第四章 夢幻の仔④
重い瞼を開き私は覚醒する。私の隣で白い木椅子に腰かけて本を読んでいるのは私の女従者・取香だ。取香は紺と白のエプロンドレスを身に纏い、頭にはホワイトブリムが着用されている。
「お嬢様、ご気分はよろしいですか?」
「……ええ」
私たちがいるのは関東地方に属する霊山。その山中に誰にも使われなくなったログハウスを発見し入念に調べた後、無許可で利用させてもらった。作られて膨大な年月が経っているのか、建築のために使われた木々は黒ずんでいて脆く見える。内装も荒れ放題で家具に至っては横倒しになっていたりと、まるで台風にでも遭ったような散らかりようだった。その中でも唯一まともに利用出来そうだったのが木製のベッドで、私が身体を休めるためにも昨日の時点で取香の手によってベッドの確認と清掃を行われ、今の今まで休息を取っていた。ベッドフレームだけでなく敷きと掛け布団があったのは奇跡に近かったので、飛び上がるほど喜んだのは言うまでもない。もちろん敷きと掛け布団は従者の手によって洗濯の後乾燥もされている。
「風除けとか暗膜張っても寒いものは寒いわね」
「時期を考えてください。今は霜月ですよ。常人なら風邪引いてます」
「何時間くらい寝てた?」
「最後の霊地を封印した時点で深夜3時。そこからすぐにこの拠点に戻って30分。そして湯浴みもせずそちらのベッドに入られたので9時間と半です」
見上げれば澄み渡る青い空に、一筋の白い線が走っていく。屋根も半分剥がれているので、雨など降れば濡れてしまうのだが、幸運にも昨日今日と雨は降っていない。大きな水色のキャンバスに白い筆で線を描くかのようにそれは私の視界から消えてゆく。時刻は昼の一時を過ぎていた。
「湯浴みなんて出来る場所ないじゃない」
「近くに川が流れております。布団類を洗濯した際に使用したのでお嬢様もどうぞ」
「……こんなことなら師匠に水をお湯にするくらいの魔術も習えば良かった」
昼まで眠っていたことで、体にだるさを感じながらベッドを抜け出す。取香の前には散らかっている中ではまともそうな白い塗装が施された丸テーブルが置いてあり、その上には二つのティーカップが湯気を立てている。廃屋同然のログハウスにティーセットなどあるはずもないのに紅茶の用意があるのは、取香が常に外行き用に用意している焦げ茶色の革のアタッシュケースの中にティーセットが準備されているからだ。私は自身の息を吹きかけ紅茶を冷ましながら口にする。
「夢を、見てた」
「夢ですか?」
「一年前の、こと」
一年前という私の言葉を聞いて取香は深く頭を下げる。
「当時のことを思われたのでしたら申し訳ございませんでした」
「良いって。あの時も謝ってたけど、私に覚悟が足りなかったのはその通りだし、あのことがあったから今の私があるの。むしろ取香さんには感謝してる」
下げた頭をゆっくりと上げて取香さんは無表情でも私に尽くしてくれている。あの時から今もなお。
「それに足りなかったのは私の力でもあったから。悔やんでも仕方ないけど、それでも私がもっと強ければあそこまで酷い結果にならなかったはずだから」
自分の弱さと愚かさを痛感させられた苦い記憶が思い出される。どれだけ時が経ってもこればかりは忘れられない。
「お嬢様のお人よしはこちら側に来られても変わりませんね。何と言いますか、とても微笑ましく思います」
「それ、馬鹿にしてる?」
「からかっているのではございません。全ては終わったこと、だからもうどうすることも出来ない、そんな言葉だけで終わらせることが出来ず足掻くことを止めないのがあなたの良さなのですから」
微笑を浮かべる取香とは対照的に私は頬を膨らませた。
「夢で思い出したんだけど、結局あの事件、別の犯人を用立てて無理やり終わらせたのよね?」
当時の記憶を辿るように私はその時の出来事を思い返す。
とある魔人が起こした連続殺人事件は七名の罪なき少女たちの命でもって終わりを迎えた。魔導連は全ての騒動が終わった後、神秘の隠匿と事態の完全な収拾を図るため事件に関わった全ての人間たちの記憶を忘却、または操作し別の犯人を用意することで事件解決にこぎつけた。殺された少女たちの家族や近親者はもちろんのこと、あらゆるメディアに関わった人間たちの記憶も操作して。
「魔人は魔導連の掃除人が対処したそうですが詳しくは。何せ真犯人である魔人の痕跡が一切ないというのですから」
「不思議な話よね。私、直にやり合ったはずなのに」
今でも思い出せる。相手の圧倒的な魔力量と洗練された術式。私は手も足も出せず地に伏していた。でも相手の術式はおろか顔すら思い出せない。そもそもそんな魔人がいたことすら魔導連の公記録文書(アーカイブ)にないのだ。
「可能性の域は出ませんがやはり『0』が関わったからかと」
私の師匠『0』の魔法は『消滅』だと取香から聞いている。だがその内容も術式も取香は説明されていない。ただ『0』は自身が発動した魔術の痕跡を一切残さないことでも有名で、魔術士たちの間では本当に存在するのか疑う者も少なくない。
「どこにいるのかしらね、あの馬鹿師匠」
「お嬢様から離れて一年。私の鼻が利かないとなると、まだ此方と彼方の世界を行き来しているのではないかと」
「おかげで魔術に関しては完全な独学になっちゃったわ。それはそれでいい経験になったけど」
「お嬢様はあれから様々な経験をされましたからね。多くを学ばれた」
「嫌なことばかりだったけどね」
本当に色々あった。私は一歳しか年を取っていないけど、私の周りでは色々あり過ぎた。でも魔術に関するアドバイザーは師匠だけじゃない。有能な仲間が常についてくれていた。
「琉花さんと波留君は?」
「準備のためにアジトからこちらに、首都へ戻られると連絡が入りました。やはり便利ですねケイタイ」
「なら久しぶりに会えるわね! もう百年は会ってないくらいに久しぶりだから楽しみ!」
「言っておきますが遊びではありませんよ?」
「当然でしょ。私がこの一年何してたかあなたが一番よく知ってるじゃない?」
「半年くらいは寝ていたかと」
「それが私の修業なんだからしょうがないじゃない!」
言い合いをしている最中、私たち魔力を持ったモノにしか分からない強い揺れを感じた。体感だと震度二くらいか。
「霊地は安定させたはずだけど」
「どこかの野良魔術士が森に入ったのではないでしょうか? いきなり力の発生を感じましたし」
ベッドから飛び降り、壁にかけていた黒のロングコートを羽織る。取香も読みかけの本をテーブルの上に置く。
「今の魔力の確認が出来たら次の霊地を抑えに行くけど、その本はもういいの?」
「この家にもともとあったものでお嬢様が起きられるまで読んでいましたが、私にはよく分かりませんでした。捨て置いても問題ございません」
古ぼけたウッドドアに手をかけ、私たちは小屋を飛び出す。
「本当に遊び感覚で森を荒らさないでほしい。もし森に乱暴するなら直すことの重要さを教えてやるんだから。行くわよ、取香」
私の声に取香は静かに返す。
「仰せのままに、ヒトミ様」
夢幻の魔女・夕草瞳の名前を告げて。
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