第8話 『誤解の勘定』――3

「ムサシ=カリオキは俺が育てたんだ!と言えればいいんだが、残念ながらそうじゃないんだよね。勝手に大きくなって」

 笑いが起こる。事実、刈沖が売れたのは、ハリウッド映画の原作になったのがきっかけだ。特別な売り込みもせず、単に刈沖自身が英語に堪能だからということで英訳版を一冊出した。それが幸運を呼び寄せたのだ。

「こんな席に呼んでくれるとは、感激だ。これからもよろしく」

「こちらこそ」

 簡単なやり取りの中にも、信頼関係が垣間見えた気がした。いい腕の編集者なのだろう。

 どんな縁があるか分からない。私や吉見も一応、売り込んでおくことにした。

 食後、しばしの歓談のあと、刈沖は席を立った。

「そろそろ書斎に行かないと」

「何かあるのかい?」

「多忙ぶるつもりはないんだが、締め切りの近い仕事が一つあるんだ。夜まで外させてもらうよ」

「何だ。愛想のない奴だ」

「よその社には駄作を回せばいい。ちゃっちゃと片付けてだな」

 からかい混じりの声が飛ぶが、引き留めることはもちろんできない。

「夕飯は早弥子の手料理だから、楽しみにしておいてほしい」

 そう言って、刈沖は早弥子さんと二言三言、言葉を交わした。それから食堂を出た。

 食堂の出入口からは階段がちょうど見通せるので、ゆっくり上がっていく後ろ姿を全員で見送る。窓からの日差しを受けた刈沖の背中は、踊り場を折れたところで見えなくなった。


 ホールに場所を移してからも、挙式予定や二人の馴れ初め等、刈沖と早弥子さんのことが主な話題になった。要するに、肴にしていたのだ。幸福者を少し困らせても罰は当たるまい。

「夕食の準備に取りかかる時間だわ。下ごしらえが大変なの」

 わざわざつぶやいて、早弥子さんが厨房――旅館なのだから調理場と言うべきか――に引っ込んだのを機に、お開きに。

「私もお手伝いをして、運のおこぼれに預からなくちゃ」

 秀美さんも厨房に向かってから、残る男達で時間を潰す相談をした。

「近場に何もないところだからなあ」

 吉見が手帳を開きながらぼやいた。全てにおいて下調べを欠かさない彼のことだ、近隣の施設についてもチェックしてきたに違いない。

「温泉が湧いて、レジャーランドができる話があったのに、ぽしゃったらしいですからね」

 訳知り顔なのは森川。ここへもこれまでに何度か足を運んでいるそうだ。

「おかげでオープンしないまま建物だけできてしまった宿泊施設がぽつぽつあった。取り壊して平地にするのがほとんどだったが、ここのオーナー会社はちょうどトップが交代して、方針転換したんですな。その他諸々の事情もあったんでしょう、売れる物なら売り払おうってことになった。我らが作家先生はそこをうまく買われた、と」

「道理で」

 景色だけが取り柄のようなこの土地に旅館があった謎に納得はできたものの、退屈しのぎに何がいいのかは決まらない。

「個人的には気が進まないが、これぐらいしかないでしょ」

 吉見は両腕を肩幅ほどに開き、左右それぞれの親指と人差し指、中指をこすり合わせる仕種をした。

「麻雀か。いいね」

 森川が腕まくりをした。乗り気だ。

「刈沖も嫌いじゃない方だから、それぐらいの設備はあるだろ」

 私とて異存はないが、麻雀は四人揃わないと成り立たないゲーム。若い遠藤に目で問うた。

「あ、僕もやりますよ。タレント学校の先輩達に引きずり込まれて。腕はからっきしですのでお手柔らかに」

 あっさりまとまり、早弥子さんを訪ねると、同じ一階にある遊興室を用意してもった。

「ほどほどにしてくださいね。お夕食まで三時間と……三十分ほどですから」

 釘を刺され、我々男達は苦笑いを浮かべて退散した。

 子供向けと大人向けのスペースできっちり二分された遊興室は、エアコンも装備されていて快適だった。アーケードゲーム機が置かれるはずだった空間が妙に白々しいことを除けば、充実していると言えよう。

「結婚しても二人だけじゃあ、使わないだろうな」

「宝の持ち腐れにならないよう、我々が思う存分使ってやろう」

 やっかみ半分の会話と共にゲームは始まった。ルールの確認をしたり何なりで時間を取ったが、半荘をやるにはちょうどいい頃合いだった。


 二時間半ほどが経過していたと思う。

 突然、天井が揺れた。地響きに似た音が、上から降って来るかのように聞こえた。うめき声のようなものも混じっていた気がしたが、それは空耳かもしれない。

 場の空気がざわついた。私を含めて四人全員が動きを一瞬止め、見上げる。と言っても、遊興室の青白い蛍光灯の群れが目に入るだけ。

 最初に反応したのは吉見だった。手元の牌を伏せ、腰を浮かせる。

「何かあったのかもしれない。待っててください。見て来よう」

「よし、僕も行こう」

 私も席を立った。何らかの予感が働いたのかもしれない。これまで幾度も事件に遭遇してきた者の勘か。

「そうだな。君なら修羅場も慣れてるだろ。たとえ流血の事態でも」

「さっきの物音は犯罪の結果だって言うのか?」

 吉見の即断を疑問に思いつつも、私は彼のあとを追った。

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