第19話 さわられたい女――4
「ですけど、新聞に広告を載せるのには、お金が全然足りません。インターネットのお店を見かけましたが、私は使い方をよく知らないし、個人情報をどこまで出していいか不安だし、そうしたところでほんとに姉に伝わるかどうか……。それでまた途方に暮れてましたけど、今朝、ふっと思い付いたのです。ニュースに出て新聞に載れば、姉が読んで、気付いてくれるだろうって」
「ああ――」
相羽は思わず、膝を打った。
「分かった。痴漢の被害者になれば、事件が新聞ダネになり、自分の名前も載ると思ったんですね」
「そ、そうです。で、でも、ほんとに痴漢にあうのは嫌だったし、触られまで待っている暇もなくて……」
恐らく、実際に痴漢の被害にあっても、名前が新聞に出ることはまずないだろう。他に大きなニュースが沢山あれば、痴漢事件そのものが記事にならない確率だって、かなり高い。
だが、この若い女性は、姉に会いたい一心で、計画を考え付き、成功を信じて実行した。真剣なだけに、効果がなかったときは目も当てられない。こうして警察沙汰にならずにすんだことは、相羽だけでなく、檜垣にとっても吉と出た。
「あ、あの、相羽さん。本当に、ごめんなさいっ。変な言い方になりますけど、私、狂言をやろうとした相手が、あなたのような人で、よかったって言うか、ほっとしたと言うか……」
「顔を上げてください」
相羽は優しい口調に努めた。檜垣が、赤らんだ顔を起こす。
「最初に、約束してほしいんです。いくらお姉さんに会いたいという切実な事情があっても、こんな無茶な手段は二度と執らないって」
「は、はい。それはもう」
「よかった。次に……謝る相手を、もう一人、忘れていませんか」
おばあさんの方をちらりと一瞥しつつ、相羽が言った。自分でも何故だか分からないが、弾んだ口調になる。
「え? あ、ああっ! ごめんなさい、お騒がせをして、すみませんでした!」
椅子から立ち上がり、必死の様子で頭を下げる檜垣。
そうされたおばあさんは、わざとらしい大げさなため息のあと、手を振った。
「もういいよ。当事者の間で決着してんだから、私には関係ないことさね。まあ、時間を潰して付き合ってやっただけのことはあって、面白い体験ができたから、よしとしましょうかね。この手のトリック、トリッキーな話は大好きだしね」
そして、よっこらしょと、腰を上げる。相羽が何の気なしに手を貸そうとすると、「いりませんよ」と言われてしまった。
「もう、私に用はないね? しかし、おまえさんのお人好しぶりには、呆れ果てて、物も言えないよ、まったく」
「はあ。いらいらさせてしまったみたいで、どうもすみませんでした」
「ふん。でもまあ、今どき珍しい、貴重な男だ。私は惚れっぽいところがあってね。だから、電車の中でも、おまえさんの方をじっと見ていたんだけれど――」
思わぬ告白に、相羽は一瞬ぎょっとして、次に笑みを浮かべた。
「外見のみならず、中身の方もなかなかの色男じゃないの。私の見る目も、まだまだ曇ってないみたいで、自信が持てたわ。それが確認だけただけでも、収穫だったと言えるわね」
言いたい放題をやって、おばあさんは戸口に足を向けた。ゆっくりした歩調で行くその横を抜け、相羽はドアを引いた。
「ありがとう」
今度はおばあさんも、素直に礼を言う。ただし、おまけ付きだ。
「おまえさん、本当にいい男っていうのは、解決策も示してやるもんじゃないかしらね」
「あっ、それなら一つ、思い付いたものがあります」
「……何だって?」
身体半分、部屋の外に出ていたおばあさんが、意外に軽い身のこなしで向き直る。その両眼は大きく開かれ、相羽をまじまじと見た。
「どうやるっていうの?」
おばあさんの質問に、相羽は一つうなずくと、檜垣の方を向いた。
見れば、檜垣もまた意外に感じたらしい。立ちすくみ、両手を胸の前でお祈りの形に組んでいる。
「大した案ではないのですが、マスメディアの仕事に関わっている知り合いがいます。その人に頼んで、ラジオであなたのお姉さんに呼び掛けるのはどうでしょうか」
* *
「昨日の放送、あれでよかった?」
涼原純子は、相羽と会うなり、葉書を取り出した。消印の押されていない、一通のリクエスト葉書。
「一週間前に頼まれた通りに、やったつもりだけれど」
「充分」
相羽は葉書を受け取り、折り畳んでポケットに仕舞った。あのあと、檜垣に急いで書かせた物だ。
「放送後、しばらくして、僕のところに電話があってね。九州の実家の方へ、連絡があったんだって」
「よかった」
「よっぽど嬉しかったのか、一分ほどで切られちゃったけどね」
表情がほころぶ純子と、苦笑する相羽。なかなか対照的だ。でも、醸し出す空気は、同じ種類。
「あはは、かわいそう。折角相談に乗ってあげたのにね」
朗らかに笑う純子は、相羽の車に乗り込むと、一つの疑問を呈した。
「それにしても、信一はどういういきさつで、その人と知り合ったの? この間、聞いても、全然教えてくれない」
「気になる?」
ドアを閉め、ハンドルに両手を掛けたまま、振り向く相羽。純子は、二度、うなずいた。
「最初にラジオのことを頼むときに、一緒に言わないもんだから、怪しいように思えちゃう」
「それは、最初の時点で言ったら、純子ちゃん、君が怒ると思ったからで」
また苦笑いする相羽。キーを入れ、エンジンを始動させてから、事実を語り始める。
「すでに決着したことだから、怒らないようにしてほしい」
――『さわられたい女』おわり
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