#22 相賀桜子は鬼の末裔である
「ねえ、おじいちゃん、私って『鬼の子』なん?」
そのときの祖父の様子は、今でも子細に覚えている。
「なんじゃあ、桜子、誰にそんなこと言われた」
「……村の子たちに。石投げられた」
「……もうそいつらに近づかん方がええ」
「なんで? 私が鬼の子やから?」
「……もう少し大きゅうなったら教えちゃる。それまで我慢しい」
幼い桜子のために怒ってくれると思って相談したのに、祖父は苦虫をかみつぶしたような顔で諭すだけだった。そんな祖父の姿に、とても幻滅したものだった。
その出来事があってから、桜子は周りの人間の見る目を観察するようになった。
すると、大人の方が、より桜子に対して恐怖心というか、嫌悪の目を向けていることが分かった。表向き避けているようには見せないのに、笑っていないその目が桜子を刺した。子どもの方がわかりやすい分、まだマシだった。大人のその目が不快だった。
他の子どもには向けない目。
山から下りてきた熊とか、妖怪とか、害虫とか、そういうものに向けるような目。
できるだけ相賀の家を避けようとする態度。
次第に桜子は、自分が鬼の子だと言われた出来事を思い出しながら、「自分は鬼の子だ」と本当に思うようになっていった。
――――――
「わしらのご先祖様にな、
「丈夫ってなに?」
「身体が大きゅうて、男前いう意味や」
「ふうん」
桜子が10歳になった頃、祖父が夕食の席でそう語りだした。
「明治のはじめ、まだ多くの武士がおった頃、廃刀令っちゅうもんが出てな。武士は刀を没収されて、行き場を失くした。仕事を失くした。真っ向から政府に逆らうもんもおったが、山賊に身を落としたもんも多かったそうや」
「……」
「この村は今と大して変わらん。農民中心の村やった。漁と畑仕事で暮らす、刀とは無縁の平和な村やったらしい」
今も祖父は農業を営んでいる。近隣の家もだいたいそうだ。
「そこを襲撃してきよった、山賊の一団がおった。10人以上はおったいう話や。クワとかカマとか持っとっても、所詮は農民。武士崩れにゃあ勝てやん。諦めとったそんとき、一青が山賊に向かって襲いかかった」
「すごい、ヒーローやん」
「山賊を素手でバッタバッタとなぎ倒し、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ……」
「ちぎったん!?」
「山賊を全滅させたあと、山へ消えたらしい」
「全滅させたん!?」
かつて、桜子と同じく「相賀」の姓を持つ親戚もこの村にいたが、今でも残っているのは祖父と桜子だけになっていた。
「そんときの姿がな、まるで鬼やったと、助かったもんらは言うたそうや」
「それで……」
「なんでも肌は赤黒く、身の丈八尺、人間をちぎれるほどの腕力やったそうや」
「身の丈八尺って、どんくらい?」
「一尺が30㎝くらいやから……今でいう240㎝くらいやな」
「……え? でかすぎひん? 家入れやんやん?」
「冗談やと思うけどな、わしも親父や爺様から聞いただけや。でも誰も彼も、同じ話するんや。この村のいろんな家が、同じ話を聞かされて育った」
祖父も半信半疑、といった顔で話す。
父や母も、かつてこの話を聞かされたのだろうか。
「普段から240㎝もあったん!?」
「ちゃう、山賊に襲いかかったそのとき、急に大きゅうなったいう話や」
「鬼やった、ていうより『鬼になった』ってこと?」
「そういう印象やな。ほんで、英雄視されてはいたけど、その姿の恐ろしさから畏怖されるようにもなったみたいでな。山に消えた、っちゅうのも、ほんまかどうか……」
祖父も聞いた話を桜子に伝えているだけだ。そのとき見聞きした人は、もう誰も残っていないのだから。しかし口伝だけでも、その話の恐ろしさがよくわかる。まるで妖怪が出てくる昔話か、もしくは化け物が出てくる怖い話を聞かされているようだ。
「ほんなら、おじいちゃんも『鬼の子』言うていじめられたりしたん?」
「……した」
今まで知らなかった祖父の過去。いつも穏やかで優しい祖父が、過去を苦しそうに振り返る姿を、桜子は初めて目にした。
「……私気にせんよ。今度『鬼の子』言われたら、『がおー』って脅かしちゃる。まあ、面と向かって言うてくるやつ、おらんけどな!」
しいて言うなら目だ。目が気になっていた。しかし、あからさまに鬼呼ばわりしてくるものはほとんどいなくなっていた。親が口止めしたのだろう。
「うちのご先祖様おらんかったら、お前んとこの先祖、山賊にやられて死んどったぞ。お前生まれてへんぞ、って言うちゃるわ、へん!」
しばらく聞いていた祖父は、「……強いなあ、桜子は」と言って、桜子の頭を優しく撫でてくれた。
なにも恥じる過去なんかない。ご先祖様は村を守った救世主、英雄、勇者だ。胸を張ってそう言ってやる。桜子はそう誓った。
――――――
ヴィー!! ヴィー!! ヴィー!!
