第23話:藤薫る都の公達

 宮中、近衛陣。


 突如平安京を襲った異変に対応するべく集められた公卿たちは、定刻を過ぎても未だ姿を見せない彼を待っていた。


「遅い」


 そう不機嫌に言い放つのは小野宮おののみや大納言実頼。彼は扇でトン、と床を叩くと、じろりと廊下の向こうを見やった。

 そんな時、ふと空気が変わる。転移術式特有の気脈の変化だ。


「遅刻ですよ、師忠卿」


「すみませんねぇ。少し道がぬかるんでいたもので」


「戯言を。ここまで直で飛んできたではありませんか」


 足元が綺麗なままの師忠に、実頼は冷たい笑みを浮かべて言い放つ。しかし師忠は気にも留めず、そのまま席についた。


「あれ、今日は時忠卿は欠席ですか。それに、弟君も」


「アイツはもう良いでしょう」


 実頼は諦めたようにため息をつく。前回と同じく、彼の弟は姿を見せる気配がない。


 ――と、思われたが、ふいに師忠は顔を上げる。


「おや、いらっしゃったようですよ」


「何?」


 再び変わる空気。そして、廊下の向こうから歩いてくる人影。実頼は首を傾け、静かな怒りを宿した瞳で彼を睨む。


「定刻は過ぎているぞ」


「……」


 実頼の非難を無視し、その男は席についた。

 豪奢な衣、飴色の髪、紫の瞳。そして、すらりとした長身に整った顔立ちは、絵巻物の中の美丈夫そのものと言って差し支えない。


「まあ、来ただけ偉いではありませんか。ねぇ、師輔もろすけ卿?」


 男に対し、師忠はいつも通りの微笑を浮かべてどこか楽し気に話しかける。だが、彼は露骨に機嫌を悪くした。


「ほざけ。誰のせいで我の貴重な時間を失ったと思っている」


「はて……? 何のことやら」


「チッ」


 とぼける師忠に、師輔と呼ばれた男は苛立ちを募らせる。だが、これ以上の追及は時間の無駄だと判断した。


「……まあ良い。貴様にはいくつか聞くべきことがあるが、それはまたの機会だ。叔父上、さっさと始めましょうぞ」


 師輔は一番上座に座る老人、左大臣藤原仲平を一瞥すると、ぶっきらぼうに言い放つ。

 実頼は表情をますます険しくして、


「権中納言。皆を待たせておきながら、そのような不遜な態度は如何なものかな」


 彼は再び非難の言葉を師輔に向けた。師輔はふん、と鼻を鳴らして不服を示すが、特に言い返すことはしない。


「まったく」


 実頼はそんな師輔の態度にため息をつく。仲平は場が落ち着いたのを見届けて、軽く咳払いすると一同を眺めた。


「さて、これより陣定を始める。今回皆に集まって頂いたのは他でもない。今朝より都に起こった異変、その対処についてだ」


▼△▼


「結局、この異変は何なんですか?」


 一番下座に座る青年、源高明は、恐る恐る師忠に問いかける。彼は「ふむ」と頷いたのち、おもむろに口を開いた。


「現象としては、水の気脈の漏出です。膨大な量の神気が水の気脈として溢れている。まあ、十中八九結界の異常でしょう」


 目を伏せたままそう告げる師忠。だが、公卿たちはどこか納得のいかない面持ちだ。


「それについては異論はない。だが、この規模での異変は初めてではないか?」


「いくら古いといっても、大結界は浄御原帝御製の術式。そう簡単には崩れまい。師忠卿は何ゆえこうなったとお思いか?」


 立て続けに飛んできた問い。師忠は顎に手を当てて、しばらく思案する。


「難しい問いですね。しかし、考えられる可能性は二つ」


「二つ?」


「ええ。一つは経年劣化。そしてもう一つは、容量を超えた神気の流入による術式の破損。私としては後者を支持したいですね」


 どこか楽しげに語る師忠。しかし、公卿たちは首を傾げる。


「容量を超えた神気の流入……ですか?」


「ええ。しかしながら、これは自然に起こるものではない……つまり、人為的なものです。ただ、並の術師には不可能。やれるとしたら神子くらいですね」


「神子だと!?」


 思わず公卿たちは声を上げる。しかし、師忠は微笑を崩さない。彼は自慢げな様子で頷くと、再び目を伏せた。


「そして、今回の異常は水の気脈についてのみ。なら、どの神子かは絞られます」


「蒼天か」


 静かにそう呟いたのは師輔。彼は腕を組んだまま師忠を一瞥すると、視線を再び外へと向けた。

 だが、大半の公卿たちは納得出来ない様子。あわや師忠に掴みかからんとする勢いで押し寄せる。


「有り得ぬ!」

「どうやって六重結界を超えた!?」

「蒼天は十年前に死んだはずでは!?」


 そんな彼らに、師輔は一つため息をついて、


「継承などとうに行われている。何より、この状況がその証左であろう」


「結界は本当にどうやって超えたんでしょうねぇ?」


「貴様が分からずして誰が分かる」


 師輔は他人事のように問いかける師忠を睨む。師忠は「さあ?」などと適当に返し、再び公卿たちを眺めた。


「まあ、普通に経年劣化の可能性もありますし、これについては一度保留しましょう。いずれにせよ対応は変わりません」


「対応とは?」


「大結界の管理権を持つのは『神裔の神子』たる今上陛下と、その補佐役たる摂政殿下のみ。ですので、我々としてはあの方々に事態を上奏し、修復をお願いするほか無いでしょう」


 師忠がそう告げると、公卿たちはお互い顔を見合わせる。しかし異議や反論は出ず、各々自分の席に戻った。

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