第25話:目覚めたそこは、見知らぬ世界だ(ry)

 ふと、目を覚ませば見知らぬ天井がまずあった。

 無機質な灰色ではない。どうやら樹木を切り抜いて住宅へと改造しているらしい。

 清潔感あふれる内観は、ついさっきまで人がいたことを物語る。



(ここは、どこなんだ……?)



 抱いて至極当然な疑問も、ふわふわと心地良いベッドの感触に妨害される。

 思わず屈しそうになった一颯だったが、はたと周囲を見やった。



「……楓? リフィルさん!? アニエス!」



 これまで共にした仲間の不在に、一颯の意識はようやく覚醒を果たす。

 同時に前後の記憶が鮮明に蘇った。



「そうだ……俺は、確か――」



 一颯の脳裏に浮かぶ炎の勢いは酷く猛々しい。

 楓の一言によってすべてが崩壊した、あの雨の日のことである。

 情けなくも当時の一颯は、誰よりも真っ先に気絶してしまっていた。

 気絶してから、いったい何が起こったのか。一颯は皆目見当もつかない。


 とりあえずは、まず五体は満足である。それについては心底ホッと一颯も胸を撫で下ろした。



「と、とにかくこんなことをしてる場合じゃないな……」



 幸いにも、装備の類はすぐ近くにある。


 部屋の主人は泥棒や追いはぎの類ではないらしく、そこから情報を得るのが先決だろう。


 今はただただ、一颯は不在である仲間の安否を気遣った。

 キィッ、とそれは扉の開閉音で一颯はハッとした顔で音のする方を見やった。



「――――」



 思わず、絶句した。



「あ、気が付いたのね!」



 入室した来訪者――否、家の主の顔にぱっと花が咲いた。



「ア、アルマさん……」



 何故に裸に割烹着エプロン姿なんだ!? 俗に言う、裸エプロンという文明は、葦原國あしはらのくににも一応存在はする。


 ただし、決して低俗な意味合いではなく愛し合う夫妻のためにあるようなもの。

 ざっくりと言えば、夫婦生活がマンネリ化しないための工夫の一つ、である。

 夫婦ではいのはもちろんのこと。

 ただこのアルマという女性は一颯を、生き別れた息子として強く誤認している。


 息子と母親、仮に両者がそういった間柄であっても常識的に考慮すればアルマの行動ははっきりと言って異常という他あるまい。



「ようやく起きたのね。まったく、エリオットちゃんはお寝坊さんなんだから」

「ちょ、ちょっと待ってくださいアルマさん! ど、どうしてあなたがここに……というかその恰好は……いや、そ、それよりも他の皆はどこに!?」

「もう、エリオットちゃんまだ寝ぼけているの? 仕方ない子ね。とりあえずもう朝ごはんが出来てるから早く準備してらっしゃい」



 困惑する一颯を置いて、アルマの顔は終始ニコニコ顔だ。

 ぱたぱたと、鼻歌交じりで上機嫌な彼女を、一颯はどうすることもできない。

 視界から完全に消失した後でも、ぼんやりとしばし見つめて――



「――、ちょ、ちょっとアルマさん!」



 聞きたいことが山ほどある。


 慌てて追いかけた一颯は、机にずらりと並ぶ料理の豪勢さに思わず生唾をごくりと飲んだ。



「ふふふ、どう? ママお手製の料理よ? 今日はエリオットちゃんとの記念日だからお昼から頑張っちゃったわ」

「す、すごい……」



 極貧な生活ばかり送ってきた一颯が、いわゆる御馳走を最後に口にしたのはもうずっと昔のこと。


 新鮮な鯛の刺身や、山菜から魚介類をこれでもかとふんだんに用いた天ぷらなどなど……もう二度と食せないと嘆いては、つけものをそれらに見立て食すと言う。


 傍から見ればさぞかし情けない光景だっただろう、と一颯は自嘲気味に小さく笑った。


 それはさておき。


 大陸の文化は葦原國あしはらのくにとはまったく異なるのは、今更すぎる情報だ。


 米がないことは、葦人である一颯と楓にとって凄まじい衝撃であった。


 それを補うのがパンなどで、はじめて口にした二人の感想も、もっさりとして味も薄くイマイチという。お世辞にも高評価とは言い難い。


 アルマが用意した料理は見栄え、匂い、どれをとっても申し分なし。

