第13話 『誤解の勘定』――8
「これで、刈沖はほぼ一瞬にして五階から一階へ無事移動できることになった。吉見はいたずらだと信じていたが、刈沖は殺人に利用した訳だよ。ただ、吉見も多少は不審を感じていたかもしれない。偽書斎のドアの前で呼び掛けた際に、刈沖がその室内に確かにいることの証として、うめき声を上げる手筈になっていたと思う。それなのに、刈沖はそうしなかったんだから」
「あ、さっき言ってた、刈沖の声が実際には聞こえなかった理由か」
私は思い出した。偽書斎から何の反応もない事態に、吉見が「あれ? おかしいな、全く。」とつぶやいていた描写を入れていたことを。
「その通り。刈沖にしたら五階にいたと疑われる行為は可能な限り、排除したかったろうからな。いたずらの段取りが予定と違っても、声が小さくなってしまったとか何とか言ってごまかせばいいし、どうせすぐあとに殺すつもりだったのだから」
「じゃ、じゃあ、僕が偽書斎の前から立ち去った直後に……」
「吉見は刈沖に絞殺された」
地天馬はうなずいた。
「それ以外はいたずらの計画とほとんど変わりない。五階の部屋の窓を開けた刈沖は、不細工なふくろうみたいに窓枠に掴まったことだろう。緩衝マットの位置を改めて充分に視認し、狙い澄まして飛び降りた。無事着地後、マットを近くの林の中にでも隠す。余裕があれば、空気を抜いておくと効果的だな。そして何食わぬ顔をして、玄関をくぐれば偽アリバイの成立だ」
「なるほど……分かったよ、ありがとう」
何の気なしに頭を下げて礼を述べた。
「どういたしまして、ワトソン君」
地天馬はかみ殺したような笑い声をこぼしていた。
「ついでに、締め切りに間に合うことを祈ってやるよ」
「――何のことだか」
突然の指摘に動揺が顔や声に出てしまったようだ。私は探偵にも犯罪者にも向いていない。
「とぼけないでくれ。最初から妙だと気付いていたんだぜ。最前、君の漏らした不用意な一言で確信を得た。『登場人物』はよかったな!」
我慢できなくなったのか、それとも最初からこうするつもりだったのか、地天馬は高笑いを始めた。
「僕は心優しいから、恥をかかせたくはない。が、君から打ち明けてくれないなら仕方ないな」
「ま、待った! 分かった。白状するよっ」
私は全てを告白した。つまり……。
「短編を頼まれていたんだが、何も思い付かなくて、締め切りが迫ってきた。この締め切りっていうのは、本当に余裕のない締め切りで、プロットやトリックができてなくても、書き出さなければいけない状況に陥ってしまったんだよ。当然というか何というか、解決の部分で行き詰まって……名探偵ならどうにかしてくれるんじゃないかと、すがった訳で……すまなかった。旅行に出たのは本当だし、刈沖や吉見は実在の人物だが、ここに書いたような事件は実際には起こっていない」
「ふん。よろしい。試されるのは大嫌いだが、架空の話だった点と、なかなか面白い問題であった点を考慮して許そう。偶然の産物とは言え、解決編を組み立てる糸口が散りばめられていてよかったな。あっと、物音を立てた方法についての言及を忘れないように。解決編を書くのやら手直しやらで、どれぐらいかかりそうかな?」
締め切り間近の私としては、そんな地天馬の問い掛けに応じる時間も惜しかった。席を立ちながら、慌ただしく答える。
「分からない。そ、そうだ、タイトルはどうしよう?」
「うん……『ワトソンの挑戦』ではあからさまだな。『計画なき計画犯罪』。堅苦しい」
腕組みをして、悩んでいるポーズを取る地天馬。芝居がかっていて、本気で考えてくれているのかどうか怪しい。私はドアを開け、廊下に出た。
「とにかく、ありがとう。おいとまさせてもらうよっ」
「――そうだ、これはいい題名だぜ」
地天馬が何か言ったが、ドアを閉めたあとだった。
* *
慌ただしいね、まったく。やれやれ、だな。
相当困っているようだったから、辻褄が合うようにストーリーを創ってやったものの、果たしてあれで通用するのかな?
少し考えれば分かりそうなものだ。緩衝マットがあったとしても、飛び降りて無事に済むのは三階程度がせいぜい。五階から飛び降りた直後に平然と振る舞えるはずないじゃないか。下手すると骨折。動けなくなる。
もちろん、奇跡的に何の怪我も負わないケースもあるだろうし、刈沖がアクロバットの天才だったら問題ないかもしれない。しかし、ミステリーでそういった偶然に頼るような設定をしてるとねえ、読者に見捨てられてしまうんじゃないか?
推理作家なら、他にもっとよい仕掛けを考案するべきだぜ。
そう、飛び降りるよりも、ロープを使った方がよほどいい。丈夫なロープがあれば、ものの十秒程度で地面に降下できるっていうのに。無論、素人では難しいが……。そうだな、アクション俳優志望の人間を登場させるぐらいなら、登山家か伐採職人を出せばいいんだ。要するにロープでの降下に慣れた人間ならどんな職業でもいいが、レスキュー隊員にしてしまうと読者をなめていることになるか。うむ、林冠調査専門の生物学者でもいける。
まあ、これぐらいのことなら、書き直している内に自分で気付くだろう。万が一、気が付かなくても、よき編集者と充分な関係を築いていれば、指摘してもらえるはずだからね。
僕は知らない。
さて、コーヒーを入れ直すとしよう。僕の好みの味をまだ認識でないとは、しょうがない奴だ。
――『誤解の勘定』終わり
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