誓いの雪起花(五)

 炎が揺れていた。

 油皿に灯された炎は闇を少しだけ払っていた。台に置かれたその灯を囲んで六つの瞳が詩人に注がれている。その正面から詩人を見据えるメリザンドの瞳をしっかりと見つめて、詩人は静かに話をしていた。

 卓上に肘をつき手を組んで、微動だにせずに娘は詩人の話に耳を傾けている。

 整った顔には憔悴の色が見えていたが、ときおり目を閉じその勇姿を思い描いているような表情を浮かべて、娘は父親の最期を噛みしめていた。

 既に涙は出尽くしたのだろうか。気丈にも娘が涙を流すことはなかったが、それがかえって詩人の気持ちを鬱々としたものにさせていた。泣き叫び、取り乱してくれた方がどんなに気が楽になることだろうか。そう思った詩人だが、そんな自分の都合を眼の前の娘に押し付けるべきではなく、むしろ凛とした娘の態度こそ称賛されるべきなのだろうと考えた。

 既に父親の死を受け止めているのだろう。不気味なほどに娘は落ち着いていた。

 緩やかに波打つ豊かな栗色の髪は、だが今この時は重苦しく詩人の目に映る。

 その顔立ちは整っている、だが今は厳然とした彫像のように強張っている。

 虚ろに灯火の揺らめきを映すその瞳も、キュッときつく閉ざされた唇も、いつかこの娘が幸せを取り戻すことが出来たなら、生き生きとした魅力的な美しさを湛えることだろう。灯火に乱れが浮かび上がるその髪も、いつか笑いを取り戻した時には、深く美しい艶を見せることだろう。

 金属器や硝子器に反射する光は、炎の揺らぎにあわせて闇の中で小さく瞬いている。その不規則な動きに詩人の心は沈んでいった。

 この美しい娘の表情を凍りつかせているのはリュシアン自身に他ならない。

 ──自分は今、娘に不幸をもたらした忌むべき使者なのだ。

 自身のことを心の底から憎いと思い、詩人は話しながら拳を固く握りしめた。その爪が掌に食い込み、痛みを感じる。だが今この時の自分の存在の居た堪れなさに比べたら、その胸の痛みに比べたら、それはあまりにも小さすぎる痛みだった。

 話を聞く娘の方は、美しさに加え聡明さも持ち合わせていた。一見すると非合理にしか見えない父エルドレッドの決断──敵の要求を飲み防衛の要であった潮間帯を明け渡した理由や、決戦を急いだ意味合い──も、「父上はこうお考えになられたのですね」と確認するだけだった。

 娘の聡明さに助けられ、詩人はエルドレッドのための弁明を行うことなく、事実のみを淡々と語り続けた。やがて話すべきことも尽き、街の者たちでエルドレッドの葬儀を執り行ったところで詩人はその口を閉ざした。

 娘も老夫婦もまた黙り込んだ。皆一様に身動きすら忘れ、灯火の揺らめきにただその影がかすかに濃淡を変化させているだけだった。

 ふぅっと大きく息を吐いて、頭をうなだれたメリザンドは、しばらくは卓上の木目をぼうっと眺め続けていた。やがて顔を上げた娘は、無理な笑顔を作り出して詩人に話しかけた。

「詩人さん、ありがとうございます」

 その歪んだ笑顔に、リュシアンは心が痛んだ。灯火の光を映す娘の瞳の奥底に、隠しきれない悲しい色を見出していた。だが詩人は、それが見えていないふりをした。この娘の必死な表情に対して、何を返すことが出来ただろう。弔慰の言葉すら飲み込んで、リュシアンは返事すらなく黙り込んだ。

 だがいつまでも無言の時を過ごすわけにはいかない。

 娘の憔悴に気づかぬふりをして、おもむろにリュシアンは旅の間一時も離さずに守り抜いた、父親から娘への形見の品を取り出した。天板の上に差し出されたそれらは、固く重々しい音を鳴らして静寂を破った。卓上に置かれたそれら遺品を見て、メリザンドの目が一瞬だけ大きく見開かれた。

「これは……」

「エルドレッド様からの預かりものです」

 詩人の言葉が終わる前に、メリザンドは恐る恐る形見に手を伸ばしていた。

 娘はまず首飾りを手にした。先に装飾品に手を伸ばしたのは若い女の本能なのか、それとも父親を連想させない品だったからなのか。余計な詮索を飲み込んで詩人は、

「奥方様から預かっていた、そうエルドレッド様は仰せでした」

とその由来を娘に聞かせた。

「お母様の……」

 そう言ってメリザンドはその銀の首飾りを両の掌で包み込んだ。そして目を閉じて、何やら物を思うかのようにゆっくりと深く呼吸を整えた。

「母は、幼いころに亡くなりましたの……」

 そのことは詩人もエルドレッドから聞いていた。だが今はそこに立ち入るべきではないと、詩人は言葉を返すことはしなかった。

 優雅に指先を動かしてメリザンドは鎖を外すと、「つけて」と目くばせをしながら横の老婆にそれを手渡し、長い髪を持ち上げると老婆に背を向けた。髪に隠された娘の首筋が顕わになった。日に焼けていない白い襟足が、薄暗い室内に眩しく映った。受け取った老婆は丁寧にそれを娘の首に回し、目が悪いのか二、三度失敗したのちにようやく鎖をつなげた。ありがとうと小さく告げて、メリザンドは髪を下ろして詩人の方に向きを直した。

 先ほどまでただの銀の首飾りだったそれは、正統な持ち主を得たとばかりにメリザンドの胸元で輝きを放った。思わず見惚れた詩人に、メリザンドはぽつりと言った。

「アザミの花はうちの紋章。刺々しい花だけど……」

 その言葉にリュシアンは、戦場に翻っていたエルドレッドの旗を思いおこした。猛々しく凛々と、アザミの旗は最期の時まで風を受けて翻っていた。

 詩人が回想をしている間に、娘はもう一つの形見に手を伸ばした。それは直接的に父親を連想させる、一振りの短剣だった。

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