第17話:食後の運動に鍛錬を

 穏やかな空気の漂う高階邸。目論見通り屋敷の面々との団欒を果たした海人は、空になった食器を眺めて満足げな表情を浮かべていた。


 ――よし、手応え上々。仁王丸とも少しは打ち解けられ……


「――てないか……」


 彼女は海人と目が合うや否や、すぐさま少し嫌そうな表情を浮かべて目をそらす。

 先ほどは一言二言ながら言葉を交わし、同じ料理を囲んで話題をともにしたのだか、なかなかそう上手くもいかないものだ。


 ――まあ、実質初日だしこんなもんだろ。


 海人はあっさり気持ちを切り替えると、夜空の月を眺めて一つ息をついた。

 さて、夕食が終わると師忠は仕事の続きがあると言って自室に戻っていった。犬麻呂と仁王丸も手際よく食器を片付けると、広間から去っていく。


「あれ、どこ行くんだ?」


 そう尋ねる海人に、ふと犬麻呂は足を止めた。彼は振り返りながら、


「武芸の鍛錬だが?」


「へえー」


 感嘆の息を漏らす海人。食後の運動みたいなものだろうが、流石は上級貴族お付きの従者だ。


 ――俺も負けてられないな……


 彼らの意識の高さに触発された海人は、勢いよく飛び出し手を挙げる。


「俺も一緒にやっていい?」


「えっ?」


「俺もちょっとは強くならねえとな……って。流石にこのままじゃただの足手まといだし」


 そう語る海人に、犬麻呂はしばらくぽかーんと呆けた表情をしていたが、


「おおー! ソイツは殊勝な心掛けじゃねェか!」


 彼は海人を肩を掴んで嬉しそうに揺らす。そして海人の背中をバンと叩き、ニカッと笑った。


「そういうことなら大歓迎だぜ。よし、こっちだ! 稽古をつけてやる!」


 ▼△▼


「まず、神子さんがどんだけやれンのか見ておきてェ」


「おう!」


 威勢のいい海人の返事に、犬麻呂は満足げに頷く。そして、木刀を一振り海人に投げた。


「とりあえず十本勝負だ。俺にいっぺんでも当ててみろ!」


 犬麻呂が構える。海人も見様見真似で同じく構えた。彼は授業でやった剣道の他に剣術の経験がない。それゆえ構えからして不格好極まりないのだが、犬麻呂はお構いなしである。


「じゃあ、行くぜッ!」


 ――早っ!


 踏み込みと同時に犬麻呂が視界から消える。満仲程ではないが、尋常ならざるスピードだ。


「……っ!?」


 気づくと、首筋に刃が当てられている。あまりに一瞬の出来事に、海人はしばらく呆然としていたが、


「まずは一本」


 ニヤリと笑う犬麻呂。そんな彼の反応に、海人は自分が負けたことをようやく理解した。


「くそっ!」


 そう息まき、再び木刀を取って突っ込む。しかし、突き出した剣筋が逸れた瞬間、どういう訳か横っ腹に犬麻呂の木刀が当たっている。また一本取られたというわけだ。しかし海人は諦めない。彼は再び構える。そして――


「うりゃあ!」


「ぬぉっ!」


「アカーン!!」


 いとも簡単にあしらわれる海人。十本勝負はあれよあれよと進み、結局10―0で犬麻呂の圧勝という結果に終わった。


「弱ェな! 知ッてたけどよ」


「じゃ、じゃあなんで試したんだ……」


「一応?」


「一応で客人のプライドずたずたにへし折るなよ……」


「悪ィ悪ィ」


 そう言いつつ悪びれる様子は欠片もない犬麻呂。海人は己の弱さに打ちひしがれる。そんな時、犬麻呂は腕を組みつつ口を開いた。


「やっぱ術式の方がマシかもなァ」


「術式?」


「そ、契神術の術式。アンタ仮にも神子だし、そっちの適性はあンだろ」


「おおっ!」


 凹んでいた海人に突如飛び込んできた朗報。俄然彼のテンションは上がる。それもそうだ。男子たるもの、異能の力に胸をときめかせないはずはない。彼は食い気味に犬麻呂に駆け寄った。


