学園ミステリと若き探偵は永遠に

小石原淳

食パンは人とぶつかるためにあるんじゃない

第1話 お馴染みの光景を異なる視点から

 九月一日の午前八時過ぎ。

 高梨夢美たかなしゆめみは食パンをくわえて、走っていた。

「もう、転校初日から遅刻なんて嫌よ。迷子になるような道じゃないんだから。前の学校まで脈々と築いてきた私のお嬢様イメージを壊したくない!」

 物に当たり散らしたいところだが、今はそんな暇さえない。とにかく足を急がせる。

 都会から地方――田舎に引っ越してきただけあって、道路は未舗装部分もちらほらあるが自動車などの交通量は少ない。外灯は多いが、防犯カメラの類は見当たらない気がする。

 と、曲がり角に差し掛かった。

 次の瞬間、不意の衝撃に高梨夢美は両膝をついた。


           *             *


 九月一日の午前八時過ぎ。

 阿賀京太郎あがきょうたろうは食パンをくわえて、走っていた。

 学生鞄を右肩越しに背中へと掲げ持ち、左手首の腕時計で時刻を確かめる。

「この調子で行けば間に合う。余裕だな」

 左手でパンを口から離すと、確信を持ってもごもごとつぶやいた。飲み物を買う余裕ぐらいあるかもしれない。が、生憎とこの通学路の田舎道に清涼飲料の自動販売機はない。

 次からはペットボトルを持参しようと考えたところで、ふっと心に隙が生じた。折しも、彼の身体は曲がり角に入ろうというタイミング。

 次の瞬間、激しい衝撃に阿賀京太郎は後ろにすっころんだ。


           *             *


「いてて……」

 衝撃に思わず目を閉じ、そう言葉にしたものの、実際には大した痛みは感じていなかった。条件反射みたいに何となく言ったまで。

 ところが、相手からはとても心配げな声を掛けられた。

「失礼をしました。大丈夫ですか」

 目をつむっていたおかげで、声を聞いて初めてぶつかったのが女性だと分かった。健全な青少年の僕は美人さんを想像したのだけれど、目を開けると想像以上の美人がいたものだから、慌てて立ち上がった。

「大丈夫です。そちらこそ怪我は」

「平気だと思います」

 彼女は自身の身体を捻り、怪我がないことを確かめる。膝頭が赤くなっているが、血は出ていないみたい。そうしてからハンカチを取り出し、砂埃を払う。その仕種がいちいち優雅に見える。と、制服と学年章から同じ中学校の同学年だと気付いた。

「あの、自分は阿賀京太郎。もしかして転校生ですか?」

 思い切って尋ねる。これほど見栄えする生徒が前の学期からいたのであれば、絶対に噂になっているはず。

「ええ。高梨と言います」

 名字のみ口にして、彼女は左手首を返した。

「大変。もう間に合わないかも」

 小振りな女性物だがきらびやかで高そうな腕時計が、そこにあった。薄いピンク色をした細いベルトが印象的。

「あ、大丈夫。この地点でこの時間なら、意外と余裕あるから」

 僕は請け負うと、トーストがだめになってしまったことを目の端で確認した。がっかりはしたが、高梨さんとこんな形で知り合えたことで充分にお釣りが来る。他に落とし物はと視線を走らせると、ボールペンを落としていた。拾って、胸ポケットに戻す。

「ただし、いつまでも喋ってると、少し小走りになる必要が」

 そう言って、僕は先に走り出した。「あ、待って。まだ道に不慣れなんですから」という声と共に、高梨さんがついてくる気配を感じた。


 学校に到着して、高梨さんが慌てている理由を遅まきながら理解した。転校生は教室に直行するのではなく、職員室に立ち寄って行かねばならない。生徒昇降口のところで彼女を見送りつつ、一緒のクラスだと嬉しいな、そうなれと念じてみた。

 その願いが叶ったんじゃないかと、意を強くしたのは、教室に入ってすぐのタイミング。廊下とは反対の南側の列に、一学期にはなかった机と椅子が運び込まれているのを見付けた。やや遅く来た僕はクラスの連中と話す暇がなかったけれども、みんなも多分、転入生が来ることは予感しているに違いない。

 やがて予鈴が鳴った。担任の吉良きら先生は教室に来るなり、「今朝はまず転校生がいるから、紹介する」と切り出した。続いて「入って」と廊下の方へ声を掛け、彼女が楚々とした足取りで姿を見せる。

 うちの学校は公立ではあるけれども有名高校への合格率が比較的高いせいか、進学校と見なされていた。生徒の気質も割と真面目な校風だとされている(始業式のあと授業があるのは、単に時間が足りないからだけど)。実際、僕ら生徒の大半は大人しいもんで、少々のことでは無駄に騒いだりしない。が、このときはちょっと様子が違った。

 男子の多くが明らかにざわつき、女子も何人かが「きれい」「かわいい」と声を上げた。同性に厳しい女性陣があんな台詞を漏らすなんてと、僕はちょっとおかしくて笑いそうになった。

「Y市から来ました、高梨夢美です。よろしくお願いします」

「みんな仲よくするように。あ、高梨さん、名前だけ漢字で書いて」

 吉良先生がボードの方に顎を振って促す。高梨さんは字もきれいだった。

「席はあそこだから」

 先生に示された、一番南側の列、最後尾の席に向かう高梨さんを、皆の視線が追う。前の席と右横の席は女子だから、彼女に最も近い男子は斜め右の席の宝来博士たからぎひろしになる。僕とは小学生低学年の頃からの友達だが、正直うらやましい。

 と、宝来の席を見ていた僕を、高梨さんが振り返った。目が合う。微笑まれたような気がする。

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