第Ⅴ章 百合の剣

百合の剣(一)

 夏の陽射は、じりじりと世界を焦がしていた。

 練兵場の一画に設けられた天蓋の下で、暑い暑いとぼやきながら、床石に照り返す陽の鋭さを避けるように膝を抱えて座り込み、メルシーナはの様子を眺めていた。

 隣には横座りで侍女のオフィリア。同じく見つめる視線の先に二人の剣士の姿があった。膝においた彼女の手は、大きな音が響くたびにぎゅっと硬く握りしめられていた。剣士たちは激しく木剣を交え、カンとぶつかり合う鈍い音は人影もまばらな場内に響きわたる。

 暑さゆえか、手合いを続ける二人とも兜も鎖帷子くさりかたびらの頭巾さえもかぶっていない。だから頭部への攻撃を禁じた規則なのだろう。上着シュールコットの下に見え隠れする鈍重そうな鎖帷子が覆う相手の体を目掛けて、お互いに剣を繰り出していた。剣先から体を守ろうと二人ともに盾を操り、攻守を入れ替えての撃ち合いは長く続いていた。

 露出する顔には真剣な眼差しが浮かび、時折苦しそうに表情を歪めている。遮る兜がない分、その表情に滲み出る疲労感を、そして滝のように流れ落ちる汗を、観覧者たちは見てとることができた。

 それぞれの動きに従ってその髪が忙しく揺れる。二人の荒い息遣いもメルシーナたちの耳にはっきりと届いていた。

 対戦中の二人はメルシーナたちもよく知っている。ここ〈学院〉の騎士組合ギルド所属の騎士たちで、出会ってもう数年になる。数回の旅路に護衛として同行してもらい、メルシーナも全幅の信頼を置いている。

 組合ギルドは「〈学院〉の騎士団」を名乗ってはいるが、実態は独立した傭兵組織である。固有の軍事力を持たない〈学院〉の治安と防衛を委託され、〈学院〉とは唇歯輔車の関係にあった。各組合員は国家としての〈学院〉や、教師・学生個人と契約を交わし、その軍事能力を提供している。

 戦う二人は現在、メルシーナとの優先契約を結んでいる。


 メルシーナはオフィリアを横目に話しかけた。

「剣の動きは、わからないわ」

 オフィリアは言葉では応じずに、ただ頷いて見せた。彼女が手合いを見つめる眼差しは真剣で、その様子にメルシーナは話しかけようとしていた言葉を飲み込んだ。

 ふとオフィリアが悔しさを滲ませて言葉を吐いた。

「私にあれくらいの力があればと、幾度思った事でしょうか」

 メルシーナはハッとした。

 思い出しているのだろうか。そうメルシーナは思うが口には出さない。あの七年ほど前の出来事を話題に出すのは相当な覚悟が必要で、軽々しく話をすることは二人ともにできなかった。それに、その出来事はあまりに衝撃的すぎて、まだ幼かったメルシーナは断片的にしか記憶がなかった。

 でもオフィリアにとって記憶は鮮明であるようだ。だからこそ、メルシーナは今、オフィリアの言葉に何も答えられなかった。

 七年前の夏、二人は故国エルスクを喪失なくしていた。


 メルシーナはここ〈学院〉に学ぶ女学生であるとともに、この地に身を寄せる亡命者でもある。故郷である北方の小さな島国エルスクを滅ぼしたのはべオルニア王国。メルシーナたち北方民とべオルニス人の間には数百年にわたる争いの歴史が横たわる。

 二百年程前は土地や財貨、食料を求める北方民が大陸の沿岸地域や西方の島国ベオルニアに襲撃を繰り返した。そうした襲撃による戦闘は激しいものであったらしく、例えば当時の詩人リュシアンによる「アデル橋」のような叙事詩にも詠われている。

 交流と緊張を繰り返しながら時代ときは流れ、北の民は交易民としての地位を築き上げた。大国アラーネを中心に、そこより極地に向かって散らばる島々には小国家が群をなし、木材、海獣の骨製品や毛皮、塩漬けニシンといった海産物など豊かな産品をもとに穏やかな生活を送っていた。

 だが七年ほど前、突然、ベオルニアは攻め込んできた。その餌食となった列島諸国の一つがメルシーナのエルスクだった。

 命懸けで難を逃れ、亡命をたらい回しにされ、同郷の導師の庇護を頼ってようやく〈学院〉に落ち延びた。

 ここ〈学院〉はいと高き学問の座であるとともに、自由と安全が約束された政治的避難所アジールでもある。庇護者の計らいで学生としての身分を得た二人は、この地に適応しようと必死に生きた。そして紆余はあったが祝祭における詠歌奉納者として認められた。今や、先代の奉納者オフィリアは典礼局所属の楽師という身分を得ている。メルシーナは現奉納者で「楽師姫」のあだ名で呼ばれるほどにはこの地での基盤を獲得しつつあった。

 北方の長い冬、娯楽は屋内での音楽であったし、幼いメルシーナは首領ゴジの娘として神々への捧歌ささげうたを任されていた。そうした特技の所以で、今二人はこの地での立場を確立している。

 

 この〈学院〉には志操高き学生だけではなく、そうした「訳あり」な人間も多く集う。その生存と自由が保証されるためには、この〈学院〉に力が備わっていることが求められる。

 だが知的権威というだけでその力は成り立たない。擬制国家としての〈学院〉が、軍事と治安の力として依拠するのが騎士組合だった。それは高度に組織化された傭兵集団で、〈学院〉と結びつきその「騎士」を名乗る中で厳格な規律を作り上げ、それによる格式を手に入れてきた。騎士なる者とならず者との境界が曖昧なこの世界にあって、〈学院〉の騎士たちは私的に体得した暴力的な技術を、公的な守護の力に昇華するために、修練や品格の研磨には余念がなかった。

 今、メルシーナたちの面前で繰り広げられている手合いをはじめとする鍛錬は、〈学院〉の権威を保証し、保持するためにも重要なものであった。

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