな髪をなびかせて、かの少女、仁王丸は必死の形相で濃紺の瞳を弟に向けた。
「姉貴ッ!?」
「どしたのっ!?」
「あ」
海人の存在に今更ながら気付いて、仁王丸は一瞬嫌そうな表情を浮かべる。が、すぐに気を取り直して跪いた。
「落ちついて聞いて下さい」
彼女にしては珍しく、焦りと混乱が見て取れる。その様子に、海人たちは尋常ではない事態の発生を感じて身体を強張らせた。
仁王丸は逸る鼓動を抑えるように胸に手を当て、口を開く。
「山城国府が落とされました。上皇の兵によって」
▼△▼
東寺の五重塔の上から、かの青年、源満仲は人っ子一人いない朱雀大路を見下していた。
「……ふむ?」
ふと、寒空を吹き抜ける風の中に、鼻を突くような匂いがかすかに混ざる。
彼は南東の方角に目を凝らした。詳細は見えない。だが、かまどの火や野焼きとは明らかに違う、いくつもの煙が立ち昇る様子が見て取れた。
「そろそろか……」
そう呟くと、満仲はおもむろに立ち上がる。そして、一つため息をついた。
「さて、私も行くとしましょう」
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