第17話 さわられたい女――2

 外見と性格は、なかなか重ならないもののようだ。しわがれ声なのはいいとして、調子がやけに荒っぽい。

 駅員が首をぶるぶるさせ、耳の穴をいじりながら応じる。

「聞こえていましたよ、おばあちゃん。それで、おばあちゃんは、この人達のどちらかとお知り合いですか」

「いいやっ。赤の他人ですがね。さっき、同じ電車に乗っておって、この人らのすぐ近くにいたんだよ」

「それでは、何かを見ていたんですか」

 関心を寄せる駅員をまるで無視し、おばあさんは女性に対し、さらに一歩、にじり寄った。

「あんた、何で嘘を言うね?」

「な、何を言い出すのよ、う、嘘、だなんて」

 声を震わせる女性。身体まで震えているのが、傍目にも分かる。

「私はちゃんと見ておりましたよ。この若い衆が」

 と、おばあさんは相羽を指差した。真っ直ぐ伸びた人差し指に、相羽は気持ち、のけぞった。

「吊革をずっと掴んでおったのを。空いていた手で、あんたの身体をさわるのは、立っておった位置から言って、無理。不可能犯罪だわ。まあ、この手が蛸のお化けみたいに伸びるっていうんなら、話は別だけれどもね」

 言いながら、おばあさんは相羽の左腕を取り、ちょっとさすった。密かに苦笑いをしてしまう相羽。

(ありがたい証人だけれど、どうしてこの人、僕の方を見ていたんだろ)

 疑問が浮かんだが、現在、それを考えている暇はない。何を置いても、まず濡れ衣を晴らさねば。

「こちらの方の言われる通りです。何らかの誤解があって――」

「ねえ、お嬢ちゃん」

 相羽の、駅員への話が終わらない内から、おばあさんは女性に話し掛けた。

「どうして、こういう真似をするの?」

「……」

 女性は塩を振られた青菜のように、しゅんとなっていた。最初の頃に見られた覚悟のようなものも、現時点では消え失せ、うつむく。

 相羽は、手首にかかる女性の指から、力がほとんど抜けているのを感じた。ただ触れているだけである。手をそっと引いても、最早追いかけてくるようなことはなかった。

「何をうじうじしてるんだろうね? さっさとしないか。喋っちまえばすぐなんだからねっ。人様に迷惑掛けてることを、分かってるのかい?」

 女性がまだ何も言ってないのに、決めて掛かる口ぶりのおばあさん。声を張り上げるものだから、通りすがりの人や電車を待つ人達が、ちらちら振り返り始めていた。

 駅員は駅員で、腕組みをして、困ったように首を傾げる。当初と異なり、女性の方に疑惑の目を向け始めたのは確かだ。どう対処すべきかで、手をこまねいている。

「あの……」

 相羽は頭をかきながら、探るような口調で切り出す。おばあさんと駅員の目が集まった。

「こんなところでは人目がありますし、どこか部屋で、座って、ゆっくり聞き出すというのはどうですか」

 駅員が同意する雰囲気を匂わせ、なにがしかの返事をしようとしたが、それに被さり、おばあさんが発言した。

「おまえさん。何でもっとがみがみ言ってやらないのさ。こういう場合は、びしっとその場で言わなきゃ、分からせられないよ」

「僕もそう思います」

 収束に向かうための光が案外簡単に見つかったこともあり、穏やかな笑みで相羽が答える。おばあさんは、まぶたの面積を小さくして、驚くやら呆れるやら、何とも言えない表情をした。

「ただ、この場から少し歩いて、駅員さんの部屋に入っても、大きな違いはないでしょう」

「……当のおまえさんがそう言うんなら、仕方ないわね。やれやれ、長くなりそう」

 大儀そうに伸びをして、おばあさんが駅員に目線をやる。早く案内しろ、という意志が込められていた。

「あ、いや、話し合いをされるなら、警察の方で」

 警察に引き継ぎたがる素振そぶりの駅員に、相羽はすかさず言って、軽く頭を下げた。隣で、少し距離を置いて立ち尽くす女性の肩が、小刻みに震えるのを見たから。

「駅員さん、それは勘弁してあげてください。僕からも頼みますよ」

「しかし……それなら、そこいらのベンチ――」

 ベンチでは人目を遮れない。相羽は首を左右に振った。

「業務の邪魔にならないようにしますから、お願いします」

「……しょうがありませんね」

 やっと折れてくれた。先頭に立って、案内する駅員の背後を、相羽とおばあさんと女性が、ぞろぞろと着いていく。

「お時間は、大丈夫なのでしょうか?」

 相羽はおばあさんに聞いてみた。すると相手は下から、きっ、と見上げた。

「予定はありましたよ。けど、どうでもいい予定だから。重要な予定があれば、こんなことにいつまでも首を突っ込んじゃいない」

「すみません」

「何言ってるんだい。若いおまえさんのためですよ。私がいなけりゃ、困るでしょうが。もっと大ごとになってたに違いないんだからね」

「はあ」

 相羽はまた頭をかいた。


 壁に仕切られた狭い空間に入ると、途端に、女性は涙ぐんだ。

「とりあえず、お三方で話し合ってください。何か分かったら、というか必要が生じれば警察に知らせますからね」

 これ以上の関わり合いを避けたいのか、それとも仕事で忙しいのか、駅員はそそくさと立ち去る。

 三人だけになると、女性はいよいよ涙をこぼし始めた。

「泣いてるばかりじゃ、分かりませんよ。迷子の子猫じゃあるまいし」

 おばあさんの言葉遣いは若干丁寧になってきたが、物腰は相変わらずきつい。相羽はその喋りを手で制した。

「まずは皆さん、座りましょう。折角椅子があることですし」

 部屋には丸椅子が四脚あった。粗末な木のテーブルも、折り畳まれて、壁に立てかけてあるが、これは出さなくていいだろう。

 おばあさんがいきなり口火を切る。

「お嬢ちゃんがいつまでも本当のことを言わずに、最初の主張を繰り返すんならね、私はいくらでも証言してやるつもりですよ。この人は、痴漢なんかしてないってね」

「あの、もう少し、静かにいきませんか」

 相羽が言うと、おばあさんは歯痒そうに口をもごもごさせた。そして片手を上げ、指差してくる。

「おまえさんもおまえさんだ、まったく。さっきから言ってるでしょうが。もっと怒らんかね? 濡れ衣を着せられるところだったんですよ?」

「そうですね。でも、話がややこしくなる前に、この人は何も言わなくなってくれたので」

 女性を見やると、両手で顔を覆っていた。嗚咽が聞こえる。

「とにかく、話してくれるのを待ちましょう。――あの、名前を伺ってもいいですかね。僕は、相羽と言います。相羽信一」

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