第18話:神と契る術、契れない少年

「で、どうやるんですか?」


「まずは気脈を感じるところからですね。感覚を研ぎ澄まし、空間に潜む神気をつかみ取る……妙に澄んでいたり、逆に淀んでいたりするところを探す感じです」


 ニコリと告げる師忠。海人は言われた通り、それっぽく神経を集中させてみる。


「うーん?」


 だが、当然のように困惑した表情で首を傾げた。


 ――いや、分からん。


 澄んでいたり、淀んでいたりと言われても、イマイチどんなものか見当もつかない。ただ、この周辺の空気が清浄であることは間違いなかった。しかし、それはあくまで排ガスにまみれた現代都市と比較してのことで――


「……いや、むしろこの辺のヤツ全部なのか?」


 そう呟く海人に、師忠は感心したように「ほう」と息を吐く。


「意外と感覚は鋭いようですね。ええ、その通りですよ」


「おっ、もしかしていい感じ?」


「かも知れませんね」


 師忠の肯定的な返答に、海人は表情をぱっと明るくする。そんな彼に対して幾度か頷くと、師忠は手を広げた。


「さて、次はそれを意識したまま、手繰り寄せる」


「手繰り寄せる!?」


「はい。ここも完全に感覚の話ですので、言葉で説明するのは難しい。ただ、上手くいくと神気が集約してくるような感触があります。霊術の場合はここで契りが結ばれ、術式発動の準備が整う。あとは詠唱すれば発動です」


「は、はぁ……」


 ――急に難易度上がったな!


 そうは思いつつも、海人はとりあえずやってみる。だが、やはり出来そうな気がしない。うんうん唸りつつ、体を揺らしたり、手で引っ張る動きをしてみたり色々試してみたが、


「こ、今度はホントに分からん……」


「初めはそんなものです。あとは反復あるのみですね。ここさえ出来れば霊術を習得したも同然です」


 相変わらずの穏やかな表情でそう告げると、師忠はくるりと翻った。


「では、私はやることがあるので。まあ頑張ってください」


「えっ、ちょ……」


 ここで師忠先生は退場である。あとは自力で頑張れということなのだろう。

 いや、教えられる人はもう一人いた。


「犬麻……あれ?」


 ――アイツ帰ったな……


 彼の姿は既にない。夜も更け、肌寒い風の吹く庭園には、海人が一人佇んでいるだけだった。


 ▼△▼


 翌日。海人はいつも通り昼前に起き、遅めの昼食をとって、屋敷の中を散歩したりしながら一日を過ごす。

 そして師忠や犬麻呂と他愛もない会話を交わし、仁王丸にそっけない反応をされているうちに、また日は暮れ夕食の時間となった。


「どうだ? 分かってきたか?」


「いや、あんまり……」


 海人は自信なさげな声で返す。彼は今日も気が向いた時に昨日の続きをやっていたのだが、進展は特にない。


「そういえば、犬麻呂はどんくらいで出来るようになったんだ?」


「ちゃんとは覚えてねェが……ふた月は掛ったな。そこから詠唱を覚えて体に慣らすのにもうひと月、ある程度思い通りに使えるようになるまでさらに三月掛った。これでも早い方らしいぜ?」


