第24話:禁句

「お、おい楓……!」



 と、一颯は咎めるが楓はまったく止まる気配がない。



「お兄ちゃんは、私の家族なの! あなたの気持ちがわからない……わけじゃないけど。でもお兄ちゃんはあなたの子供じゃない! あなたの子供は、もう――」

「楓それ以上は言うんじゃない!」



 一颯の怒声に、楓はぴたりと口を閉ざした。

 しんとした静寂は、酷くどんよりとして重苦しい。


 誰も口を開かず顔を俯かせる中で一颯だけが、アルマの顔色をうかがった。


 アルマを除いて、この場にいる全員が恐らくは同じ結論へと至っている。

 死、と言うこの言葉をアルマの前で口にしてはならない。


 何故そのような発想に至ったかは、こればかりは勘としか一颯も言い様がなかった。


 しかし、その勘に一颯は根拠なき確信があったのも事実である。

 だからこそ決して口にすまいと自らを強く律した。

 危うくのところで、その努力も水泡に帰すところではあった。

 最後まで言葉が紡がれることなかった。

 だが、誰しもがその先の内容に気付かない愚鈍な人間はこの場にはいない。

 アルマとてそれは例外にもれない。



「エリオットちゃんが……死ん……だ……そんなわけ、ない……」

「アルマさん落ち着いて!」



 さっきまでと明らかに様子が違う! 一颯にアルマと戦う意志など最初ハナからなく、しかし抜刀の体勢で楓の前に立ったのは生存本能が著しく稼働したからに他ならない。


 ぶつぶつと呪詛のようにもれるその呟きは、あまりにか細くて内容を解読することはできない。


 ただし、全身より沸々と湧く禍々しい闘気だけは、ある意味言葉よりも素直である。


 嫌な予感がする。一颯がそうと直感した、次の瞬間。

 一颯がまず耳にしたのは、鼓膜をつんざくほどの轟音だった。

 さながら至近距離で大筒……否。

 大筒よりももっと大きい、それ以上のもの――大砲による砲撃音が近しい。


 きぃんと鼓膜が反響する不快感を実感する間もなく、凄まじい衝撃に一颯は見舞われた。


 人体が軽々と吹き飛ぶぐらいの威力である、剥き出しとなった岩壁に叩きつけられて無事では済まされない。



「がはっ……!」



 背中から全身へ、電光石火で駆け抜ける衝撃と痛みに一颯は表情を歪める。

 内臓も今ので損傷したらしい。一颯の口から鮮血が排出される。



「エリオットちゃん!」



 と、そう悲痛な叫びを出したのは一颯を傷付けた張本人だから、それを目の前にした楓から殺気が立ち上るのは当然の反応と断言できよう。



「お兄ちゃんに何するのよ!」



 顔が青くなるぐらい怒り心頭の楓の右手は、腰の得物をすらりと抜き放つ。

 如何なる場所であろうとも先んじて敵手を斬る。

 それが鬼鉄一刀流おにがねいっとうりゅう、陽の太刀。

 この洞穴は、刀を振り回すのにあまり適した環境ではない。


 少しでも大きく振り上げれば切先は岩肌に触れて、刀事態を駄目にしてしまいかねない危険性があちこちに孕んでいる。


 よって楓が折敷によって斬る体勢を取ったのは的確な判断だった。



「ふっ!」



 稲妻と形容するのに相応しい唐竹斬りは、まっすぐとアルマの頭頂部へと落ちる。

 頭蓋骨は人体の中でもっとも堅牢に作られた部位だ。

 剣の達人でさえも真っ二つ、というのは実はこれがなかなか難しい。

 そして重要なのはやはり、なんと言っても得物の質である。

 心技体、それを更に飛躍させる良質な刀がそろってこそはじめて成立する業だ。


 楓の得物――鬼包丁は一颯のものと同じく、千子村正せんごむらまさによる作刀である。


 号が示す鬼包丁――その由来は、鬼をいとも容易く斬るほどの切れ味を誇る、というもの。


 実際のところ、楓はこれで鬼の右腕を斬っている。


 刃長二尺二寸約66cmの胴太で肉厚な刃が容赦なく、アルマの頭頂部から股下まで一直線に斬り進んだ。



「なっ……」と、楓。



 驚愕に歪んだその顔で目にしたものは、健在であるアルマの姿。

 虚空を斬った刃の先に、アルマがいる。



「楓の初太刀を見切っただと……!?」

「さすがは“紅蓮の魔女”……噂通りの実力者ですね」

「魔法を得意とするのにあの体捌き……あの人、体術も長けてる!?」

「エリオットちゃんは……エリオットちゃんはウチの大事な息子なんです! 返して……返してェェェェェェェェ!!」



 刹那、ひんやりとした洞穴が一瞬にして灼熱地獄と化した。


 アルマを中心にごうごうと燃え盛る紅蓮の炎柱が昇れば、行き場のない炎は中で出口を求めて荒れ狂う。


 なんという熱さか。ちりちり肌が焼かれる感覚は苦痛そのもの。


 喉は渇きを訴え、呼吸もままならなくなるのを一颯は、不幸にもアルマと一番距離が近しい。


 炎は酸素があってはじめて燃える。


 洞穴を満たしていたはずの酸素が急速に失われて、一颯は軽い呼吸困難に陥っていた。


 だんだんと視界が薄れていく中で一颯は、自身よりも他者の身を案じる男である。


 楓にリフィル、アニエスが雨が降る外へと飛び出していったのを最後に、一颯の意識はそこでぱたりと落ちた。

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