「で、どうやるんだ?」


「その前に、契神術についていくつかおさらいしておく必要がありますね」


 ふいに後ろから飛んできた声。


「あ、師忠さん」


 ニコリと微笑む美丈夫。そんな彼を一瞬嫌そうな顔で見て、犬麻呂は海人に耳打ちする。


「神子さん、宰相殿の話は長い上に小難しいから適当に聞き流していいぜ」


「そこ、聞こえていますよ」


「げッ!!」


「まあ良いでしょう」


 そう告げると、師忠は一つ咳払いする。彼は海人の顔を見ると、穏やかに口を開いた。


「さて、契神術が神の力を借りる術なのは前に説明したとおりですが、逆を言えば、力を貸してくれる神の存在が不可欠……つまり、契神術最大の要件は神との結縁けちえんです」


「……結縁って何?」


「書いて字の如く、縁を結ぶことですよ」


 微笑を浮かべたままの師忠に、海人は怪訝な表情で応じる。そして彼は視線を上に向けて腕を組んだ。


 ――えっと、つまり……術式使う前に予め神様と知り合いになっとかなきゃいけないってこと? 


「まあそりゃ、見ず知らずの赤の他人に力を貸せっていうのも無理筋か……」


 師忠の言葉をかみ砕いて、海人は納得したように呟く。しかし彼は、すぐに別の疑問に思い至って「ん?」と声を漏らした。


「縁を結ぶったって、どうすれば?」


「基本的には血縁ですね。先祖に当たる神とは生まれながらにして縁が結ばれている。それ以外でしたら、代々の祭祀などでも縁は結べますね」


「なるほど……?」


 海人は腕を組んだまま、眉間にしわを寄せる。なんせ、まったく馴染みのない概念だ。当然のように語られても困る。彼はしばらく考え込んでいたが、


 ――それって要するに、ほぼ家柄ゲーじゃね?


「俺多分ダメじゃん!」


 海人は悲痛な叫びを上げる。というのも、彼はごく普通の一般家庭の出だ。代々の祭祀なんかやってるはずないし、先祖が神様なんて聞いたこともない。そもそも、自分の苗字が思い出せないのだ。これでは縁のある神様なんていないだろうし、いても全く心当たりがない。

 がっくしと膝を付く海人を痛まし気に眺めて、師忠は口を開いた。


「そうですね……貴方がどの血筋か分かりませんし、仮に名家に繋がる血筋だったとしても、嫡流から離れていてはその縁も弱い。祭祀が絶えているなら尚更です」


「じゃあ!」


 半分涙目で訴えかける海人。しかし、師忠は人差し指を唇に当て、意味深な笑みを浮かべる。


「ご安心ください。契神術というのは、何も記紀に出てくるような神ばかりと契るものではありません」


「……えっ」


 意味は分からない。だが、安心してと言われた以上、海人にとっては希望の言葉だった。にわかに元気を取り戻す彼に、師忠は穏やかに告げる。


「名もなき神……いえ、神霊といった方が良いかもしれませんが、彼らは特に制約もなく力を貸してくれる」


「制約なしでっ!?」


「はい。彼らと契る術式を、特に霊術と呼びます」


「霊術……」


 どこかで聞いた単語だ。海人は数日の記憶を辿る。


「あ、仁王丸が使ってたヤツか」


 師忠は「ええ」と首肯する。


「ただ、制限が小さい分効果も小さめなのが難点ですね」


「やっぱりそういう系か。MP消費少ないけどダメージもしょぼい的な……」


「……? まあ、きっとそうでしょう。しかし、その分使い勝手はかなり良い。それに、出力の小ささも技術で補えるくらいには自由度が高い術式構成になっています。玄人向け、もしくは神気の多い素人向けの術式ですね」


「ふむ」


「見たところ貴方は神気量が多い。十分使える素質はあると思いますよ?」


 ニコリと微笑む師忠。そんな彼に、海人も表情を明るくした。

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