第Ⅴ章 百合の剣
百合の剣(一)
夏の陽射は、じりじりと世界を焦がしていた。
練兵場の一画に設けられた天蓋の下で、暑い暑いとぼやきながら、床石に照り返す陽の鋭さを避けるように膝を抱えて座り込み、メルシーナは手合いの様子を眺めていた。
隣には横座りで侍女のオフィリア。同じく見つめる視線の先に二人の剣士の姿があった。膝においた彼女の手は、大きな音が響くたびにぎゅっと硬く握りしめられていた。剣士たちは激しく木剣を交え、カンとぶつかり合う鈍い音は人影もまばらな場内に響きわたる。
暑さゆえか、手合いを続ける二人とも兜も
露出する顔には真剣な眼差しが浮かび、時折苦しそうに表情を歪めている。遮る兜がない分、その表情に滲み出る疲労感を、そして滝のように流れ落ちる汗を、観覧者たちは見てとることができた。
それぞれの動きに従ってその髪が忙しく揺れる。二人の荒い息遣いもメルシーナたちの耳にはっきりと届いていた。
対戦中の二人はメルシーナたちもよく知っている。ここ〈学院〉の騎士
戦う二人は現在、メルシーナとの優先契約を結んでいる。
メルシーナはオフィリアを横目に話しかけた。
「剣の動きは、わからないわ」
オフィリアは言葉では応じずに、ただ頷いて見せた。彼女が手合いを見つめる眼差しは真剣で、その様子にメルシーナは話しかけようとしていた言葉を飲み込んだ。
ふとオフィリアが悔しさを滲ませて言葉を吐いた。
「私にあれくらいの力があればと、幾度思った事でしょうか」
メルシーナはハッとした。
思い出しているのだろうか。そうメルシーナは思うが口には出さない。あの七年ほど前の出来事を話題に出すのは相当な覚悟が必要で、軽々しく話をすることは二人ともにできなかった。それに、その出来事はあまりに衝撃的すぎて、まだ幼かったメルシーナは断片的にしか記憶がなかった。
でもオフィリアにとって記憶は鮮明であるようだ。だからこそ、メルシーナは今、オフィリアの言葉に何も答えられなかった。
七年前の夏、二人は故国エルスクを
メルシーナはここ〈学院〉に学ぶ女学生であるとともに、この地に身を寄せる亡命者でもある。故郷である北方の小さな島国エルスクを滅ぼしたのはべオルニア王国。メルシーナたち北方民とべオルニス人の間には数百年にわたる争いの歴史が横たわる。
二百年程前は土地や財貨、食料を求める北方民が大陸の沿岸地域や西方の島国ベオルニアに襲撃を繰り返した。そうした襲撃による戦闘は激しいものであったらしく、例えば当時の詩人リュシアンによる「アデル橋」のような叙事詩にも詠われている。
交流と緊張を繰り返しながら
だが七年ほど前、突然、ベオルニアは攻め込んできた。その餌食となった列島諸国の一つがメルシーナのエルスクだった。
命懸けで難を逃れ、亡命をたらい回しにされ、同郷の導師の庇護を頼ってようやく〈学院〉に落ち延びた。
ここ〈学院〉はいと高き学問の座であるとともに、自由と安全が約束された政治的
北方の長い冬、娯楽は屋内での音楽であったし、幼いメルシーナは
この〈学院〉には志操高き学生だけではなく、そうした「訳あり」な人間も多く集う。その生存と自由が保証されるためには、この〈学院〉に力が備わっていることが求められる。
だが知的権威というだけでその力は成り立たない。擬制国家としての〈学院〉が、軍事と治安の力として依拠するのが騎士組合だった。それは高度に組織化された傭兵集団で、〈学院〉と結びつきその「騎士」を名乗る中で厳格な規律を作り上げ、それによる格式を手に入れてきた。騎士なる者とならず者との境界が曖昧なこの世界にあって、〈学院〉の騎士たちは私的に体得した暴力的な技術を、公的な守護の力に昇華するために、修練や品格の研磨には余念がなかった。
今、メルシーナたちの面前で繰り広げられている手合いをはじめとする鍛錬は、〈学院〉の権威を保証し、保持するためにも重要なものであった。
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