第23話:嵐の吹く予感に似たり

「――、取り乱してしまい申し訳ありませんでした。ウチの名前はアルマと申します」

「アルマ……? もしかして、あの“紅蓮の魔女”のアルマ様ですか?」



 と、リフィルの言葉に一颯がすかさず彼女の方に視線をやった。

 この二人は知り合いなのか……? よくよく見やって、そうではないらしい。


 アルマの方は異名で呼ばれるとは思っていなかった、とそう言わんばかりに目を丸くしている。

 両者が旧知の間柄であればこの反応はおかしい。

 よって赤の他人同士である、がその存在を知っていることは即ち、アルマは相応の知名度があるほどの人物らしい。


 アニエスもしばしの沈黙した後に「まさか、あなたが……!?」と、一人だけすさまじく驚愕していた。



(このアルマって人はそんなに凄い人なのか? 俺にはそんな風には見えないけど……)



 一颯のアイカに対しての評価はお世辞にも高い方ではない。

 単純に危険な人物だ、という印象は現在も否めずにいる。



「アルマ様は生まれながらにして高い魔力を持ち、不老長寿にして男女共に美しい容姿が特徴的なエルフと呼ばれる種族です。その中でもアルマ様は火の魔法を誰よりも得意とし、かつては誰一人として討伐できなかった伝説の悪竜レッドドラゴンをたったお一人で討伐されるほどの、凄腕の大魔導士なのですよ」

「そんなに凄い方だったんですか……!」

「そ、そんな……ウチは別にそこまで凄くはないですよ。自分にできることを成す、あの時はただそれだけで動いてしましたので、誰かに称賛されたいとかはまったく考えていませんでした」



 なんだか、とても普通の女性だ。

 落ち着いているアルマはとても温厚で御淑やかな、それこそ一颯がよく目にする女性像だと言えよう。


 礼儀正しく謙虚な姿勢は見ていて気持ちがいい上に好感も持てる。


 今日までに出会った女性の大半が、超積極的な餓狼ばかりだったので、一颯はより一層アルマに好感を持った。


 とは言え、いきなり息子と誤認された衝撃は未だ拭えずにいる。

 本題はここからだ。

 一颯は一呼吸の間をおいて、ついにアルマへと本題を振った。



「では、そろそろ教えていただけませんか? さっきあなたは俺のことをエリオット・・・・・と、そう言っていましたよね?」



 一颯がこう尋ねた、次の瞬間。

 穏やかで温厚だったアルマの雰囲気ががらりと変わる。

 せっかくの美しい顔も絶望に染まり、心なしか両肩が小刻みに戦慄いている。

 エリオット……彼女にとってこの単語は禁句に該当するらしい。


 他人の心の傷トラウマを抉るような形になってしまったことを一颯は悔いたが、だが真実を知る必要がある。


 さもなくばずっと他人と間違われそうな、一颯はそんな気がしてならなかった。

 アルマは、なかなか話そうとしない。


 他人の己のトラウマをそう易々と世間話よろしく気軽に話せる者はなかなかいない。


 故に一颯はアルマを急かしたりしない。


 本人が語れるタイミングが訪れるまで、ただジッと静かに時がくるのをひたすらに待った。


 雨音が少しずつ弱まっていった。一颯がそう思ったのとほぼ同時である。



「――、ウ、ウチには一人の息子がいました」



 と、そう語るアルマの声はなんともか細く弱々しい。


 やっとの想いで絞り出したと言わんばかりの声量だが、一颯にはそこに途方もない悲しみが宿っていることをすぐに気付いた。



「あの子は……エリオットは、ウチにとってどんなものよりも大切な宝物でした。無邪気で、誰にも分け隔てなく優しくて、太陽のように明るく自慢の子供でした。だけどある日のことです、ウチがほんの少し目を離した隙にあの子は……!」

「アルマさん、どうか落ち着いてください。もう、大丈夫ですよ……」



 一颯はすべてを察してしまった。

 アルマは、最愛の我が子を失ってしまったのだ。

 大切にしていた我が子を親よりも先に失う。


 その絶望と悲しみは想像を絶するものだろう、というなんとも月並みな感想しか抱けない。


 痛みも悲しみも、真に理解できる人間など当事者を除いてこの世にはいないのだから。


 かわいそうに、辛かったな、など――慰めの言葉は多々あれど、結局どれもこれも自己満足を飾るためにあるような言葉ばかりだ。


 故に一颯は、アルマに同情の言葉を掛けない。


 一颯と楓も確かに母を失い、その悲しみは一日中泣き散らしたほどの凄烈な痛みが心に残った。


 けれども現在は貧乏ながらもそれなりに楽しい毎日をすごしているという自覚がある。


 少しの間、辛い過去を思い出したことによる嗚咽が洞穴に虚しくこだまして、アルマは小さく吐息を一つ。


 涙によって目元が腫れぼったくなっているが、そのようなことで彼女の美貌は失われない。



「――、エリオットは……川で溺れていた友達を助けようとしたんです。男の子って御淑やかで大人しい子が多いのに、あの子は何事も自分から率先してやる子でした。そうして溺れていたその友達は助かったのですけど、あの子は……」

