第8話 バルーンだらけの密室
「それはまあ、一緒にいたら息苦しい人かもしれませんけど、殺し殺されるってほどではないような」
「現実に死んでんだからしょうがない。ま、五人がまだ出世をあきらめていなかった時期と、柴田の家族が大病を患ってその手術費だか入院費だかで捻出に苦労した頃とが重なっている。柴田が五人の内の誰かに、あるいは全員から少しずつ金を出させたんじゃないかって噂もあるにはあった。名目上は貸したことにしてな」
「うーん、分かりました。ありがとうございます」
納得はしきれなかったけれども、刑事の言う通り、現実には死んでるんだから認めざるを得ない。
ふと気付くと、横川部長からの圧を伴った視線が凄い。思わず、震え上がった。邪魔するなってことらしい。
「で、密室なんだが」
茶谷刑事がそう言ってくれたので、僕は部長からのプレッシャーから解放された。
「柴田は101号室で亡くなっていた。唯一の出入り口であるドアは簡単なシリンダー錠と閂が付いていたが、掛かっていたのは閂の方だけだった。他には中庭に面した壁に窓があるが、内側からクレセント錠がされていて、しかもボタンを押しながら回さねば施錠できないタイプだった。ただ、厳密には、くるぶしの高さに掃き出し窓と言うのか、通気のための小窓があって、閉じられてこそいたものの、ロックは掛かってなかった。でもまあ、細かい編み目の金属の蓋がはめ込んであるので、小動物はおろか糸すら通らない」
「閂錠はどのような形状ですか」
「水平方向にスライドさせるタイプではなく、棒が半円を描いて落し口にはまるタイプと言や、分かるのかな」
「分かります。あまり強固な鍵というイメージはないですね。閂の動きのスムーズさにもよりますが、糸を付けて引っ張れば簡単に動く感じ」
部長の物言いからは落胆の空気が漂い始めていた。「今どき糸で操作できる密室トリックだなんて!」てな具合に腐しに掛からないのは、警察が難渋するくらいだから何か付加的要素があるに違いないと、我慢しているのだ、多分。
「実際にも、糸を結わえて引っ張れば動く程度の軽さだった。当然ながら、我々警察も部屋の外から糸か何かを使って閂を掛けたものと考え、実験してみたんだが……ことごとく失敗した」
渋面をなす茶谷刑事。僕がこの刑事と知り合ってからまだ長くはないが、間違いを認めるのを嫌う傾向にあるようだ。多分、この人自身の発案じゃないことに関する誤りや失敗をも、さも自分のことのように語らねばならない点が嫌なんだろうな。
「まず、ドアの隙間を通そうとしたが、並の糸では通らない。無理矢理挟んで通してみても、糸が動かない。強引にやると、まず切れちまう。世界中の新素材を探せば、隙間を通るくらいに極細で、かつ丈夫な糸が見付かるかもしれないが、現実的でないので却下だ」
「となると、次に利用できそうなのは、床近くにある通気の小窓ですね」
合いの手を入れたのは副部長の不知火先輩。部長の方はいつの間にか目を瞑り、じっくり聞く態勢に入っていた。
「ああ、それも試した。さっき言ったように、編み目が細かくて、糸が通りそうにないんだ。仮に通る糸を用意できたとしても、ドアとの角度がよくないんだな。位置関係がほぼ直角をなしていて、単純に直線で結んで引っ張っても、閂は動かなかった」
「針か釘を、壁の適切な位置に打ち込み、そこに糸を掛けることで方向を誘導するという方法は?」
これも不知火先輩による質問。横川部長の聞きたいことは充分に理解できている、お任せあれって感じだなあ。
「無論試した。まだ話してない現場状況の一つに、室内には針が落ちていたというのがある。大きめの縫い針が六本、ばらけて床にあった。さらに壁には、ちょうどいい具合の位置に小さな穴があった。科学的に検査し、針が差し込んであったと見なしていいだけの結果も得た。残り五本の縫い針はカムフラージュで、やはり針と糸による密室工作が行われたに違いないと確信し、勇躍、実験に臨んだ。まあ、金属の編み目の問題は棚上げにしてだが。だが、これもうまく行かなかった。やっぱり角度がよくない。全然閂が動かないって訳じゃないんだが、三度か四度やって一度成功する程度の確立だ。針をちょっと移せばベストな位置があるのに、何でここに針を打つ?って感じなんだよ」
しゃべり終え、ふう、と息をつく茶谷刑事。基本的にお茶の類は出さないので、喉が渇くようなら飲み物を持参してもらうしかない。
と、話が途切れるのを待っていたみたいに、部長が口を開いた。
「茶谷刑事。先に聞いておきますけど、現場の状況でまだ言ってないことがあるのでしたら、今、全部吐き出してください。『まだ話していない現場状況の一つに』と言われるからには、少なくともあと一つ、話していない要素があるはずです」
「耳ざといな、さすが部長さんだ。伏せているのはあと一点だけさ。現場には、風船があった」
「風船、ですか」
「祭りなんかで売ってるような通常サイズ、色とりどりのゴム風船だ。尤も、ほとんど割れていたがね。膨らんだ状態のは一つだけ、ピンク色のが部屋の隅に転がっていた」
「転がっていたということは、中身はヘリウムガスではなく、空気?」
「そうだ。割れてた分のゴムも調べたが、ヘリウムガスはまず入っていなかったと考えられる」
「……風船は全部でいくつくらいあったのか、分かります?」
「割れてなかったのを含め、十六あったと聞いている」
横川部長からの矢継ぎ早の問い掛けに、茶谷刑事は間を取ることなく答えていく。が、次の質問にはわずかだが面食らったようだった。
「ふうん。宿泊施設なんだから、ドライヤーぐらいはありますよね? 落ち葉を吹き飛ばすためのブロワーがあれば、もっといいんですが」
「こりゃまた唐突な質問だな。ブロワーはなかったが、ドライヤーは確かあったよ」
「事件の前後で使われた形跡はなかったんでしょうか」
「分からん。というか、捜査資料にドライヤーに関して特記事項は見当たらないから、使われていた形跡はなかったんだろうな。少なくとも捜査の手が入った時点で、ドライヤーが熱を持っていた、なんてことはなかったとしか言えない」
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