願いのナナカマド(三)

 やがて祝祭の夜が訪れる。

 一年の無事とその年の収穫に感謝する秋の祝祭は、冬を前に弱々しくなりゆく日の光を讃え、翌春の復活を祈願する火の祭。村の広場に高く大きな炎の壇が設けられ、夜を焦がす。

 その大きな炎を背に、滲み出る汗を拭ういとまもなく詩人は音楽を奏でる。そして楽器を弾きながら、詩人は踊りの指揮者となった。

 左肩に擦弦楽器フィドルを乗せ、右手に持つ楽弓で弦を忙しく擦らせながら、詩人は足捌きステップの手本を村の者たちに示す。詩人の動きに倣って、村の人々は見よう見まねで踊り出す。やがて彼らが自由に動けるようになると、詩人は足を止め演奏に専念した。曲を変え速さを変え、律動リズムに変化をつけては、詩人は村人たちの反応を楽しんだ。

 歓声が夜に響き、杯や皿がぶつかり合う音がフィドルの音を掻き消す。踊り手たちの律動は地を震わせて、炎は夜を屈服させる。日々の労苦は宴の誼譟けんそうへと昇華して、生の喜びは来るべき冬の恐れを忘れさせた。

 やがて、人々を踊らせ続ける詩人のもとへ、件の少女ミレーユが近づいてきた。数度だけ少女は詩人を見遣ると、意を決したかのように詩人の前に正対して踊りの相手を求めた。少女にとっては、途轍もない勇気を必要とする大冒険であったのかもしれない。余裕ぶって「お相手、お願いできないかしら」などとうそぶく口調とは裏腹に、その声には若干の震えがあった。

 柔和な笑みを浮かべた詩人は、演奏をやめること無く一礼して、少女の要求に応えた。

 弦を押さえ弓を動かし続けるために、詩人と少女はその手を合わせることはできない。お互いの歩調を合わせながら、時にね、時に旋回まわり、踊り続けた。少女にはそれでよかったのだろう。手など繋ごうものなら、緊張のあまり動くことすらできなくなっていたかもしれない。動作のたびに、後ろで束ねた少女の髪は跳ね、座の中心に据えられた大きな炎の鈍い明かりを受けて輝いた。

 数曲が終わると少女は踊りをやめ、荒い息遣いの中で真っ直ぐに詩人を見つめた。炎に照らされた顔は赤く、その火照りは踊りのゆえか炎のゆえか、それとも異性とのふれあいのゆえなのかは判別できなかった。少女の瞳には憧れ以上の何かが浮かんでいた。しかし少女は心の内にあるその感情を、言葉にするための勇気と技を持ち合わせていなかった。

 重苦しく、永遠に続くかのような眼差しの交錯と無言はしかし、少女を呼ぶ声に破られた。声を受けた少女は微笑を詩人に向けると、逃げるように離れていった。

 少女の影を消し去るかのように、祝祭の熱気はますます高まっていった。


 祭りの夜が明けると逗留許可の日数は残り少なくなる。行く先々の城塞や宮廷で人々を踊らせるために、詩人は再び路上に出ていかねばならない。準備のための数日を経て、詩人は再び路上の人となっていく。