今まで一度も聞いたことのないサイレンが、村中に鳴り響いている。
誰が通報したのかはわからない。少なくとも、桜子ではない。
「桜子! はよぉ逃げえ!! こっちや!!」
祖父の叫び声が聞こえる。
祖父も高齢だ。走って逃げたり、桜子を抱えて逃げたりするほどの体力はない。
だから自分で立って走って逃げなければ。
そうはわかっているのに、足に力が入らない。
他の村民も逃げまどっている。
忌み嫌われている相賀の娘を気にする余裕は、誰にもないようだった。
サイレンがあんなにも鳴っているのに、セミの声がうるさい。
「鬼」になったのは、桜子ではなく村の別の子どもだった。それも、かつて桜子に向かって「鬼の子」と宣った子たちのうちの一人だった。
ただ、「子ども」にはもはや見えない。身の丈八尺とは言わないが、六尺くらいはありそうだ。肌は赤黒く、目の色も尋常ではない。祖父の言っていた通りだった。
ちぎられる。
ちぎって投げられる。
私は山賊ではないのに。
山賊と同じように殺される?
逃げなければいけないのはわかっているのに、身体が動かない。
呼吸の仕方も忘れてしまったようだ。
無限にも思える時間が経ち、桜子が気を失いかけたそのとき、身体が強い力で引かれた。
「逃げ遅れた村民確保!」
テレビでしか見たことのない制服姿のFCC隊員が、桜子を抱えていた。
人間の力とは思えないほど力強く、しかしそれでいて、優しい抱え方だった。
「公民館まで逃げるよ! お嬢ちゃん!」
「待って! おじいちゃんが!」
「おじいちゃん? 大丈夫、他の人たちもみんな、私たちが安全に避難させるから」
ふっと身体が浮いたような感覚があって、桜子は空を飛んでいた。
いや、FCC隊員に抱えられて、空を飛んでいた。
「おじいちゃん!」
「ああ……桜子……よかった……よかっ……た……」
祖父に強い力で抱きしめられ、ようやく桜子は自分の力で立っている気がした。
桜子を連れてきてくれた隊員は、公民館の外に出ていった。この公民館はシェルターとしては心もとない。周囲を警戒してくれているようだ。
「わしなあ、村の若いもんに腕引かれて避難させてもろたんやけど、桜子がまだ残ってるんやって叫んでなあ、FCCの人が、すぐ飛んでってくれたんや、よかった……ほんまに……」
「……おじいちゃんが先避難しとってよかった」
桜子は祖父としばらく抱き合ったまま、お互いの無事を喜び合った。
しかし、実際にフール化している人がいること、もしかしたら無事じゃなかった誰かがいるかもしれないことなどを考えると、気楽ではいられなかった。こんな田舎でもフール化現象が起こったということが、桜子にはまだ信じられなかった。
「こんなん、テレビの中の話やと思っとった」
「……わしもや」
爆発音は聞こえてこなかった。しかし、しばらくしてから、何人かのFCC隊員が公民館の方へやってきた。戦いが終わったのだろう。あの子はどうなっただろうか。
「ご遺族の方はいますか」
桜子にその言葉はよくわからなかったが、膝から崩れ落ちた母親がいた。
「心中お察ししますが、少々お話があります。外へお願いします」
そう言って、FCC隊員の、おそらくその中で一番リーダー格の人が、母親を連れて行った。あの子の父親は確か他県に出稼ぎに行っているはずだから、今日はここにいなかったのだろう。母親一人で、この出来事を受け止めるのは大変だろうと桜子は思った。
しかし、すぐに自分も他人ごとではないことに気がついた。
