幕間四
二〇〇七年 八月下旬
深夜1時、内閣総理大臣官邸内某所。眠らぬ街を眼下に薄暗がりの部屋で人口の光を眺めながら眉間にしわを寄せる男がいた。
彼は歴代の総理の側近として十年以上右腕であり続け、時には補佐官として国のトップである総理大臣に対し、対等な人物として意見や助言を唱え続けた男であった。決して表舞台には立たず、あくまで栄光の下で輝く日本のトップを陰から支える。男の願いはただ一つ「日本という国家の安寧」これに尽きる。
そんな彼は今、総理大臣共々人生最大の窮地に立たされている。
「……入れ」
三度のノックの後、入室したのは補佐官である男の専属秘書。彼は都内でも有名な国立大学を首席で卒業し、院生の経験を経て内閣入りを果たした。5か国語をマスターしており補佐官である男のバックアップも完璧にこなしている。男の下で働いてまだ3年しか経っていないが、男が知る限り目立ったミスも確認していなかった。何より秘書である彼の慌てる姿など見たことがなかった。彼もまた幸福な国を作らんがため邁進する政治人であった。
ただ、7月に起こったとある騒動で、秘書の自信に満ちた表情は完全に消え失せた。
「京都の一件、どうなっている?」
部屋の入口で直立する秘書は顔中に汗を張り付けて、震える手を必死に抑えながら紙面を読み上げる。その顔には生気もなければ自信など微塵も感じられない。
「京都で起こった一連の被害は甚大で、概算だけでも10万人以上の死傷者が分かっています。重要文化財の被害も確認されており、一部では復興はほぼ不可能だということも」
両目をつむり男は痛みに耐えるように俯く。
「情報操作はどこまで上手くいっている?」
「そちらについては概ね完了しました。関係各所、補佐官のおっしゃられた通りに京都市内、烏丸、京都駅周辺に埋まっていた第二次大戦の不発弾誤作動ということで話は済ませております」
情報操作が上手く行ったとしても、表面上の友好国に罪を被ってもらうというのは苦渋の決断であった。さらに言うなら第二次大戦の不発弾撤去が完全ではなかったことを意味しているのだから、国民の怒りが頂点に達するのは一瞬だった。しかも不発弾の数や被害状況があまりにも食い違っている点も踏まえて、国民やメディアの叩き方は尋常ではなかった。
「現政権の支持率低下も著しく、このままでは」
「歴代内閣最低支持率は確実だろうな」
もはや笑うしかない、不謹慎とわかっていても男はそんな感想を漏らす。だがどんな手を使っても、自分たちが汚名や泥をかぶっても隠さなければならない事案がそこにはあった。
「しかしながら例の計画のことは完全に、痕跡すら消しさりました」
「外部には知られていないな? 我々一部の人間以外は」
秘書の男はやせ我慢でも絶対の自信を表すように、こけた顔を上下させる。
「記憶の操作、だったか。そこのところは専門家に任せる他ないからな」
「私も半信半疑でしたが、私も目の当たりにしたので事実として受け入れております」
「驚いただろう、この国であんなオカルト、魔術が横行していることに」
オカルトと口にした男の表情はどこか明るい。対照的に秘書の顔は沈むばかりだった。
「補佐官はご存じだったのですか、あのようなオカルトが我が国にはびこっていたことを」
「私がこの職に就いた頃からな。それと、かの御仁がいる前でオカルトとは言うな。今なら良いが御仁の前で言えば、直後にお前の頭が飛んでなくなるぞ」
秘書は言葉を詰まらせる。つまり男は十年以上も前にオカルトである魔術の存在を知っていたことになる。そしておそらく魔術絡みの騒動も。
「私は十年以上前だから現実を受け入れる覚悟というか、度量はそれなりにあった、だがそれでも頭が追い付かなかったな。何せ魔術のことを知れるのは総理大臣を除けば五人だけなのだから。今のお前が驚愕し恐れるのは致し方ない」
五人というのは総理大臣が任命できる内閣総理大臣補佐官全員の数と同じ。つまり魔術という得体のしれない力を持つ者たち以外で魔術のことを知っていたのは、日本で総理大臣含めれば6人だけだということになる。
「例の計画も魔術絡みで?」
「なんでも魔術と吸血鬼の血液を使った人体実験なのだそうだ」
足元から地面が崩れていくような恐怖が秘書を襲った。耳に入った情報を取り込んで脳が理解することを拒絶している錯覚さえ覚えたほどだった。
「始まりは戦後からだと聞く。かの国に敗北した我々は自国で立ち上がるための力すら失った。しかもかの国による我が国を使っての大量殺戮兵器の実演。その影響力と被害はお前も知っているだろう?」
秘書は無言で頷く。
「我が国はあくまで被害者としてあの兵器の使用を自ら禁じた。だが本土防衛という観点からすれば、あの兵器を手放すのは早計だった。少なくとも当時の政治家たちはそう思っていたそうだ。そこであの兵器に近い、もしくはその上をいく兵器の開発を試みようと動いたわけだ」
「それが、例の計画ですか」
補佐官はため息を漏らしながら首肯する。
「計画遂行にはかの御仁の助力は不可欠だった。何せ魔術の専門家。我らのような素人には及びもつかない理論や法則が混ざる。もちろん口出しなどできんし介入などすればこちらの命も危なかった。我々は戦後の頃から、いや隣国に攻め入った時から大きな過ちを犯して今に至るという訳だ。ただ無辜の民を犠牲にする前提の実験はさすがに許されない。よっていなくなっても問題ない罪人や身寄りのない子供が対象になった」
「戦後から、とおっしゃってましたね」
「お前の言いたいことはわかる。60年以上この実験は繰り返されているのだ。私も含めて総理も他の補佐官も重罪だ」
実験の内容を知っていた秘書は胃からせり上がってくる吐き気を必死に抑え込んだ。何も知らない子供まで非人道的な実験に登用されていたのだ。それは「平和な国」とは程遠い所業である。
「計画名は」
「ああ、これは最近になって改名された。戦後まもなく『人型決戦兵器増産計画』という仮名がつけられたが研究者の一人が計画名に変更を打診してきた。なんでも無骨すぎると。私にとってみればどうでもいいことだったが、イニシャルだけで表記されるのはこちらとしてもありがたかった。いちいち計画名を言う必要もない」
右手を顎に添え男は記憶を掘り起こす。
「人の脳を改造し魔術を扱えるシステムに作り変えるため、意図的にとある症候群と同じ状態にし、そこに吸血鬼の血液を流し込んで脳だけでなく肉体そのものも強化させる。強化された『それ』はものによれば戦車にすら匹敵する力を有する。それぞれの素養を英語にし、その頭文字をとった計画名」
補佐官も忌み嫌っていたその計画名を、秘書は一生忘れぬよう脳に刻み込んだ。
「サーヴァンプ、SV計画だ」
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