第20話:雨天は中止

 つい数日前までがずっと快晴ばかりだったものだから、どんよりとした曇天に一颯はつい物珍しさを憶えてしまう。


 今にも鉛色の雲からは雨が降りそうで、その予感は最悪なことに見事に的中してしまった。


 最初はぽつり、ぽつりと頬を時折軽く叩く程度だったものが、今となってはざぁざぁと激しく降りしきる豪雨となって旅を妨害する。


 これは、しばらく止みそうにない。


 偶然的にも発見した洞穴にて、一颯は雨を凌ぐ傍らで忌々しそうに雨模様の空をじろりと見やった。



「――、イブキ様。雨に濡れておられるのですからどうぞこちらへ。このままでは風邪を引かれますし、そうなったらとても面倒なのでさっさと暖を取ってください」

「……なんか、久しぶりに毒舌吐いてるのを聞いた気がするのは、俺だけだったりする?」



 そう言いつつも、リフィルが言ったことは確かなので一颯も大人しく従う。


 パチパチと音を立てる焚火の炎は、雨でしっとりと濡れた身体に温度を取り戻させる。


 伴ってゆらゆらと、生きているかのように揺らめく炎は心を落ち着かせた。



(そう言えば、こんな風に誰かの一緒に野営するなんてことなかったなぁ……)



 酒吞童子を討伐した時でさえ、一颯は常に単独だった。

 その際は仲間と言うよりは全員が商売敵のようだったもの。


 手柄を独り占めにしたい、そんな欲望の塊のような輩ばかりが集まった中で仲良くできるはずもなく、たった一人の生存者を除いて全滅する痛ましい結果だけが残った。


 誰かと野営を共にするのも、まぁそんなに悪くないかもしれない、と心の片隅で思う傍ら、若干どころかかなり重苦しい空気に自然と溜息がもれる。


 中継砦スケグルを出てからというものの、楓とアニエスの仲が目に見えて悪い。


 正確には一方的に楓が敵視しているだけで、アニエス本人に敵対心はなく逆に困惑していると言った面持ちだ。


 こんな調子で次の中継砦スルーズまで無事に着けるのか……。


 一抹の不安を胸に、いい加減唸りっぱなしの妹を咎めるべく、一颯は拳骨を軽く頭頂部へと落とした。


 ごっ、と鈍い音の後に家畜を絞め殺したような声が洞穴に低く反響する。



「いった~い……お兄ちゃんいきなり殴るなんて酷いじゃない」

「お前の方こそ、いつまでアニエスをそうやって睨んでるつもりなんだ?」

「だって、この人お兄ちゃん狙ってるんだもん……」

「そう思ってるのはお前だけだって……まったく――」



 アニエスにそんな気なんかないだろうに。

 ちらりとアニエスの方を見やった一颯は、頬の筋肉をひくりと釣り上げる。


 そっぽを向いたアニエスの頬が、ほんのり赤みを帯びていたのを不幸にも一颯は見逃さなかった。


 何故そこで顔を赤らめる? 訝し気に見やる一颯だったが、またしても楓が低く唸ったのでもう一度拳骨を落とした。


 こんな時でもリフィルは我関せず、黙々と調理に勤しんでいた。



「……雨、全然止みそうにないな」

「そうですね。この中を移動するのはあまり得策ではありません」

「何か、問題でもあるんですか?」



 そう言えば、と一颯はリフィルに尋ねる。

 ざぁざぁと降りしきる雨の勢いは確かに強い。

 だが、たったそれだけである。

 視界は良好な方ではないが、特に仔細もない。


 修練の一環として滝行など日常茶飯事であったし、だからと風邪を引くほど軟にもできていない。


 たかが雨如きで足を止めるだけの理由があるとはどうしても思えない。

 一颯がそう不思議そうにしていると、リフィルが静かに口を切る。



「一つ目はイブキ様、あなたが男性であるからです」

「俺が……? え? 俺のために雨宿りしてるのか?」

「お忘れですか? ここでは男性は本来、女性が守るべき存在なのですよ。あなた様が自国で同じような状況に陥った時、果たして女性に雨の中を長居させますか?」



 そこまで言われて、一颯はハッとした顔を浮かべた。

 彼女の言い分は、ここでは極めて正しく女性として模倣的行動だと言えよう。



「わざわざ俺に気遣わなくてもよかったのに……」

「そういうわけにもいきません。もしもあなた様に何かありましたら、わたくしの首が飛んでしまいそうですので――」

「ほらそこに」と、リフィルがちらりと横目にやった先では楓の右手は腰の得物に掛かっている。



 もはやなりふり構わずといった挙措に楓に、一颯は深い溜息と共に拳骨を、さっきよりもやや強めに落とした。


 ごつん、と重々しい音と無言だが苦悶の感情いろを色濃く表情かおに示す楓を他所に、一颯はもう一度ざぁざぁと止むことのない雨空をぼんやりと見上げた。



「――、ん?」

「どうかしたのお兄ちゃん?」

「……誰か、こっちにくるぞ」



 視線の先、距離にしておよそ5m先。

 この雨の中を傘も差さずにやってくる旅人の足取りは、ふらふらと千鳥足で見ていて大変危なかしい。


 やがてその旅人がぬかるんだ地面に足を取られたのは、至極当然の結果であり、一颯は咄嗟に旅人を支えるべくこの雨の中へと飛び出した。



「おっと!」と、一颯。



 腕に掛かる重みは、驚くほどふわりとして軽い。


 よくよく見やれば薄汚れた外套から除く手足はすらりとした、と表現するよりかはまるで枯れ枝のようではないか。


 ほんの少しでも力を込めようものなら、それこそ容易くぽきりと折れてしまいかねない。


 衰弱と言う言葉がもっともしっくりとくる状態に、一颯は激しく困惑した。



「ちょ、ちょっと大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

「お、お兄ちゃんどうしたの!?」「怪我人なの!?」

「わからないけど、多分状態はあんまりよくないと思う! とりあえずそっちに運ぶぞ!」



 洞穴の中へと連れて改めて見た旅人は――どうしてこれで生きていられる!? 頬は痩せこけて生色を失い、唇も潤いがなく乾ききっている。


 かつてはきっと美しかったに違いない女性が、何故このような状態なのか一颯は知る由もないが、いずれにせよ早急に適切な処置を施す必要がある。



「リフィルさん! 何か薬とか、なにかありますか?」

「イブキ様、大変申し訳ございませんがわたくしはメイドにして近衛兵長です。さすがに医師ではないので、具体的な治療をこの方に施すことはできかねます」

「それは……くそっ、どうにかならないか?」

「とりあえず、万能薬のこのポーションを飲ませておきましょう」

「えっ?」


 と、一颯が間の抜けた声を出すよりも早く。

 リフィルは、なんて毒々しい緑色だろう。


 それが薬であると頭では理解しても身体が拒絶反応を起こすほど、深緑の液体が並々と入った瓶の口を、リフィルは旅人の口へと押し込んだ。

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