「……見つからなかった、のですね」

「……何日も、何年も、何十年もあの子の足取りを追いました。きっとあの子はどこかで生きている、そう信じてずっと、ずっと……!」



 彼女の境遇を考慮すれば、やっとの思いで再会できた我が子なのだ。


 例え人違いと言う悲惨な結末であろうと何年、何十年という気が遠くなるぐらいの時間をずっと探していた我が子と思わしき人物にようやく出会えた。


 甘い言葉ならば、探さずともその辺りにごろごろと転がっている。


 憔悴しょうすいしたアルマに寄り添うように甘く、優しい言葉を掛けるだけで少なくとも心は救済されよう。


 噓も方便、という言葉が葦原國あしはらのくににもあるぐらいだ。

 それは果たして、正しきことなのか。

 その場凌ぎの嘘は返ってアルマの心を傷付けるだけにすぎない。


 本当に彼女のためを思うのであれば――一颯は静かに息を整えて、ようやく口を開く。



「……心中、お察しはします。だけど俺は、今も昔も大鳥おおとり 一颯いぶきなんです」

「そうだよ! だってお兄ちゃんとはずっと子供の頃から一緒にいたんだから! それに、もしお兄ちゃんがアルマさんの子供だったら、耳が尖っててもおかしくないんじゃない?」



 楓の指摘に一颯は、言われてみればそうだ。

 何故もっと早くにこの事実に気付かなかったのだろう。


 妹の観察力に一颯は心底感心した。エルフが不老長寿である以外に、人間と唯一絶対的に異なる特徴は後天的に得られるものでもない。


 一颯の耳は、言うまでもなく丸みを帯びている。


 これこそアルマの息子ではないという絶対的な証拠になると、一颯も確信していた。



「た、確かにエルフは男女共にウチのように耳が尖っています。ですがごく稀にそうでないエルフも生まれるんです!」

「え、何ですかそのピンポイントな設定……リフィルさん」

 決して疑うわけではないが念のため。大陸の情勢については誰よりも詳しいリフィルへと一颯は尋ねた。

「そう、ですね。正直に申しますとわたくしも実際にそのようなエルフを見たことはありませんが……人間だと思っていた相手が実はエルフだった、という話は確かに、いくつか聞いたことがあります」

「あ、私もどこかで聞いたことがあるかも」と、アニエス。



 二人からの証言にアルマの発言がこれで虚偽でないと証明された。



「ウチは……やっぱりあなたがエリオットちゃんとしか思えないわ!」

「いや、だからそう言われましても……あっ! 俺、魔法がまったく使えないですよ!」

「魔法は教えればエルフなら誰にでも使えるようになるわ。ママが教える前からいなくなっちゃったから、魔法が使えなくて当然よ。大丈夫、ママがゆっくりと教えてあげるからね」

「いや、そういう意味じゃなくてもっと根本的な意味合いでってことなんですけど……」



 言動が完全に母としてのそれに変わったアルマに、一颯は思わずたじろいだ。



 何十年という絶望と寂しさの中、たった一人で愛する我が子をずっと探した母の偉大なる愛には一颯も敬意を表するところではあるが、それ故に拗らせた彼女にもはや正論が通用しない現状に、焦燥感ばかりが尽きることなくどんどん募っていく。


 次にどんな行動に出るか、これが一介の剣士などであればを読むのは容易い。


 だが、アルマは違う。


 負の感情があまりにも濃厚にして濃密すぎるがために、一颯はまったく未来が読めなかった。


 ほんのちょっとした衝撃で大爆発を起こしかねない危険物に囲まれたような、そんな心境。


 何が引き金となるか予測できない以上、下手な行動は死を招くのみ。


 一颯の中にあったアルマの印象は子供想いの優しい母親である、本来歩むべきだったはずの未来であれば――ヒトは絶望に長くいると、このようになってしまうものなのか……! ごくりと一颯が生唾を飲みこんだ、それよりもほんの少しだけ早く。



「ちょ、ちょっといい加減にしてよね! お兄ちゃんは私のお兄ちゃんで家族なんだから!」



 と、楓がまくし立てるように強くアルマへと言い放った。

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