第6話 作中作『誤解の勘定』――1

   誤解の勘定

           純原小石


――――登場人物――――――――――――――――――――――――――――

吉見新太郎よしみしんたろう SF作家

刈沖武蔵かりおきむさし 売れっ子のホラー作家

刈沖早弥子かりおきさやこ その妻、旧姓遠藤。旅行代理店勤務

遠藤公夫えんどうきみお 早弥子の弟。俳優の卵

岸本秀美きしもとひでみ 早弥子の親友。宅建事務所勤務

森川勝也もりかわしょうや 編集者。刈沖が若い頃からの付き合い


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地天馬鋭ちてんまえい 探偵

「私」 物語の記述者で推理作家。地天馬の相棒。吉見、刈沖の知り合い

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 我が友・地天馬鋭を訪問するに当たって、これほどまでに気が急くのは初めてだった。少しでも早く着きたい。角度のきつい階段も一段飛ばしで昇った。階段の幅が狭く、おかげで私は壁や手すりに身体をしこたまぶつける羽目になったが、それさえ気にならない。とにかく、一刻も早く地天馬に会わねば。

 夏だと言うのに懸命に走って汗だくになった私を待っていたのは、狭く、蒸し暑い部屋だった。

 地天馬は冷蔵庫の前に突っ立っていた。

「随分と早い到着だな!」

 何かをメモし終わると、その紙切れを冷蔵庫の扉に磁石で張り付け、それからようやく私を声高に出迎えてくれた。

 引っ越し作業の際にエアコンを壊してしまったそうだが、長らく使っていなかったので元から故障していたのかもしれない。私はどこかから拾ってきたような長椅子の端っこに腰を下ろすと、ハンカチで汗を拭った。

 手に移った汗をもきれいに拭いてから、原稿を鞄から取り出す。順序が入れ違ってないかをざっと確かめた上で、地天馬に差し出した。

「今さらページが前後するなんてあり得ないと思うね」

 地天馬が早口で指摘した。私も思わず苦笑する。確かに、原稿の順序が正しいことは出かける前に二度も確認している。鞄の中で入れ替わるはずがない。

「習慣だよ」

 いいから受け取ってくれとばかり、手を前にぐいっとやる。地天馬は両手で大事そうに原稿を掴んだ。

「これを最後まで読めばいいのか」

「ああ。電話でも言ったように、最後まで読み、謎を解いてほしいんだ」

 三週間前に体験した事件について記したもので未解決なんだと、昨夜の電話で伝えておいた。

「こっちの新聞には出ていないんだが、地元の警察も苦戦している模様なんだ。君があの場にいてくれたなら、即座に解いていたかもしれない。そう考えると居ても立ってもいられなくて、こうして小説の形にまとめてみた。足りない点は口頭で補うから、何が何でも解いてくれよ」

「読む前に、余計な世話を焼かせてもらうが、君自身の仕事は片付いているのかい?」

「どうしてそんなことを気にするんだ?」

 鋭い指摘に、私は不自然な笑みを浮かべてしまったかもしれない。

 地天馬は伏し目がちにしたまま、答を投げてよこした。

「作家として忙しい身の君が、事件解決を願ってレポートを作成するなんて、久しくなかったからね」

「人並みの正義感ぐらい持ち合わせてるさ。身近に君のような人間がいるのに、未解決事件を黙ってるなんてできないんだよ。一刻も早く真相を」

「ふうん? ま、いい。静かにしていてくれ。すぐに考える」

 手を振って蚊柱にするように私の喋りを煙たがると、地天馬は没頭し始めた。

 私はどんな質問にも淀みなく対応できるよう頭の中を整理しつつ、キッチンに立った。勝手にコーヒーでも入れて、飲みながら待つとしよう。


           *           *


 同じ作家でこうも違うものか。

 元は旅館だったが親会社の方針転換で売りに出されたところを買い取ったと聞いているが、六階建てとなると安くないだろう……。

 楕円を筒にした形の建物を見上げながらの第一印象は、我ながら非常に情けないものだった。事前に知らされてはいたが、実物を前にすると嫉妬が新しく生まれるようだ。旅館と言うよりもちょっとしたホテルじゃないか。周囲を清い川や豊かな木々といった自然に囲まれており、生活の便は別としても、執筆環境の快適さは抜群に違いない。

 首が痛くならない内に目の高さを戻し、同行の吉見新太郎と顔を見合わせた。勝手に苦笑が浮かぶ。

「稼ぎ頭にはかなわないね」

「まったく」

 鞄片手に旅行者気分に陥りつつ、時計回りのスロープを進んでいくと、玄関前に到着した。さすがに、玄関口のガラス戸から旅館名は消されていた。

 呼び鈴なんて物はあるのかしらと頭を巡らせていると、ドアの向こうに主の小柄な身体を見つけた。スーツ姿で駆けて来る様は花嫁に逃げられた新郎のようだ。

「よく来てくれた。窓から見えたんでね」

「そんなに息せき切って迎えてくれなくてもよかったのに。よほど広いらしいな、ここは」

 嫌味混じりに言ってやっても、刈沖武蔵は人のいい笑みを維持したまま、呼吸を整えている。痩身には似合わないふくよかな笑みに、こちらも毒気を抜かれてしまう。

「使用人の一人や二人、雇えばいいのに。そんぐらいの余裕はあるだろ」

 吉見はスポーツバッグを持ち替えてから、肘で小突く動作をする。数年前に成人式を迎えたという理由だけでは不足なほど、子供っぽい仕種だ。

 対して、片腕を広げ、迎え入れるポーズの刈沖。屋根の下に入ってから、話し始めた。エントランスホールは天井が高く、吹き抜けになっていた。

「それが、雇う必要がなくなったんだ。身の回りの世話をしてくれる人を見つけてしまったもので」

 私と吉見は再度、顔を見合わせる羽目になった。

「そうか、それが僕らを呼んだ目的か」

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