百合の剣(三)

 申し訳なさそうな表情で、メルシーナは二人の騎士に話しかけた。

「突然ごめんね。特に用はないんだけど、近くを通ったら二人が手合いをするって聞いたから覗いてみたの」

 突然の来客など、大した用事では無いことも多い。だがエミリアは「訪問していただけるのは嬉しいことです」と言って喜んだ。「こんなところ、仕事の依頼でしか来ないじゃ無いですか」とアニェスもそれに同調し、「だから様子を気にかけてくれるのは嬉しいんですよ」とつけ加えた。

 せっかくきていただいたので、と前置きをしてエミリアが「いかがでしたか? メルシーナ様」と模擬戦の感想を求めた。

「うん。二人が戦っているのって初めて見たわ。木剣とはいえすごいのね。目で追うのも大変だったわ。絶対にまねできない動きだわ」

 素直な言葉に、二人の騎士は顔を見合わせて微笑みあった。騎士たちの身体からは、未だ止めどなく汗が吹き出し、その身体は火照っていたが、その表情は涼しげだった。メルシーナは剣を扱えない。だからこそ下手に言葉を尽くさず、率直な感想を述べただけなのだが、その飾ることない姿勢こそ好ましいと騎士達には映る。

「私たちにとっては、あなた方が楽器を奏でる動きこそ真似できませんから、うらやましく思っていますよ」

 エミリアの言葉がメルシーナには少々気恥ずかしく、照れた表情を浮かべた。エミリアたちを褒めたはずなのに、何故かさりげなく褒め返されている。彼女たちのそんなところに、メルシーナは大人っぽさを感じる。ついつい自分主体の言動ばかりをしてしまう自分のような小娘には、それは未だ備わっていないものだとメルシーナは羨ましく思った。

「そういえば、戦闘を見せるのは初めてでしたね。まぁ、護衛の最中に私たちが剣を抜くのは、ヤバい時ってことですからね」

 アニェスが少しおどけた表情でメルシーナの話を継いだ。途端、それをたしなめるように、エミリアが鋭い視線をアニェスに投げかけた。

「あ……」

 と小さく声を出し、アニェスは自分の不用意な発言に気づいた。

 メルシーナとオフィリアの二人はかつて、自分たちを守るために剣を抜いた同胞が次々とたおれていく、地獄のような戦場を逃げ延びてきたのだということを思い出した。だがここで、変に話を逸らすのもどうかと思い、またそんな話術も持ち合わせていないアニェスは強引に話を続けた。

「私たちが剣を抜くのは最後の最後というか、あってはならないことですからね」

 前髪をかき上げながらアニェスが言う。持ち上げられた髪の先端に汗の滴が孕んでいる。梳くかのような手の動きとともに、光をはらんだその粒は地に滴り降ち、熱せられた石畳の床に染み込んでいった。ちいさく石を湿らせたそれは、すぐに乾いて消えていく。

 やれやれといった表情を浮かべてエミリアが言葉を継いだ。

「危険にあなたを近づけないこと。危険からあなたを遠ざけること。これがそもそもの私たちのお役目ですから」

 だが実のところ、メルシーナもオフィリアも遠い郷里の忌まわしい過去を思い出してはいなかった。騎士たちの憂慮とは裏腹に、彼女たちの脳裏に浮かんでいたのは、ここ数年、騎士たちとともに歩んだいくつかの旅路のことだけだった。

 かなり大げさかもしれないが、メルシーナは騎士四人と契約を結んでいる。この二人の女性のほかに男性が二名。元々は彼女の最初の遊学に際し、師事する導師がメルシーナの身分と若年さとを慮って、四人も護衛をつけたのが始まりだった。

 これまで、彼らとともに街道を歩み、メルシーナが危険を感じたことはなかった。旅程・時刻・季節・政治的情勢など様々なことを加味し、騎士たちは安全優先で先導し、的確な状況判断を下していた。だからメルシーナは騎士たちが剣を抜くのを見たことがない。

「本当にどうしようもない状況に陥った時、男二人は盾となって食い止めます。そして私たちはあなたを逃がすことに注力します。だから私やアニェスが剣を抜く時、それはもう最後の状況です」

 そんな絶望的な状況は想像がつかないが、仮にそのような状況に陥った時、わたしはどうすれば良いのだろうかと、ここでようやく、メルシーナは故国エルスクでの過去に思い至った。

 故国がべオルニス人に襲撃されたあの時、メルシーナはオフィリアに手を引かれ、北の夏の白い夜を逃げた。隠れては走り、また隠れては走り……非力な少女二人が逃げおおせたのは、父王以下エルスクの戦士たち、住民たちが盾になったからだった。倒れた同胞の体を踏んで、流れたその血を衣服の裾に染み込ませながら、メルシーナとオフィリアは逃げ延びた。

 遠い過去を思いおこし、知らずのうちに怯えた表情を浮かべていたのであろう。滲み出る汗は、暑いからではなく急激な緊張がもたらしたものだったのだろう。不安げな表所を浮かべるメルシーナに優しく微笑みかけながらエミリアが言う。

「あなたがもう怖い思いをしなくて済むように、誰も剣など抜くことがないように我々は務めております。仮に抜いても、最後までお守りできるように、こうして鍛錬していますから、ご心配なさらないで下さいね」

「必ず、どちらかが守り抜きますよ」

 二人とも、そう言って微笑んだ。

 その微笑に頼もしさを感じながらメルシーナは思う。誰かの盾となり誰かの剣となり、自分ではない者のために命を賭す、どうしてそんなことが出来るのだろう。

 故国が侵略された時、エルスクの戦士たちは必死でわたしを守り逃してくれた。それはエルスクの民と王家との間に、父祖の代から連綿と続く確固たる絆があったからだ。でも、目の前の騎士たちとわたしの間に今あるものは、金銭を介した契約関係でしかない。それなのに、彼女たちはそれ以上のもので応えようとしてくれている。

 メルシーナはそのありがたみを胸の奥で噛みしめた。だが、

「どうしたら、そんな覚悟ができるの?」

 謝意は珍妙な疑問に形を変えてメルシーナの口から漏れ出た。発した自分自身も驚くほど、なぜ唐突に口に出たのかがわからない質問だった。

 それは、二人の騎士も同じだったのかもしれない。不思議そうな表情を浮かべる二人の騎士であったが、

「立ち話もなんですから、少しお付き合いいただけますか? メルシーナ様」

 エミリアがちょこんと首を傾けて微笑んだ。

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