戦場の糸繰草(三)

 指揮官の言葉は、苦渋に満ちたものだった。

 それは弥縫策びほうさくでしかない。そのことをエルドレッド自身がよくわかっている。今回の侵略を阻止できたとしても、北方人の襲来そのものは止められない。しかも、ここで自分達は死ぬかもしれない。それでは、いつ来るのか分からない次の襲来に対処することはできない。

 それでも、とエルドレッドは思う、

 ──べオルニス人の誇りをここで示すことで、次の襲来を遅らせるくらいには役に立てるのではないか。そして我らの戦いぶりに心を震わせた誰かが、後に続いてくれるのではないか、と。

 部下たちは押し黙った。主君の覚悟は伝わっている。

 理解している者もいるし、憮然としている者もいる。

 ただ、彼らの住むタイン地方は造幣所ミントすら存在する豊かな地域で、今ここで襲撃者を追い払うことが出来たとしても、侵入を許した他地方から川伝いに北方人が襲いかかってくることも想像できた。その場合、防壁となるべき潮間帯は存在しない。

 誰もがそれを知るからこそ、最後はみな一様に沈痛な表情を浮かべる。

 彼らを見回して、エルドレッドは告げた。

「奴らアラン人の望みに応じよう。明日、それを伝える。そして、農民兵フリュド達をはじめ、離脱したいものは自由にさせよ」


* * *


 部外者の詩人リュシアンは、その軍議の場にはいなかった。

 だからこそ、これから始まる決戦を前にしてなお、エルドレッドの決定には疑念を抱いていた。

 ──なぜ、ここを死地としなければならないのか。自領の防衛のみに専念して、小径を守って追い返せばよいのではないか。

 だが、今この戦場に臨むべオルニス人戦士は皆、覚悟を決めている。そのことを肌で感じていた。主従の絆は強く、エルドレッドの意思に彼らは殉じようとしている。戦場を離れた従士もいない。農民兵フリュドでさえ離脱したのは僅かだった。それは他国に屈した後に、同胞に何が起こるのかを知っているからだった。

 彼ら戦場のべオルニス人は、この一戦で敵を殲滅ないしは略奪の続行が不可能なほどの打撃を与えたいと強く念じている。

 誇りを示し全土の民を守るという決意をみなぎらせて、ベオルニス人は詩人の後方に整然と控えている。それを鼓舞するかのように、ベオルニアの鷲の旗とエルドレッドのアザミの旗が風に靡いていた。

 そして詩人の眼前には、屈強な北方アラン人の戦士たちが塊をなしている。蛇をあしらった旗を掲げて、整然と静かにしている様は不気味だった。詩人は、その威容に恐ろしさを禁じ得ない。それでも気持ちを強く持って、リュシアンは両軍の中央に馬を進めた。

 詩人の後方から、立ち合いのべオルニス人数名が続いた。前方からも数名のアラン人が、ゆっくりと前に歩み出ていた。

 両軍対峙するその中程で、詩人は馬を静止させた。前後のそれぞれ数歩ほど離れた場所で両軍の立会人が詩人を見守る。彼らの後方では、それぞれの戦士たちが始まりの合図を待ち構えていた。

 馬上で竪琴を鳴らし、リュシアンは有名な武勲詩の一節を歌った。


  Hige sceal þe heardra, heorte þe cenre,

   己が意志をさらに固めよ 心をいっそう研ぎ澄ませ

  mod sceal þe mare, þe ure mægen lytlað.

   勇気をますます奮わせよ 我等が力、尽きゆくならば


 続けて詩人は即興で、声を張り上げ双方の兵を鼓舞した。


  べオルニス人の戦士らよ その盾でまし国を守れ

  北の勇士たちよ その斧、存分に振り下ろせ

  汝らの命運、これより天上の神々の手に委ねられん


 そして詩人は竪琴をしまい、代わりに弓矢を手にした。矢を番え天空に向けて力を込めて引き絞る。そしてそらの一点を目掛けて詩人は矢を放った。ひゅうという風切り音とともに、まるで吸い込まれるかのようにそれは青へと消えてゆき、その行方を見届けることなく詩人は馬の腹を蹴って戦場を離脱した。その詩人の姿を目で追った立会人たちもまた、小走りに自軍へと戻っていく。

 詩人の姿が見えなくなったその時が、開戦のときであると取り決めがなされていた。

 不要になった弓を投げ捨て、詩人は馬を急がせる。

 やがてその背後から、双方の軍が起こす大きな音どもが響く。一つは、盾の群れがザクっと地に刺し込まれてゆく音。べオルニス兵が葉形盾の尖った先端を地に突き刺して守りを固めている。今一つは、ガチャガチャと盾を打ち鳴らしながら上がる喚声。丸盾を持つアラン人が、士気を高めつつある。

 突撃の時は近かった。

 

 戦斧や剣で盾を打ち鳴らしつつ、アラン人達はこれから始まる戦に身を震わせた。

 どれだけ倒せるのかを考えている者もいる。

 どれだけの戦利品を得ることができるのか想像を膨らます者もいる。

 故郷の妻子への土産話を、いかに勇壮に飾り立てようかと思い巡らす者もいる。

 アラン人の士気は高く、数の力もあってか興味はすでに戦勝後のことにあった。

 戦の序を告げる詩人の孤影は、小さくなっていた。

 そして視界の彼方にその姿が消えゆくと、アラン人の一角から勇壮な雄叫びが挙がった。一つ一つの叫びが和して、それは大きな声の渦を形作った。

 そして最初の一人が荒々しく大地を蹴った。

 後れを取るなとばかりに、アラン人たちは一斉に飛び出した。地鳴りのような轟音と共に、彼らは塊となってベオルニアの陣に向けて走り出した。


 敵方に湧き上がった雄叫びを聞いて、守るべオルニス人たちは緊張に体を強張らせ、各々の武具を握る手に力を込めた。

 地に突き刺した盾が作る堅牢な壁の隙間から槍を突き出し、前衛は固唾を飲んでその時を待っている。大きな歓声を上げたアラン人たちが、戦斧や剣を手に、塊となって突進してくるのが見えた。

 後方に控えるエルドレッドや主要な戦士達は跪き、自らの剣に口づけをして祈り、静かに侍している。

 ベオルニアの陣には、悲壮感が漂っていた。

 残してきた女や子を想う者もいる。

 目深にかぶった兜の鼻当ての位置を落ち着きなく調整し、震えの止まらぬ者もいる。

 掲げるベオルニアの鷲の旗を持つ手に力を込め、恐怖に耐える者もいる。

 エルドレッドのアザミの旗を高らかに掲げ、散り際の名誉を願う者もいる。

 各々、思うところは違う。だが、この場に残ってしまった以上、戦う以外の選択はなかった。べオルニス人達は皆、生きて明日を迎えられるとは思っていなかった。





*作者注:文中、古英語部分に文字化けがありましたら申し訳ありません。文字化けは無視してください。出典:古英詩“The Battle of Maldon”第312-13行。舞香峰訳。

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