第22話:生き別れた母と息子の再会……んなわけ。

 雨は相変わらず、ざぁざぁと降りしきる。

 結局一颯達は、その洞穴から出ることなく、やがて夜が訪れた。


 昼間のような喧騒は今や完全なる静寂へと包まれて、そこに奏でられる雨音がなんとも心地良い。


 皆がすっかり寝静まった中で一颯は、ちらりと旅人の方を見やった。

 どうなってるんだ、この人は? 訝し気な視線を一颯が向けるのも彼女を見やれば無理もあるまい。


 ついさっきまで枯れ枝のような手足も、すっかり喪失した生色もすっかりと取り戻したその旅人は、男であれば誰しもが心奪われよう。


 絵に描いたような、絶世の美女……この言葉は正しく、彼女のためにあるようなものだ。そう宣う者がいても、一颯はなんら異論を唱える気はない。



 何故なら一颯も見惚れた男の内に含まれるのだから。



「きれいな人だな……」と、一颯。



 ハッとした顔で慌てて周囲を一瞥いちべつして、すぅすぅと心地良い寝息にホッと胸を撫でおろす。


 特に楓にさっきの発言を聞かれるわけにはいくまい。


 どきどきと少し忙しのない鼓動を落ち貸せる傍らで、しかしこの旅人が美しい女性であるというのは、紛れもない事実だ。


 褐色肌に刃の如き銀色の総髪ポニーテール、耳の先がさながら鋭いやじりのように尖った形状は、葦原國あしはらのくにでは恐らくは見かけない容姿なので非常に物珍しい――一颯の赤髪でさえも、周囲からは物珍しいとしばし見世物扱いを受けたぐらいだ。


 故郷に連れれば間違いなく、たったの一日で注目の的になるのは火を見るよりも明らかである。


 しかし、一颯の関心は容姿よりもすぐに別の要素に釘付けとなる。

 旅人の左腕は、栄養を摂取したことで本来の姿を取り戻したとでもいうのか。

 身近にあるもので形容するならば、それはきっと籠手が一番しっくりとこよう。

 人間のソレとはまるで違う。

 禍々しくておどろおどろしささえもある、異形の左腕。



(大陸にはいろんな人種がいるとは聞いたけど、この人がそれっぽいな?)



