第21話:あーん、は憧れ

 気遣いも何もあったものではない。


 無理矢理液体を流し込まれたのだから、さすがに衰弱しているとは言え当然条件反射で咽るし狼狽もする。


 息苦しさに目を覚ませば見知らぬ人間に囲まれた挙句、謎の怪しげな液体を無理矢理摂取させられているのだから、無理もあるまい。


 ここで下手に暴れるだけの体力がないことが幸いか。

 一颯はようやく、怪しげな薬を飲みほして咽るその旅人に声を掛けた。



「と、とりあえず落ち着いてください! やり方については俺の方から謝罪しますけど、とにかく怪しい者じゃありませんし、あなたに危害を加えないことも約束しますから!」

「わたくしとしてはこれが一番手っ取り早くてやりやすい方法だと思ったのですが」

「あなたはもっと、人の気持ちに添えるようにした方がいいんじゃない? そんなだから友達ができないんだってば」

「と、友達ぐらいだったらたくさんいます!」

「……とりあえず、気分の方はどうですか?」

「…………」



 一颯がいくらか問いかけたものの、旅人は何一つ答えようとしない。

 警戒しているから、ではない。

 その証拠に旅人の口はぱくぱくと必死に動いている。



(何か言いたいことがあるみたいだな……でも、とりあえずそれはもう少し先か)



 当たり前であるが、旅人の体調コンディションは完全ではない。

 これもきっと、何かの縁。


 ひとまず救いの手を差し伸べたが、ここに放置して自分達だけが先に行くわけにもいくまい。


 背負っていこうにも生憎とこの天候ではそれも適切ではない。


 いましばらくはこの洞穴ですごすことになりそうだ、と一颯は――弱々しくあるのに、ぎゅっと強く羽織の裾を掴んで離そうとしない旅人に不可思議そうに小首をひねった。



「えっと、俺に何か?」と、一颯。

「あ……うぅ……」と、旅人。



 やはり肝心の声が出てこない。一颯は優しく旅人の手を解いた。



「……とにかく、今はゆっくりと休んでください。今無理をしたら身体を本当に壊してしまいます。今ちょうど食事の支度中なので、体力の回復をあなたは専念してください――リフィルさん、何か粥みたいな、消火に優しいものって作れたりしますか?」

「その問い掛けは愚問と言うものですよイブキ様。何と言ってもわたくし、友人がもっとも多いことで有名でもあるメイド兼近衛兵長ですから」

「お兄ちゃんいざって時は私がするから安心してね?」「私は……うん、見回りに専念するわ」

「ちょっと! わたくしのこと信じていませんよね!?」



 またしてもぎゃあぎゃあと騒がしくなる雰囲気に、一颯は小さく笑った。

 女が三人集まれば姦しい、とはよく言ったもの。

 まったくもってそのとおりだと思う一方で、自分は自分ができることを。

 一颯は包丁を片手にリフィルの補佐に入った。



「イブキ様、お料理の方はできるのですか?」と、リフィル。

「いや、さすがに食事処と同じにされたら困りますけど、それなりにはって感じですよ」

「――、葦原國の殿方は全員、そう言ったものが苦手だと言う印象がありましたが」

「まぁ、確かにどっちかと言えば苦手というか、そういうのは女性の仕事みたいな雰囲気が無きにしも非ずですね。だけど相撲部屋なんかの料理番は基本同じ力士だし、食事処も男性がやってるところが多いですよ」

