戦場の糸繰草(四)

 詩人は辺りを見回して、戦場を見渡せる小高い丘陵地を見つけると、馬の脚を速め急いでそこを目指した。指揮官の言うべオルニス人の誇り、その結末を見届けねばならない。それはエルドレッドと交わした約束であった。

 ゆるい傾斜を駆け上がり、丘の頂に達しようというその時、迫りくるかのような轟々とした地響きをその背後に感じた。

 大勢の者が地を蹴って、勢いよく駆けてゆく音だった。

 ──始まった。

 馬を制し振り返る詩人の目に、立ち登る砂煙が映った。そして中空を土の色に染め上げる靄の中から、幾多の白い煌めきが漏れていた。

 夏の日差しに反射する、金属どもの放つ光だった。

 その上空には、双方から放たれた小さな光が飛び交う。キラキラとした幾百もの光点は、まるで流星雨のように蒼穹を彩る。その矢羽たちが起こす、ひゅうひゅうとした鋭い音は、空を切り裂いて詩人のもとまでも聞こえてきた。その光の雨を掻い潜って、地表ではやや大きな光の群れが、ベオルニア軍を目指して動いていく。彼らアラン人の行先には、べオルニス人が盾を連ねて壁を作っている。その壁もまた陽光を受けて、光の帯となって平原を彩っている。

 

 やがて、

 金属同士が、あるいは勢いをつけた人の体と体とがぶつかりあう、鈍く不快なガンとした音が至る所で響いた。そのひとつひとつの音は小さくとも、それが一斉に発生したことで、耳をつんざく轟音となる。

 手にした葉形盾の先端を地に突き刺し、体重をかけて防衛線を固めるべオルニス人の一団に、北の海人たちは斧と丸盾を持って押し寄せる。彼らの突撃に砂埃が高く舞い、視界が霞む。囂囂ごうごうたる地響きと、人の発する判別不能な野太い雄叫びや唸り声が混ざり合い、混沌としか表現し得ぬ音の塊が一帯を包み込む。

 鉄で作られた盾と盾がぶつかり合い、ドンッと鈍重な打突音が重なり続けた。押し寄せるアラン人の圧力に、べオルニス人は必死で耐えた。怒号を張り上げるアラン人とは対照的に、守るべオルニス人は歯を食いしばって忍従の呻きをあげ続ける。

 先端のアラン人が戦斧を振り上げ、力任せに守備兵に叩きつけた。

 どこかに当たればそれで良い、そんな無闇で出鱈目な一撃は、両の手で盾を支え敵の圧力に耐え続けるべオルニス人を盾ごと仰け反らせた。隙の出来たベオルニス兵に対して、アラン人は続くもう一撃を加えた。それはベオルニス兵の兜を叩き割り、そのまま刃は頭蓋を割って、その奥へと食い込んだ。カッと目を見開いたべオルニス人の頭部を振り払うように刃を抜くと、砕かれた骨片とともに、赤い液体と柔らかな肉の欠片が飛び散った。

 刃先がこぼれ、ぐにゃりと曲がったその戦斧を、なおも振り下ろそうとするそのアラン人戦士に、後列に控えるベオルニア戦士が槍を突きつけた。その穂先は正確にその胸を捉え、アラン人戦士自身による猪突の勢いを借りてその身を貫いた。荒々しく乱暴に槍が引き抜かれると、胸元を朱に染めながら、ぜいぜいと途切れ途切れの何かが詰まったかのような呼吸音を響かせてアラン人は倒れた。

 初撃から激しくぶつかり合った両軍は、こうした打撃戦を交わしながら、押し合いを繰り広げていた。べオルニス人の一角が倒れると、そこから怒涛のようにアラン人がなだれ込んだ。アラン人の一人が倒れると、そこからベオルニア人は敵の只中に楔を打ち込んだ。