「あの!」
知らないうちに、桜子は隊員の一人に声をかけていた。
「私、あの、鬼の子なので、私もフールになるかも……しれません……」
「桜子! なにを……」
ぽかんとしたFCC隊員と、おろおろした祖父に挟まれて、桜子は返事を待った。自分の言葉が相手に正しく伝わったと疑わず、どういう結果になるかも考えず。
後から考えれば、もしかしたら連行されて監禁されたり、その場ですぐに射殺されたり、そういった結果になった可能性もあったことに気がついた。しかしこのとき桜子は、せっかくFCC隊員がこの村にいるのだからと深く考えず、自分も「ああなる」可能性を伝えておかないといけない、という発想に至っただけだった。
祖父がしどろもどろに相賀一青の昔話を始め、半信半疑の隊員たちはさらに困惑していたようだった。
と、一人の女性隊員が桜子に近づいてきて言った。
「つまり、君は『フールになるのは遺伝が関係している』と思っていて、ほんで『自分のご先祖様がフールになった伝説があるから自分もいずれフールになる』と思っとるわけやね?」
「は、はい、そうです」
「なーるほど、そら心配やね。ちなみにやけど、さっきフール化したあの子は、君の友だち?」
「えっと、友だち……ではないけど……知ってる子……」
「そうかそうか。ほな、あの子のご先祖様も、鬼になったん?」
「いや、あの子は別に……相賀の一族じゃない……はず」
「やろ? 別に関係ないで、遺伝とかそんなんちゃう。誰がなってもおかしないし、先祖がなったから言うて子孫がなるもんでもない」
「……!!」
「前からずっと……私、鬼の子言うていじめられた。おじいちゃんも昔言われたって」
「そら災難やったな。言うてる側に正しい知識がなかったんや。まあ昔から、『フールがうつる』とか『フール出た一家』とか言われて、いわれのない差別を受けた人も多い。特にこういう山村やったら、昔からの言い伝えとか、なかなか払拭できんしな」
「ほな……私もおじいちゃんも、鬼にはならんの!?」
「それはわからん。絶対、ちゅうもんはないからな。君もおじいちゃんも、なる可能性はゼロじゃない。ていうかフールはみんななるよ。カテゴリーがなにになるかが違うだけで、な」
「……そうなんや」
その人は、ふと思い出したことがあるように、上を見た。
「でもまあ、お嬢ちゃんの心配を消せるかも知らんから、ちょっと待っとって」
そして端末を取り出し、どこかに連絡をし始めた。
「おーす、環ぃ、久しぶり」
それは、仕事の電話というより、親しい友人に対しての話し方のようだった。
桜子は今まで知らなかったことがいっぱいで頭がぐるぐるとしだしたが、祖父がギュッと手を握ってくれたのに気付き、意識を保っていられた。
「私……鬼の子ちゃうかも知らんねんて」
「せやな……まあプロの言うことやしな……信じてええんちゃうか」
「でも相賀一青さんはおったんよね?」
「……昔、村を守った強い鬼がおった、ってことでええんちゃうか」
「……せやね」
桜子の心は、少し晴れやかだった。
心の中で、フールになったあの子を心配する余裕すらあった。その母親を悼む気持ちもあった。
「ほい、お嬢ちゃん、お待たせ。画面の向こうのお姉ちゃんとちょっと喋ってみ」
Fool on the planet モルフェ @HAM_HAM_FeZ
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