静夜の待雪草(三)

 雪の舞う中で、来ることのない女を詩人は待ち続けている。

 寒さは容赦なく彼を責め続けた。その震えから少しでも逃れたいと、詩人は頭の中に軽快な音を鳴らしはじめた。

 思い浮かべる音に合わせ、演奏の所作を脳裏に描く。かじかんで自由にならざる指も、空想の中ではしなやかに動いた。そうしていると少しは気もまぎれ、詩人はまた葡萄酒を口に含んだ。

 酔いたかった。だが空気の冷たさに刺され、それもかなわない。

 また一口と、彼は酒を流し込んだ。


 * * *


 良く晴れた冬の一日いちじつ伯姫はくきは城を出て街区に足を運んだ。数名の家士や侍女たちに混じって、詩人もまた随行の一団に加わった。伯姫が命じれば、民草に一時の気晴らしを供するためであった。伯姫は領主になる身として、市井の様子を知らねばならない。物資の不足があれば城の食糧庫を開け、病の者があれば治癒の祈りを捧げる。瘰癧治癒るいれきちゆこそ王の領分であるが、フェルン伯家もまた、その古い系譜がもたらす聖性が病を癒すと民には信じられ、乞われれば伯姫もその手を人々の患部にかざした。

 伯姫マリセタは人々の声に真摯に耳を傾け、その生活の在りようなどを問いかけては労りの声をかけ続けた。そうしたふれあいが落ち着くと、伯姫は家士たちに何かを命じる。それを受けて家士たちが処々に散っていくと、少女は侍女たちと詩人とを引き連れて、遠巻きに城の一団を眺めていた市井の子どもたちの元へと赴いた。

 歩み寄る伯姫にやや緊張した面持ちの子どもたちに対して、マリセタは笑顔を向けると彼らの手を取り気さくに話しかけた。それらは大した話ではなかったが、伯姫に話しかけられた子どもたちは嬉しそうな表情を浮かべた。大胆にも彼らは伯姫の手を引いて街路の脇に積み上げられた雪の山に向かうと、遊びをねだった。

 当惑しながらも伯姫は、子どもたちとともに雪人形を作りはじめた。

 子どもたちより年上の優しいお姉さん。そんな屈託のない少女の姿がそこにあった。その伯姫よりも少しだけ年上の詩人はその様子を眺めながら、この娘は良き領主になるであろうと感慨深げに侍女の一人に話しかけた。自慢げに首肯した侍女の様子に、伯姫がこの城内で大切に思われていることを改めて詩人は感じた。


 その時、詩人に声がかけられた。

「リュシアン殿、あなたもこっちに来なさい」

 軽い苦笑を侍女たちに向けた詩人は、やれやれと言わんばかりに少女たちの元へと向かった。

「手が冷たくなったから、もう雪はおしまい。リュシアン殿はフィドルを担いでおいででしたわね」

 前半は子どもたちへ、後半は詩人に向けての言葉だった。

「仰せのままに」

 伯姫の求めに応じた詩人はフィドルを肩に当て、いくつか音を確かめると、軽快な踊りの一曲を披露した。歓声をあげながら、音に合わせて子どもたちが出鱈目に走り回った。踊りというよりもただ騒いでいるだけだ。それでも、詩人はそうした雰囲気は嫌いではない。貴人に優雅なる時を提供することも生業なれど、日々の労苦を忘れさせる喧噪の時を人々にもたらすこともまた詩人の生業だった。

 詩人とその隣に立つ伯姫の周囲を、子どもたちはぐるぐると駆け回る。その様子を優し気な眼差しで追いかけながら、マリセタは演奏を続ける詩人に遠慮がちに話しかけた。

「ねぇ」

「いかがなされましたか、マリセタ様」

 命令すればそれでいいのだが、生真面目な少女は緊張に顔を少しだけこわばらせながら、詩人の目をうかがうかのように、おずおずと申し出る。

「あの……リュシアン殿。もしよろしければ、私と踊ってくださらない?」

 注がれる少女の眼差しを受けながら、詩人は微笑んで返す。

「光栄です、マリセタ様。喜んで」

 詩人の言葉に伯姫は破顔し、少しだけ顔を赤らめた。その照れを隠すかのように、少女は周囲の子どもたちに声を張り上げた。

「みんな! 私たちの真似をして踊ってみなさいな」

 詩人の左手は弦を抑え、右手は楽弓を操っている。だから手と手を取り合うことはできない。詩人と伯姫は眼差しで呼吸を合わせ、お互いを探るかのように足捌きを合わせていく。

 見よう見まねで踊り始めた子どもたちに、伯姫は言う。

「みんなは手を繋いだり組んだりなさい!」

 詩人と伯姫の真似をしながら子どもたちは自由にはしゃぎ、思い思いに手を合わせていた。そんな無邪気な姿を羨ましげに見遣るマリセタの動作には緊張がみなぎっていた。そんな硬い動きに加え、雪に濡れた地面は城の広間とは勝手が違いすぎて、少女の足捌きはぎこちないものとなっていた。

 そのために、思った以上に足に負担をかけていたのか、不意にマリセタの足がもつれた。「きゃっ」と短い叫び声をあげて少女はつまづいた。咄嗟に詩人は右手に持つ楽弓を放り投げて、倒れ込む少女を受け止める。そして無意識のうちに、フィドルを持つ左手を伯姫の肩に回し抱きかかえてしまった。フィドルから音が消え子どもたちも動きを止める中で、マリセタはリュシアンにしがみついていた。

「ごっ、ごめんなさい!」

「お怪我はありませんか?」

「ええ。ありがとう」

 腕の中の伯姫は、すぐには離れようとはしなかった。少女の動揺が詩人にも伝わってきた。詩人もまた、咄嗟のこととはいえ不用意な自分の行動に戸惑っていた。

「さぁ、マリセタ様」

 左腕の拘束を解いて詩人は伯姫に呼びかけた。名残惜しそうに伯姫は身体を離して、つぶやいた。

「温かいものなんですね」

 上気した頬は、踊りのゆえかそれとも照れか。満足げな表情を浮かべた伯姫は子どもたちに告げた。

「お姉ちゃん、疲れちゃったから今日はこれでおしまい。また今度ね」

 そうして身をかがめ、地面に落ちた詩人の楽弓を拾い上げると、それを差し出した。

「はい。とても楽しかったわ」。


 * * *

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