 べオルニア兵士たちのまとう鎖帷子くさりかたびらは戦斧の前に切り刻まれ、一方のアラン人戦士たちもまた鉄の胸当を槍で貫かれ、共に血を流し続けた。

 切られ、刺され、血やら何やらが飛散し、地に落ちてゆく。


 陽光を受けて輝く金属どもの打ち合いは、乱戦の模様を呈していた。離れた場所で戦況を見守る詩人の目には、それは先ず光の乱舞のように映る。無論、目を凝らすまでもなく、その光の軌跡の下で繰り広げられているものは、残酷極まりない殺し合いだとわかっている。遠目にもわかるその凄惨な光景に、滴る汗は凍りついてゆく。

 エルドレッドとその配下の者たちの顔を思い浮かべながら、詩人は戦場を見つめ続けた。


 金属がぶつかりあい擦れあう、甲高く耳障りなキンとした音が重なりあっている。その音すらもかき消すのは、ぶつかりあう戦士たちの足音、雄叫び、呼吸音。

 地に倒れ刺され、薙ぎ倒されて切られ、その行為のたびに沸き起こる悲鳴や叫びは言語を成さず、もはやどちらの戦士が発したものかすらわからなかった。

 至る所にできた血溜まりに、泥が溶け込んでゆく。屍は踏まれ、弛緩したその体腔から搾り出された吐瀉物や汚物やらが大地を汚す。怒号や悲鳴は耳に恐怖を届け、繰り広げられる鮮血の叩き合いは目に地獄の有様を映し、異臭は死の香りとなって鼻腔にまとわりついた。

 数の力を頼みに、べオルニス人に消耗を強いる北の戦士達。その最後方にあって、アラン人の首領オラーブはすでに勝ちを確信している。

 一方、ベオルニア戦士の防衛線を維持するために、その指揮官エルドレッドは、敗北を必至としながらも兵たちを鼓舞し続ける。

 しかし、エルドレッドに届けられるものは、悲報と凶報ばかりであった。

 従士のひとりゴドウィンは敵の戦斧に倒れた。エルドレッドに共鳴した領主の一人エドガーもまた泉下の住民となっていた。剛勇をもって知られるハロルドは、あろうことか戦場を離脱した。

 部下僚友の死を嘆く間も無く、裏切りに憤怒の心を燃やす暇も無く、エルドレッドは声を張り上げて指揮し続け、最後の刻を待っていた。

 だが、それは今ではない。

「もう少し! もう少しだけ踏ん張ってくれ! 勝てぬまでも、我らが誇りを示すその時まで、もう少しだけ踏ん張ってくれ!」

 的確でもなければ理性的な指示でもない。

 この場に残って奮戦を続けるベオルニス人の矜持に訴えかけ、戦意を維持させることしか、今のエルドレッドにはできなかった。

 あともう少しだけ、最後の時を引き延ばすために、べオルニス人達は希望の見えない戦いを続けていた。


※ ※ ※

 

 戦場の音どもが遠くに響いていた。

 周囲に動くものはなく、静かだった。

 重傷を負い動くことのできない一人の若いベオルニア兵士が、今まさに最期を迎えようとしていた。そこに足を引きずり折れた槍を杖がわりとしながら、老いたベオルニア兵がやってきた。朦朧とする意識の中で、味方の兜を認めた若い兵士は尋ねた。

「戦況は?」

 足元からかすかに聞こえたその弱々しい言葉に、年長の兵士は腰をかがめ、若い兵士に顔を近づけた。遠くの方では未だ戦士たちの叫びと撃ち合いが生み出す音どもが響いていた。

「この一帯はもう終わったよ。負けはしてないが、勝ってもいない。そうだね、全体としても、まだ負けてない」

「そうか……」

 そして若い兵士は瞼を閉じた。

 老兵は、杖がわりの槍を地に放り投げ、事切れた若い兵士の横に、どかっと座り込んだ。そうして若者の頬を撫でてしんみりと呟いた。

「何故に、俺ではなかったのか……」

 地を埋める死者の群れの中で、抱え込んだ膝に顔をうずめ、精も根も尽きた老兵は身じろぎすら出来なかった。

 遠くに聞こえる戦いの音が、まるで人ごとのように感じられた。

 その一帯は不気味なほどに静かだった。


※ ※ ※


 前方を見据えるエルドレッドは、大きく息を吐き出して両の目を閉ざした。

 いよいよその時が近づきつつあった。 

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