 ともあれ、死に体に近しかった状態も現在ではすっかりと安定している。

 ボロボロの外套の下に隠れていた身体――もとい、衣装の露出度についてはもう、あえて何も言及しないことにした。


 大陸ではこれが普通なのであり、外部の人間がどうこう言うものではないのだから。

 アニエスのような鎧ではなく、包帯を巻きつけたかのような出で立ちは特に個性的と言えよう――楓がもし同じような恰好をするなどとのたまおうものなら、全力で阻止するが。


 とりあえず、明日こそは晴れることを祈って一颯が旅人から視線を外した、次の瞬間。



「あ……」

「おっと」と、一颯。



 袖を引っ張られた感覚に視線は自然と引力の方へと定まる。


 どうやら起きたらしい。燃え盛る炎のように色鮮やかな真紅の瞳がまっすぐと、一颯を見つめていた。



「目が覚めましたか? まぁほとんど寝てすごしていたわけですし、眠気がなくなるのも無理はないですけど。だけどまだ安静にしておいた方が――」

「……オット」

「え?」

「エリオット……あぁ、エリオットちゃん! 生きていたのね……!」



 聞き慣れない名前で呼ばれたかと思いきや、突然ボロボロと大粒の涙を流したりと感情が滝のようにあふれる女性の様子に一颯は困惑した。


 エリオットという人物が何者かは当然知る由もなく、だが女性が誰かと勘違いしているのは明白だ。


 一颯は宥めつつもはっきりと告げる。



「まずは落ち着いてください――それで、大変申し訳ありませんが、俺はそのエリオットなんていう名前の人物じゃありませんよ」

「え……? エ、エリオットじゃ……ない? そんな、だって……」

「俺の名前は大鳥おおとり 一颯いぶきです。葦原國あしはらのくにって言うところからこのヴァルハラ大陸に訳あってきました」

「う、嘘よ……あなた、エリオットちゃんなんでしょ!? ねぇママのこと……憶えていないの? ウチよ、アルマママよ!?」

「え……マ、ママ……ってことは、母さんってこと?」



 いやいやいや、それはありえないから! 突然母を名乗られたものだから数瞬だけ思考が停止した一颯は、我に返ると激しく過剰なぐらい否定した。


 一颯の母親はこの世においてはたった一人のみである。


 大鳥 ともえ……それは誰よりも優しく、寧ろよくあの貧乏な父の下に嫁いだと思ってしまう。


 美人で決して笑みが絶えなかった自慢の母も、一颯がまだ齢5歳の頃にこの世を去っている。


 その母親を屈辱されたような気がして、一颯も自然と旅人を見やる眼に鋭さを帯びた。


 嘘を吐くのならもう少しまともな嘘を吐けばよいものを、と睨む一颯だったが、旅人――アルマと名乗る女性を見やるに、どうも嘘を吐いているようにも何故だか思えない。



「俺の母親は大鳥 ともえ……ただ一人だけです。だから俺はあなたの子供でもないし、誰かと勘違いされています」

「そんな……だって、その赤い髪に私と同じ緋色の瞳……エリオットちゃんなんでしょう!?」

「ですから――」



 どう説明すればよいものやら……。雨音をかき消さんばかりの勢いで詰め寄るアルマに、一颯がたじろいでいると、これだけぎゃあぎゃあと騒いだのだ、気付かない方が無理というものである。


 三人は、心地良い眠りを強制的に起こされたから。

 端正な顔立ちも不服そうに歪んでいる。

 のそりと起きた楓に、一颯はすかさず助けを求めた。



「お、おい楓! お前からもなんとか言ってくれないか!?」

「うぇぇ……? どぉしたのお兄ちゃん……昨日あんなしたくさんしたのにぃ……」

「は? おまっ、何寝ぼけてるんだよ! いいから今はとっとと起きてくれ!」

「ん~……」と、楓。



 最初こそ寝ぼけ顔だったが、徐々に霞んだ視界が鮮明になってきたのだろう。

 カッと目を見開くや否や、腰の愛刀――鬼包丁に手を掛けた。



「私のお兄ちゃんに何やってるのよぶっ殺すわよ!」

「まぁ、物騒極まりない発言ですねカエデ様」

「こ、この子はウチの息子のエリオットちゃんなの! そうに違いないんだから!」

「……へ? む、息子? エリオット? え? いったいどういうこと……!?」

「あ~……やっぱりそうなるよなぁ」



 いきなり母を名乗る人物が現れれば、楓の間の抜けた顔もごく当たり前のこと。

 リフィルやアニエスも、そうなの、と言いたそうな顔をしている。

 生憎とすべてこの人も妄言に過ぎない。


 ぽかんとする楓もようやく我へと返り、どうにか妹の助力あってアルマを引き剝がすことに一颯は成功した。



「エリオットちゃんお願い! ママから離れないで!」

「ちょ、ちょっと待って! あ、あなたはさっきから何言ってるの!?」

「と、とりあえず皆落ち着いて! まずは一度冷静になって話し合うべきじゃないかしら?」

「そ、そうだな。とりあえず一度落ち着こう」



 アニエスの至極真っ当な意見にはすさまじく一颯も賛同する。

 とにもかくにも、アルマから事情を聴かないことにはどうしようもできない。

 何故母と名乗り、あまつさえ一颯をエリオットと呼ぶか。

 その答えを持っているのは皆アルマただ一人だけなのだから。


 アニエスからの説得もあってアルマは、まだオドオドと落ち着かない様子でこそあれど、さっきのように感情をむき出しにすることもない。


 ただし視線だけは一颯を、ただ一点だけをジッと集中している。

 これはこれで、落ち着かない……咳払いを一つ。

 どうにか全員冷静になったところで一颯は、改めてアルマに事情を尋ねた。

 他人と息子、本来であれば誤認するはずのない。

 大切な存在を誤認するぐらい精神的に参っている。

 それ相応の事情が彼女にはあるに違いなかろう。一颯はそう判断した。

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