第11話 『誤解の勘定』――6

 にこりともせず、原稿の縁を指で叩いた地天馬。物腰がいつも以上に厳しい。

「何でも頼めるような仲なのかと聞いているのだよ。ああっと、この先に書いてあるのなら、謝っておく。もう読む気は失せたんでね」

「どういうことだ?」

 私は腰を落ち着け、いささか詰るような調子で聞き返した。

 さっき覗いて地天馬がどこまで読了したのか分かった。あのあと、警察が到着し、吉見の死亡推定時刻や各人のアリバイ及び動機調べがある。特にアリバイに関しては、犯行時刻において、早弥子と秀美は厨房でともに料理をしていたと証言し合い、遠藤と森川も同様に互いが遊興室にいたことを証言する。刈沖は証人こそいないが、もし仮に五階で吉見を殺害したとしても、そのあと私や早弥子に見られることなく一階まで下り、外へ出ることは不可能なため、アリバイが成立するのだ。そして残る一人、つまり私に容疑が向けられ……。

 私が以上の点を唾を飛ばして捲し立てると、地天馬は退屈げに小さく肩をすくめ、原稿の束を振った。風が起きて、コーヒーカップの液面がかすかに波立つ。

「昔、言ったはずだ。僕は試されるのが嫌いだとね。答の出ていることを、あたかも難問のように装うのはやめてくれないか」

「……意味が分からない」

 一転して怒りを忘れ、私は本心から尋ねた。答が見つからないから、私は原稿を地天馬に読ませた。地天馬の力がぜひとも必要なのだ。謎解きは早ければ早いほどいい。

 地天馬は部屋のあちこちをさまよわせていた視線を、急にこちらへ向けた。

「本当か? 信じられない。僕はここまでを読んで、三つの有力な可能性を思い付いた。一つ目は君が犯人の仲間であり、僕を試している場合」

「は?」

 我ながら素っ頓狂な声に、思わず口を押さえた。

 かまわずに続ける地天馬。

「二つ目は刈沖という人の家が尋常ならざる構造を有している場合。三つ目は君が何らかの嘘をついている。さあ、これらのケースの中に正解はないと、君は誓えるかな?」

 目が細められ、彼は頬を緩めて笑った。今度は私が試されているのか?

「何のことだか……さっぱり」

 語尾を濁すが、地天馬の追撃は急だ。

「いいだろう。では、改めて聞こう。この箇所はどういう意味だい?」

 指先で覚えていたのか、素早い手つきで原稿の一枚を抜き出し、一点を指し示しながら私の方へ向ける。

 そこには「四階分の階段を一気に走りきった。」とあった。物音を不審に感じ、吉見と二人で刈沖の書斎を目指すシーンだ。

「これが? 読んだままだよ。四階まで一気に昇ったっていう……」

「はん。間違いなく、そんな意味で書いたのか? じゃあ、作家をやめた方がいいかもしれないぜ」

「……日本語の間違いがあるとでも?」

 過去の経験から私は慎重になった。問題の箇所を読み返す。

 しかし、ぴんと来ない。首を捻るだけだった。

 答に窮する出来の悪い生徒に、地天馬は焦れったくなったのか、さっさと正解を口にした。

「一階にいた君が四階分を走りきったとしよう。その時点で君は五階にいるはずだ。違うかな?」

「んん? 何だって? もう一度、頼む」

 地天馬に繰り返し言ってもらったが、言葉だけでは飲み込めず、私は指折り数えさせられた。二分ほど余計な時間を費やし、ようやく理解できた。

「そうか。一階から二階へ行くには、2マイナス1で一階分しかないんだ。勘違いしていたよ。四階までなら三階分だ」

「四階分と書いたのはケアレスミスだと言うのかい? 実際に五階に到着したとは考えられないか?」

 地天馬の不思議な問い掛けに、私は口を半開きにした。どう応じていいのか見当もつかない。

「僕は君の文章を信じた。これこそヒントだと解釈したんだよ。そして同時に、ヒントを文中に潜り込ませている君は事件の真相を知っていることになる。だからこそ、僕は試されているのだと判断した」

「ちょ、ちょ、待ってくれ。その……もし五階だったとしたら、事件の謎はきれいに解けるのか?」

「ああ。壊れた壷を組み合わせて元の形にするくらいにはできる。足りないのは証拠という名の接着剤だけだ。ま、『四階分』という記述が情況証拠だと言えなくもない」

「話してみてくれ。お願いだ」

 私はメモ用紙とボールペンを取り出し、前屈みになりながら推理を待った。

 地天馬は質問を重ねてきた。

「書斎が四階にあるのに、五階に行ったことを事実だとする。何故そうなったのか、考えてみるんだ」

「吉見に着いていったら五階にって感じだな、うん。あのときは状況も切羽詰まってたしな。何階まで上がったかなんて数えてなかった。踊り場に数字でも書いてあれば気付いたろうけど、なかったから」

「次の問題は、吉見が意図的だったかどうか。君の原稿を読む限り、彼はかなり冷静だったようだね。物音を聞いた際も、冗談を言っているぐらいだ。そんな人物が段数を間違える可能性は低い。わざと五階に着いたと言っていいだろう」

「何のためだ?」

「君を五階に連れて来る必要があったとするのが自然だ。あるいは、四階以外にいざなう必要かもしれない」

 細かい表現にこだわる地天馬。私はペン先で紙面を叩いて先を促した。

「五階を四階に見せかけるためには、まだ細工がいる。偽の書斎を作らねばならない。これは実に簡単だ。階違いの同じ位置の部屋にプレート一枚を張り付ければいい。プレートを新たに作るには、少なくともそこへ住んでいる者の協力が不可欠だろう。無論、居住者自身が作ってもいい。この事件の場合、吉見と協力者ということになる」

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