第10話 『誤解の勘定』――5

 ドアを押すと抵抗なく開ききった。

 そして――書斎には誰もいなかった。四方の壁の内、左右二つを本棚が占めていて、いずれも書籍が隙間なく詰まっている。正面の机にはパソコンがパワーオフの状態で置かれていた。窓もぴたりと閉められており、部屋の空気はまるで動いてないかのようだ。

 人のいた気配はなく、隠れる空間もない。

「どういうことですか?」

 早弥子さんの口調に、刺々しさがにじんだ。たちの悪い冗談を仕掛けられたと判断したようだ。

 私はありのままを説明し直し、吉見の姿が見えない点を付け加えた。

 それでも疑わしそうに眉間にしわを作る早弥子さんへ、私は逆に尋ねた。

「原稿を書いているはずの刈沖は、どこへ行ったのでしょう?」

「……まさか三人で私をだまそうとしてるんじゃありませんよね」

 首を左右に振ってから、疑問文とも何ともつかないイントネーションで返してきた早弥子さん。相当混乱している。私もだ。

「とにかく、僕は吉見を探します。あなたは刈沖を探すといい」

「え、ええ」

 後ろ髪引かれる思いをしつつ、部屋を出た。心の片隅に何かが引っかかる。

 と、廊下へ出るとほぼ同時に、階段を上がってくる数人の足音が聞こえた。それに話し声も。

「うん?」

 耳を疑った。話し声の中に、刈沖のものが含まれているではないか。

 私と早弥子さんが唖然として立ちすくんでいると、程なくして刈沖、遠藤、森川の三名が姿を見せた。

「これは一体」

「こっちが聞きたいよ」

 私の惚けたような問い掛けに、刈沖は肩をすくめた。

 またしても私は状況を説明させられる羽目になった。それが終わると、刈沖からの説明を催促する。

「書斎にいたのは二時間足らずでね。行き詰まったので、下に降りていったんだ。早弥子達は料理に忙しいようだったし、君達四人も麻雀に熱中していたから、散策に出た。今までずっと、辺りをぶらついていた。だから、物音のことなんて知らないよ。聞かれても困るんだが」

「本当に?」

「おいおい、嘘なんか言ってもしょうがないだろう」

「僕も、刈沖さんが外から戻ってくるところを見ましたけど」

 苦笑を浮かべた刈沖の斜め後ろから、遠藤が口を挟んだ。

「お二人がなかなか戻らないし、騒がしくなるしで、気になって遊興室を出たんです。ええ、森川さんも一緒に。ちょうどそこへ刈沖さんが玄関の方から」

 遠藤の話に合わせて、森川が大げさな動作でうなずいていた。

「しかし、物音がしたのは事実なんだ。みんなも聞いている。それに、吉見がいなくなった」

 二つの指摘により、何かが起こっていることは認めてもらえた。

 その場で話し合って、男四名で吉見の行方を探すと決まった。早弥子さんは厨房に戻り、秀美さんと一緒に改めて料理に取りかかる。

「四階、この書斎の前に吉見がいたのは確かなんだ。ひょっとすると君が」

 私は刈沖を指差した。

「他の部屋にいる可能性を考えて、探しているのかもしれない」

「よし。手分けして覗いて行こう。この階の部屋は、どこも鍵は掛かってないし、見られて困るような物もないから遠慮なく」

 この時点では、刈沖も笑っていた。彼だけじゃなく、私達三人もどこか楽観視していたように思う。

「吉見の奴、いたずら好きなところがあったからな。担いでるんじゃないのか」

 刈沖の言葉に私もうなずけた。私自身、吉見の偽電話にはよくだまされていたのだ。「推理新人賞の選考委員をお引き受けくださいませんか」とか、「おまえの作品のあのトリックは、俺が**賞に投じた作品で使ったものだ。よくも盗んだな」とか、その度に異なる見事な作り声に、ころっと引っかかってしまう。直後に種明かしをしてくれるのがせめても救いである。

 四階の全室を調べたが収穫なし。我々は一階上に移動し、同様に探し始めるはずだった。だが。

「死んでいる……」

 吉見は五階の廊下、階段に最も近い部屋の前で、俯せに倒れていた。

 その大の字の姿を見た瞬間、これはいたずらではないという確信を得た。理由はない。吉見の身体の発散する雰囲気が普通でなかったとしか言えない。

 死因は絞殺のようだった。


           *           *


<注.ここに手書きのアスタリスクあり>



「聞きたいことが一つある」

 地天馬が原稿から面を上げた。どうやらまだ途中らしい。

 私は焦燥感故かコーヒーをさっさと飲み干し、カップを洗おうかもう一杯飲もうかを考え込んでいたところだった。

 カップを置くと、手をタオルで拭いてから彼の正面に戻る。

「何なりと聞いてくれ」

「――ああ、その前にコーヒーを。味に文句はつけないから」

「飲みたいのか? 早く話を進めてほしいんだが」

「僕がコーヒーを飲みたい訳じゃない」

 変なことを口走った地天馬。続けて、微笑まで浮かべて言い添える。

「コーヒーが僕に飲まれたがっているようなんだ」

「……入れるよ、コーヒー」

 私はコンロの前で貧乏揺すりをしながら、お湯が沸くのを待った。

 コーヒーを持って行ってやると、地天馬は一口だけ飲み、おもむろに本題へ舞い戻る。

「刈沖と遠藤は親しいのかい?」

「ん? そうだな、仲はよさそうだった。気は合ってるんじゃないかな。遠藤君は姉の結婚に大賛成のようだったし」

「そういう意味じゃない」

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