「なるほど……」

「ウチは親父がまったくできないし。だからいつも料理は俺と楓、交代しながらやってました」



 そう言う意味では、楓の料理の腕前は大鳥家の食卓を支える大事な要である。

 道端に生えたタンポポや菜の花などなど。


 そうした食材を料理の一品として作る腕前は、剣と同じぐらいに目を見張るものがある。


 楓はきっといい嫁になるだろうという確信が一颯にはあった――そうなると、我が家の食事は毎日自分がするのか? いつかは訪れるであろう未来に、一颯はうんうんと唸った。


 そうして出来上がった食事――リフィル曰く、離乳食をベースとしたものらしい、それを旅人へと一颯は振る舞った。


 衰弱している相手に対して、さぁ自力で召し上がれ、などとはさしもの一颯も言うつもりは毛頭ない。



「ふーっ……ふーっ……よしっ、一応まだ熱いかもしれないので、ゆっくりと噛んで食べてください」

「ふーふーからのあーん……羨ましいわね」

「は? 言っておくけどお兄ちゃんのふーふーからのあーんは、妹である私だけの特権だからね」

「ふーふーからのあーん……ふむ、いざ実際にこうして見てみるとなかなか」

「……ちょっと静かにしてもらえます? 何回ふーふーあーんって言うんですか……」



 羨望の眼差しをずっと背中に浴びながら、一颯は旅人に食事を食べさせた。


 一口、ゆっくりと嚙みしめるように食す旅人の瞳からほろり、と大粒の涙が零れ落ちた。


 よっぽど空腹だったのは、すっかり痩せこけた身体を見やれば一目瞭然である。

 彼女の身に何が起きたのか。


 湧き上がる好奇心を理性で抑えて、介助に専念する一颯の口元に真横からすっと、木のスプーンが伸びた。



「はい、お兄ちゃん」と、満面の笑みをした楓。

「楓?」

「お兄ちゃん、今自分で食べれないでしょ? だから代わりに私が食べさせてあげるね。だって兄妹だし、お兄ちゃんを手助けするのは妹の役目だもん、ね?」

「……あぁ、悪いな楓」

「えへへ……なんだかこうしてると、なんだか私とお兄ちゃんっておしどり夫婦って感じがしない?」



 それはきっと気のせいだし、何故妹の部分を強調したのかこの妹は……ともあれ上機嫌な様子の楓に食べさせてもらいながら、旅人の介助を実施すると言う、傍から見やればなかなかに奇妙な光景ができあがっているが、効率がいいのは事実なので一颯もあえて言及することはしなかった。



 ただし、一名だけ――



「むぅ……いいなぁ」



 と、子供のように羨ましがる少女がいた。


 そんなに羨ましいものなのか? これは個人的主観にも大きく左右されるが、少なくとも一颯はあまりよいものという印象がない。


 病気などによる、どうしてもやむを得ない状況ならばいざ知らず、それでもまずは申し訳なさが真っ先に立つし、他人の前でされるのは如何せん気恥ずかしい。


 よくわからない。旅人への介助を終えた一颯はそう思い、物は試しとアニエスからスプーンをひょいと奪うと、それで食事を掬って差し出してみた。



「あむっ!」と、アニエス。



 何の躊躇もなく、餌に魚が食いつく勢いで口にくわえた。



「――、うん。やっぱり男の人にこうして食べさせてもらうといつもよりおいしく感じるわ」

「いや、作ったのは俺じゃなくてほとんどリフィルさんだし。それに多分気のせいだと思うぞ?」

「いいのそれで! 私にはいつもよりおいしく感じた、それが事実なんだから」



 やっぱり、よくわからない。

 一人ホクホク顔を浮かべるアニエスに小首をひねって、刹那。

 ハッとするとすかさず一颯は次の行動に移った。


 あちらを立てればこちらが立たず、で終わらせたままにするとこの洞穴はたちまち戦場と化す。


 そのことを誰よりも重々理解しているから、一颯は楓が抜刀するよりも先にスプーンを突き出した。


 つまりは、妹にもアニエスとまったく同じことをしたのである。



「あぁむっ」と、かわいらしく食らいついた楓。



 さっきまでの禍々しい殺気は、たったこれだけできれいさっぱり消失した。


 大陸に渡ってからというものの、どうも甘え癖が再発したような気がしてならない。


 ぱっと花を咲かせる楓に、一颯は心底そう思った。

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