第2話 探偵のくせして

「うん? 知り合い?」

 僕の左隣の室井樹むろいたつきさんが聞いてきたが、今はまだ言わずに、あとで驚かせたい。曖昧に、ただ首を横に小さく振るだけの反応を返しておいた。察しがよいのも時と場合によっては困りものだ。

 高梨さんが着席したのを見計らって、先生が「字は見える?」と確認する。問題ないと分かったところで、始業のベルが静かに響いた。


 当然の流れであるが、次の休み時間は高梨さんの周りに人垣ができた。主に女子が質問役に回って、前の学校のことだの、趣味や特技だのを聞いている。

 僕は自分から話し掛けることはせずに、高梨さんの口から語られる彼女自身の情報に耳を傾けた。高梨さんは転校初日でいい印象を与えようという意図があるのか、それとも元からこうなのかは知らないけれども、大抵のことにはにこやかに答えてくれている。さすがにスリーサイズや住所なんかは教えてくれなかったけれども。

 というか、現時点でスリーサイズを尋ねる“愚かな勇者”が、我がクラスにいることに驚いた。宝来だ。おかしい。学業優秀にとどまらず、趣味で論理的な推理小説を書くぐらい頭の回転の早い奴なのに、席が近いメリットをゼロに、いやマイナスにさえしかねない馬鹿な質問をするなんて。高梨さんの美貌に舞い上がったか?

 女子勢から一斉に叩かれ、輪の外に追いやられた宝来に、僕は駆け寄った。

「どうしたんだよ。あんまり恥ずかしい真似をするなよな」

「興味があったから聞いたまで。作戦は失敗だったけれどもね」

 作戦? 何のことだ。

「スリーサイズを聞けば拒否されるのは想定内だというのは、君も分かるだろう。あのあと徐々にハードルを下げ、普通なら答えないような質問にも、口が軽くなるんじゃないかと期待していたのに。叩き出されてしまった」

「他に何か聞きたいことがあった訳?」

「まあね。さっきの授業中、高梨さんの席から時折、小さなため息が何度か聞こえてきた。気にならないか?」

「うーん、微妙。そういう癖かもしれないし。転校初日で、実は内心、凄く緊張しているとかかも」

「……だよな」

 宝来は自身の右耳を引っ張り、舌先を小さく覗かせた。気持ちをリセットするときの彼の癖、というか儀式だという。

「きれいな異性を見て、惑わされたかもしれない」


 二時間目が終わると、次は化学の授業で教室移動だった。高梨さんの方を肩越しにちらと振り返ると、他の女子が声を掛けている。あの様子なら、どこに移動すればいいのか分からないまま取り残されることは絶対にない。万が一の場合は僕がと思っていたけれども、しょうがない。

 必要な物を小脇に抱えて席を離れる。いつものように宝来と室井さんの二人と一緒に教室を出た。その途端、後ろから声が。

「阿賀君、待って」

 これに「え?」と反応したのは僕だけじゃなかった。宝来は細い目をいっぱいに開き、室井さんはまん丸目を大きくして、それぞれ何で?と表情に疑問符を貼り付けている。

 僕はというとどうしたらいいのか分からなかったし、某摂政みたいに十人同時どころか三人同時に話すことすら叶わない。なので、高梨さんを優先した。

「はい」

 我ながら妙にかわいらしい返事をしてしまった。追い付いた高梨さんが、小さく吹き出したように見えた。

「何でしょう?」

「話し掛けてくれないから、心配になって。今朝のこと、やっぱり怒ってるんじゃない?」

「そんな怒るだなんて。こっちこそ、女子を転ばせちゃって、まずいことしたなと反省してた」

「反省してたから話し掛けてくれなかった? 全然、平気だって朝も言ったでしょう」

 両手の指を軽く絡ませて、心配げに眉を下げつつも、表情には微笑が垣間見える。二人きりのシチュエーションだったら、完全に落ちる自信がある、恋に。

 が、現実には友達二人から、一斉に話し掛けられた。

「ちょっと、どういう関係?」

「盛り上がってるところをすまないが、移動しながらでいいかな」

 授業に遅れては洒落にならないってことで、ひとまず動き始める。歩きながら、僕は今朝の出来事を掻い摘まんで説明した。

「そうだったの。安心した」

 筆入れやノートを両手で持ち直しつつ、息をついた室井さん。

「世の中のいい男の基準がいつの間にか変化したのかと思って、焦ったわ」

 何て言い種だ。彼女につっこみを入れようとした僕だったが、その寸前、逆に宝来から突っ込まれることに。

「何で言わなかったのだ、ばか者」

「ばか者ってのは言い過ぎだろ。ぶつかったことを反省して、他の男どもと同じスタートラインに立ってやったんだ」

「フェアプレイ精神の発露というだけなら、美しい心掛けだが、しばらく優越感に慕っていたかったんじゃないのかと、勘繰りたくなるね」

 当たらずとも遠からず。僕は心中のぎくり!を勘付かれぬよう、そっぽを向いた。そのまま高梨さんに話し掛けようとしたら、室井さんが先手を取っていた。ぶつかったときのことを、より詳しく聞き出そうとしているよう。

「何にも出て来ないよ。言ってないのは、僕がトーストを落としたことくらいだ」

「トーストって、阿賀君、また食べながら出て来たの。呆れた」

 またと言われるほど頻繁じゃない。そう反論してもよかったのだけれど、やめた。高梨さんの前で、あまりみっともないところは見せたくない。

「宝来から借りたミステリを読み終えようと、夜更かししたからかな。その前日は宿題の残りを片付けるために夜更かしだったし」

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