「マジかよ。気の長い話だな……」


「そりゃそうだろ。でなきゃもっと普及してる。生み出されてから二百五十年経ってて、使ってンのが貴族と神官、一部の庶民だけッてつうのはそういうことだよ」


「なるほどなぁー」


 やはりこの世界でもかなりの特殊技能らしい。なかなか道のりは長そうだ。


 ▼△▼


 そんな感じで一週間ほど経った頃、ついに海人は音を上げた。


「やっぱコレ無理なんじゃね?」


「アンタ根性ねェな」


「だってよ! まったく進んでる感が無いんだぜ!?」


「そんなモンだよ」


「なんか進んでる感得られる方法無いの? そろそろ心折れそう!」


「そうは言ったってなァ……」


 悲痛な表情で嘆願する海人に、犬麻呂は困り顔で頭を掻く。すぐに成果を得ようとするのは現代っ子の悪いところだ。とはいえ、一週間もったなら良い方かもしれない。

 そんな時ふと、銀鈴のような声が響く。


霊符れいふを使った方法は試しましたか?」


「あっ」


 この一週間で初めて、仁王丸が鍛錬に顔を見せた。彼女は少し驚いた顔を浮かべる海人を一瞥して、


「あの方法なら、すでに組み込まれた術式を起動させるだけです。神気があるなら出来ないということは無いでしょう。術式を使う感覚が得られれば、気脈を掴む感覚も自ずとついてくるはずです」


「に、仁王丸ぅ!」


 ふいに垂らされた蜘蛛の糸。海人は歓喜に満ちた顔で彼女を見た。一方の仁王丸は、相変わらずの能面のような冷たい表情を浮かべている。


「勘違いしないでください。別に貴方のためではありませんから。ただ、日ごろ聞こえる貴方の声が気に障っただけです」


「そんなこと言って。実は仁王丸もツンデレさすみませんなんでもないです」


 本気で殺されそうな気配を感じて、海人は軽口を引っ込める。恐らくさっきの言葉も照れ隠しではなく純度百パーセントの苦情だろう。


 ――相変わらず嫌われてんなぁ……


 だが、目も合わせてくれなかった当初に比べたら進展はしている。そう思いなおして、海人は満足げに頷いた。

 仁王丸はそんな彼を気味悪そうに見つめる。そして、懐から紙で出来た札のようなものを三枚取り出し、


「とりあえず、ここにあるのを使ってみて下さい。健闘を祈ります」


 そうとだけ素っ気なく言い放つと、再び廊下の向こうへと去っていった。海人は手渡された霊符とやらに目を遣る。文字が書かれているようだが、達筆すぎて読めない。


「えっと……なんじゃこれ」


「それは水系統の術式だな。神子さん見た感じ水の適正ありそうだし丁度いいンじゃね?」


「ほーん。で、どうするの?」


 霊符をパタパタさせながら、海人は小首を傾げる。犬麻呂は海人から霊符を一枚強奪すると、


「この札を手にもって、目標に向かって飛んでいくのを強く思い浮かべンだ。そんで、書いてある通りに唱える」


 犬麻呂は「よーく見とけよ」と告げると、目を閉じ手を振り下ろす。その直後、海人は何か空気が渦巻き、集まってくるような感覚に見舞われた。師忠が言った神気の集約と思しき現象。そして――


「霊術:氷晶翡翠ひょうしょうひすい!」


 集まった神気が一気に放たれる瞬間、空中に30センチほどの氷の結晶がいくつか出現、そのまま空へと飛んで行った。


「まあ、こんな感じだ」


 ビジュアル的にも、これぞファンタジーといった感じの術式。海人は「おぉ……」と感嘆と興奮の混じったような声を漏らす。


「俺も、やってみていいか?」


「もちろん……ってか、これ神子さんのためのヤツだから」


「マジでっ!?」


 目をキラキラさせながら、海人は犬麻呂がやったように構える。そして同じように手を振り下ろし、


「霊術!……えっと、氷晶翡翠ひょうしょうひすい!」


 おぼつかない詠唱。しかし、仁王丸の話ならこれでも――


「……あれ?」


 なんの反応もない。海人は困惑した表情で犬麻呂をみる。彼も首を傾げた。


「おっかしいな。えっとがマズかったのか? とりあえずもう一遍やってみな」


「おう……霊術:氷晶翡すうわっ!!」


 ボンッ、という音とともに霊符が弾ける。腰を抜かして尻もちをつく海人。犬麻呂は怪訝な表情を浮かべて、


「なんだ今の。初めて見たぜ……暴発か?」


「し、知らんっ!」


「霊符の不具合? いや、流石にねェか……」


 そう呟くと、犬麻呂はしばらく考え込む。そして、


「なんだか知らんが、取りあえず宰相殿に聞いてみるか」 


 結局出ない結論。海人の術式習得への道のりは長い。

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