 肝心な味の方も、おそるおそる口にした一颯もその顔を一瞬にして綻ばせるほど。



「……こんなにうまい料理食べたのは、はじめてかも」



 嘘偽りのない感心を示す一颯を、アルマがにっこりと微笑んだ。

 米がないことだけが一颯の中で唯一悔やまれることではあるが。

 それを帳消しにするぐらい、アルマの手料理は絶品の域にある。


 これで満足しないはずがなく、さっきまであった疑問や困惑もすべて料理で片づけられたことさえも、一颯はまったく気付かない。


 あっという間に平らげた一颯の腹部は、だらしなくぽこっと膨らんでいる。



「ふふっ、こうやってたくさん食べてくれてママとっても嬉しいわ」

「いやぁ、お世辞抜きにして本当に美味しかったですよ。ところで――」



 途端にさっきまでの笑みがアルマからぱたりと消えた。


 大方、何を言わんとするかを察したらしいが、一颯は意に介することなく言葉を紡ぐ。

「それよりもここはどこなんですか? 他の皆はどこにいったんですか?」


 目覚めてすぐに狼狽したのは、あまりにも情報が不足していたからに他ならず。

 現在いまは、元凶がすぐ目の前にいる。

 何故このような暴挙へと至ったか。一颯が一番欲したのは動機であった。



「――、エリオットちゃんはあの悪い人達に騙されていたの」

「おいおい……」



 突拍子もない一言には明確な殺意が孕んでいる。

 平穏だった室内の空気もがらりと変わり、凍てつくような寒さが帯びる。

 しかし一颯は動じることなく、アルマの言葉を傾聴し続ける。



(とにかく、今はアルマさんを刺激しないようにしないと……)



 逃げるチャンスならば、恐らくこの先必ず訪れるであろう。そんな確信が一颯にはあった。


 今はとにかく、アルマを刺激しない。たったこれだけに全神経を集中する。



「だからね、あの悪い人達はもういないから安心してねエリオットちゃん。これからはずっと、ママがエリオットちゃんを守るからね!」

「あー……」



 ここでアルマを否定する言葉を発したなかったのは、得策ではないからだった。

 一颯は腐っても、大鳥おおとり 一颯いぶきである。

 それ以下でも以上でもない。

 だがあえて肯定しなかったのも、今後の活動をよりしやすくためでもある。



(あんなものを見せられたら、さすがに今まで通りってわけにもいかないからな)



 アルマは魔法使いである。


 武術……ないし、物理手段による戦闘経験のない一颯にとって、脅威と呼ぶ他ない。


 このまま相対しても十中八九、自分が負けるだろう。


 記憶喪失……これには演技力の有無が大きく要求されるが、一颯は記憶がないフリをすることを選択した。


 しかし、演者でもなければましてや演じたことさえも一颯には皆無である。



「あー……その、なんだかこの家にいると妙に懐かしい感じがするっていうか、なんていうかうまく言えないんだけど……」

「――、ッ! そうよエリオットちゃん! ここがあなたとママのお家なの。ようやく思い出してくれたのね!」

「いや、思い出したって言うか、そこらへんについては全然だ――」



 どうやら悟られていないようだ。

 我が子を失ったことで盲目的になった彼女は憐れでもあり、謀りやすくもある。


 むろん、これから騙そうとするのだから一颯にも罪悪感が決してないわけではない。


 とは言え、いつまでもこうしているつもりも一颯には毛頭ない。



(アルマさんには申し訳ないけど、俺はあなたの息子じゃありませんので)



 満面の顔して後片付けをするアルマの背中を、一颯は静かに見つめた。

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貧乏剣聖と麗しき戦乙女達~いいから私のモノになりなさいよね、幸せにしてあげるから!~ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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