幻惑の糸葉水仙(四)

 平穏に数日が過ぎた。

 リュシアンは隔日で市場に出向いては竪琴リラを奏で、その合間には冬の間に仕入れた東方の出来事を聴衆に伝えて小銭を稼いでいた。聴衆が面白がる不貞の話や決闘の話など、大袈裟に話を盛りながらネタが切れぬよう小出しに語り聞かせた。聴衆の中には、この街で生涯を終える者もいる。詩人がもたらす異国の話は、事件の大小に拘らず聴衆にとっては興味の尽きない娯楽であった。

 その日もまたリュシアンは、市場の一角に立って竪琴を披露していた。少し飽きられたのか、聴衆はそれまでに比して少ないように感じられた。そのためリュシアンは、ただならぬ気配を漂わせながら自分を眺める男が数人ほどいることにすぐに気づくことができた。

 彼らは他の聴衆のようにぼんやりと音を聴いてはいない。何かの機会を窺っているかのように落ち着きがない。彼らの関心は音や語りではなくて、明らかに詩人自身に向けられているようだった。

 当然、リュシアンは緊張した。それまでは軽妙に跳ねていた弦のは、いつしか奏者の緊張が乗り移ったかのように緊迫感を帯びつつあった。男たちは三、四人ほどだろうか、一様に帯剣し明らかに鍛えられた戦士であることが伺えた。今更逃げ出すことはできないと詩人は諦念し、だが隙を探りながら、何食わぬ顔で竪琴を弾き続けた。

 弾きながら彼は、何が起きようとしているのかを考えた。

 市場での営業許可は取っているし、許可区域外での営業はしていない。可能性としては上納金が少なかったのか、もしくは賄賂が必要だったのか。それとも、この男たちは、面白おかしく話のネタにした何某かの関係者なのか。もしくは客を奪われた同業者の差金か。あるいは、自分を付け狙う敵が未だに存在しているのか。

 最後の考えは思い過ごしだろう。二十年ほど前ならばいざ知らず、今更、ダンバーのリュシアンの命を狙う者などいるはずがない。ネタ元の関係者が偶然ここに居合わせるなんてこともあり得なくはないが、三、四人の手下を差し向けられるほどの大物の話をした覚えはなかった。他の同業者とは河岸かしが被らないように営業申請は出している。となれば賄賂か、あるいは稼いだ金からもっと上納しろということだろう。

 弾きながらリュシアンはやるせない気持ちに陥った。かつて華やかなりしフェルンの市場も、女伯不在でここまで品格が堕ちてしまったのだろうか。常駐の領主がいないだけで、市政が腐っていく事など珍しくもない。それでも、伯姫マリセタが治めたこのフェルンは、そうなって欲しくなかったと詩人は思った。

 帯剣した男たちは、いつでも詩人を取り押さえることができるように配置されている。演奏が終わり、聴衆がばらけ出すと同時に、彼らは自分へと詰め寄ってくるだろう。次は善良なる旅人を寄ってたかって襲っていたエスカルナ地方の凶悪な群盗が縛首にされた歌でも披露してやるかと、詩人は覚悟を決めた。

 いよいよ最後の楽句フラーズを歌い終え、少ない聴衆のまばらな拍手を受け、詩人は竪琴を掻き鳴らす指の動きを止めた。多少の投げ銭を受け取りながら、次の曲に入る機会を窺うが、それよりも早く男たちが間合いを詰めてきていることを詩人は察した。ならばすぐさま立ち去るかと考えてリュシアンは諦めた。彼らを撒いて逃げることは無理だろう。ここは次の曲に急ぎ入り、聴衆を使って彼らの邪魔をするのが得策だろうと詩人は判断した。だが、

「少しよろしいか、詩人殿」と剣を帯びた男のひとりが先に声をかけてきた。

 リュシアンは狼狽した。男達の方が一枚も二枚も上手で、彼らは詩人の機先を制して行動に出てきたのだった。彼らの方も、この市場の往来で事を起こす愚を避けたのであろう。嘆息したリュシアンは男を睨みつけると、

「どこの誰かは知らないが、今の稼ぎ以外、金はないぞ」と口にした。

 その答えに男達は戸惑い、顔を見合わせて困惑した表情を浮かべた。幾度も首を振り、お互いに視線を投げかけては逸らした。その様子にリュシアンも拍子抜けする。この男達は金の取り立てにきたわけではないのかと混乱する思考の中で、詩人は聴衆に目を配ると「すまんが今日はこれで終わりだ。次また来てくれ。ランの森を支配する群狼退治に乗り出した戦士達の顛末を披露しよう」などと呼びかけた。

 聴衆達がそろそろと場を離れたところで、一番年長と思しき白髪まじりの中背の男が腰を折って礼をすると、他の三人の男どももそれに倣った。

「誤解を与えてしまったようで、申し訳ない。我らは主命により、あなた様をお迎えに参った者です」

 この口上に詩人は面食らうが、連れて行かれた先で身ぐるみ剥がされるのかと警戒し、

「主命だと? さっきも言ったとおり俺の稼ぎはこれだけだ。これ以上たかっても鐚一文出てきやしないぞ」と確認するように言い放った。

 だが詩人の言葉に、男たちはさらに困惑の度合いを深めた。その狼狽ぶりがおかしく感じられて、リュシアンは疑問を口にした。

「さっきは聞き流したが、そもそもお前らの主とは誰だ?」

「それは、訳あってこの場では申し上げられません。ついてきていただきたいとしか……」

 男は口を濁して目を逸らした。その態度にリュシアンにはある予感が湧き上がっていた。そういえば数日前、城仕えの男と話をしたばかりであった。

 この地でこのようなことができるのは、ただ一人。美しき思い出は、過去の美しいままでいさせてくれるわけにはいかなくなったらしい。

 大きくため息をついて、リュシアンは空を見上げた。空の遠くで、羽を広げた猛禽が悠然と弧を描いて舞っていた。

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