 そのわずかな時を惜しむかのように、少女は詩人のもとを訪れて次はどこに行くのかなどと詩人に問いかけた。詩人は丁寧に問いに応じ、少女はそのたびに深くため息をついた。

「私も外の世界を見てみたい」

 叶わぬこととは分かっていながら少女はつぶやく。世間知らずな少女の願望と知りつつも、詩人はまじめに路上の辛さを少女に話した。

「寂しくはないの?」

「もう慣れたよ。時折、人恋しくなることはあるけれど、路上に生きる以上、寂しさには慣れないといけない」

 詩人は、自らに言い聞かせるかのように力を込めて応じた。

「なら……」

 何かを言いかけて、少女は言葉を飲み込んだ。辛く苦しい表情を少女に認め、詩人は彼女から目をそらした。少女もまたそれ以上は口にしなかった。

「羊のこと、見てくるね」

 何かを断ち切るかのように少女は走り去り、詩人は靄がかかったかのようなこころもちのまま、ひとり残された。


 逗留期限を迎えた朝、詩人はひっそりと村を出た。

 村域を出て路上の人へと戻った瞬間、詩人は得体のしれない異人となる。見送る者などいようはずもない。

 だが、ひとり少女がおずおずとついてきていた。立ち止まり振り返った詩人のもとへ、少女は駆け寄ってきた。

「またいつか、立ち寄ってくれると嬉しい」

「確約はできない。風がそこに向いたとしたら」

「わかってる......。神のご加護がありますように」

 少女は別れの言葉を告げた。詩人は再び前を向き、村を出ていくだけだった。だが、そんな簡単な動作を少女の眼差しが妨げた。

 言えていない言葉がある。

 その瞳は雄弁に告げていた。

 だから詩人はしばし待った。

 服の腰部をぎゅっと握りしめると二、三歩だけ詩人に歩み寄り、意を決したかのように少女は詩人に告げた。それは精一杯の、極めて乙女らしい物言いだった。

「私には、婚約者なんていないのよ」

 詩人は何も応えなかった。相手が望む言葉以上の何かを紡ぎ出さねばならないはずの詩人の口は、凍り付いたかのように動かなかった。

 言葉を探し出すことができず、詩人は推し黙った。

 高位女性とその場限りの関係を保つための、虚飾にまみれた口説き文句には慣れていた。だがこの少女のように、純朴な気持ちをまっすぐに向けられるのは苦手だった。

 短くも長く感じられる沈黙。世間知らずな少女は、その沈黙の意味を理解することはできなかった。零れる涙を隠そうともせず、彼女はつぶやいた。

「結局、私の片想いだったのね」。


 ※ ※ ※


 カサカサと木々が触れ合う音に、詩人は我に返った。

 緊張してその音の方に注意を向ける。見つめた先には何もなかった。風か小動物の類であろう。

 少女に対し、どのような言葉が正解だったのであろうか。詩人には解らない。

 火遊びを求める貴顕のあしらい方には慣れた。情欲のままに言い寄ってくる女の扱いも心得ていた。だが、純朴な村娘への向き合い方など、誰も教えてはくれなかった。

 脳裏に浮かぶ少女の姿を振り払うかのように、彼は炎に枯れ枝を継ぎ足した。

 晩秋の宵闇は凛とした空気を湛えている。張り詰める冷気は詩人の身体を刺す。炎はその全身を温めてはくれない。冷えた指先をさすりながら、詩人は衣の中に手を入れた。すると衣の中で何かに触れ、詩人はそれをつまみ出した。

 七竈ナナカマドの実だった。在りし日、鮮烈な朱を纏っていたであろう七竈の実は、今や乾燥し不恰好に縮み黒ずんでいた。七竈の実には妖魔を除ける効果があると言われる。それはあの少女から手渡された魔除けのお守りだった。

 振り払ったはずの、少女の顔や声が浮かんだ。あの時、気の利いた言葉ひとつかけることの出来なかった自分自身が再び思い出され、詩人は居た堪れない気持ちに陥った。

 ──妖魔の類がいるのだとしたら、連れ去ってもらっても結構だ。

 無性に腹立たしく感じて、気がつくと魔除けを火に投げ込んでいた。

 燃えにくいから七竈。とはいえ、その実は炎に取り囲まれ変色しつつあった。再び少女の顔が思い出され、慌ててその実を取り戻そうと詩人は手を伸ばした。

 だが、もう遅かった。

  

 相も変わらず、星々は冷たい眼差しで詩人を見下ろしていた。

 木の葉が一枚二枚と落ちてゆく。別れの日に、少女の流した涙の一粒一粒が、その葉のひとつひとつに重なった。

 詩人は、不意に人恋しさを覚えた。

 路上に生きる孤独の身が、なぜそのような気持ちを抱いてしまったのか。詩人にもよくわからなかった。だがこの夜の闇は、詩人の心に突き刺すような心細さと耐え難い孤独感をもたらした。

 彼は竪琴リラを手に取り無造作にかき鳴らした。

 それは、秋の丘で少女に歌った曲だった。 


 (1020年 晩秋)

 (ナナカマド:花言葉「慎重・私はあなたを見守る」)

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