第三章 魔は蒼き夢の中で眠る⑥
鬼の消滅と瞳の心界が消えて行くのを確認し、俺はそこから光聖高校全体を俺自身の暗膜で閉ざす。あの鬼自体はこの世から完全に消し去ったが、奴がしでかした結果までは消し去れない。何より殺された娘たちは帰って来ない。魔導師なんて言われている俺でもそんなこともできないのだから、とんだ笑い種である。今出来ることといえば、暗膜を張って学校周辺の魔術的痕跡を消すことくらいだ。
あらかた魔術の痕跡を消し去ったあたりで暗膜を突破して俺に近付く奴が現れる。
「こんなところでお会い出来るとは元主」
やって来たのは俺の元使い魔である取香。彼女は衣服が所々切り裂かれた状態でやって来た。
「なんだそりゃ。新しいファッションか?」
「あなたの前に別のお客様のお相手をしておりましたので、身なりについては目を瞑っていただきたい」
半ば呆れ顔で取香は俺と向き合う。
「なんですかその恰好は? イメチェンですか?」
取香が指摘したのは俺の恰好、というより俺の今の在り方だ。
俺は今、この高校に通う男子高校生の肉体を宿木にさせてもらっている。俺の本当の肉体は千年以上前に消えてなくなってしまっているから。
「お前も感じただろう疑似心界。それを起動させたアホのせいでここにいた生徒全員が血と魔力を抜かれたんだ。なんとか間に合って大半は『なかったこと』にしたが一人だけ手遅れだった。完全に死なれたんじゃこっちとしても手の打ちようがない」
「そのお体、どうされるおつもりで?」
「全身の血が抜かれた死体を放置すれば、今度こそ神秘の隠匿に抵触する。そうならないようにこいつの肉体は俺がもらう。で、こいつに関する今までは全部『消した』」
「もしかしなくとも、その疑似心界を張った術士も」
「もう消し済みだ」
溜め息を一つ吐き、取香は吐き捨てるように告げる。
「毎度のことですが驚かされます。人はここまで堕ちることが出来るのだと。私も多くの罪人の魂を食べてきましたが、あなたほど業の深い人間は知らない」
正しい意見だ。俺だって俺見たいな魔導師が目の間に現れたら心底嫌いになっただろう。何故なら魔導師が現存するということは、そこに至るまで多くの人が、子孫たちが何かを取りこぼし、捨て去っているはずだからだ。そしてその何かは人間にとって捨てられるはずのない何かなのだ。己の欲望に従い、行きついた先は人の形を成した怪物だったと知ったら、嫌いにもなる。少なくとも同族とは思われたくない。
「命令とはいえ、あなたの下を離れられたのは幸運でしたね。今の主はそれなりに面白い方ですし」
「にしては瞳の護衛は務まってないみたいだな。アイツの心界が出た時はかなり焦ったぞ」
取香に命じたのは夕草瞳の護衛と、彼女の心界圏現発動阻止。前者を守り切れば後者にはそもそも届かないし、前者が叶わなければ最悪後者だけは突破されないように、その際は正体を隠す必要なく抑え込むように言っていた。だが結果は今に至る。
「足止めされました。粛聖者とはああも手強いものなのですね」
「冗談も体外にしろよ『災厄の化身』。お前は瞳が死ぬと分かっていてここに飛ばした。弁明があるなら言ってみろ」
聖央教会は異端を排除するためなら、どんなことをやっても良いと本気で信じている人間たちの集まりだ。己が命よりも異端という悪を根絶出来るなら躊躇わず己の命を差し出す。そんなことを千年以上前から続けて来た連中だ。手強いのは俺が誰よりも知っている。
だがそんな壁は目の前の女にはないも同然だ。
「意外ですね。人外であるあなたがお嬢様を気になさるとは。そんなに大事ですか」
「……俺が『0』って言われてる理由、お前が知らん訳はないよな?」
右手に魔力を込める。次の返答次第では問答無用でこの世から消し去るつもりだ。
「お嬢様のためです」
腐った魂ばかり見てきた目にしては良い目をするようになった。俺はもう少しだけ取香の言葉に耳を傾ける。
「お嬢様はこれからも魔術士としての道を歩まれる。道中は今回のような敵も必ず現れるでしょう。ですがお嬢様には心構えが足りなかった」
魔術士が最初にする心構え。それは死に対する恐怖と向き合うこと。瞳は出来ていると思っていたが確かに真の意味でそれが出来ていた訳ではない。
「私はあくまで彼女自身の死に対しての心構えを期待していたに過ぎません。ですが彼女が心界を発動出来たのは」
取香の視線の先。そこには校庭で仰向けに横たわる瞳と津雲上琉花の姿があった。
「お嬢様は自分の命よりも、ご学友を救いたい一心で心界を顕現出来た。これはお嬢様にとっての大きな一歩となったはずです」
「結果論だ。それであいつが本当に死んでいたら」
「それならあなたが術式全てを総取りにして私を消し去っていただけの話。何も問題はないはずです」
無表情で、だが確信めいた表情で俺と向き合う元従者。本当にムカつく目をするようになった。
「よく吠える犬になったな。それもこれも瞳のせいなら本当にやってくれたもんだ」
「お嬢様はどこまでも甘く、人間らしい魔術士ですから」
「良いだろう、今回は見逃してやる。引き続き瞳の護衛を任せる」
去ろうとする俺に取香は努めて冷静に質問を投げかける。
「どちらへ?」
「この高校に残っていた魔術的痕跡はなかったことにした。なら俺がここにいる理由もないだろう」
「そういうことを言っているのではありません。お嬢様の中にいたあなたが肉体を手に入れてまで次に何をされるのですか?」
取香は馬鹿じゃない。数百年前に使役した頃からその鼻の良さは変わらない。そして元従者はただ臭いで生物の居所を察知するのではない。
こいつの真価は臭いから導く生物の心根。これを読むことも出来る。
「ガキじゃないんだ。俺が何処で何をしようが勝手だろう。心配するな。瞳の修業は継続する。やり方と制限時間は変更するが」
「では質問を変えます。あなたとお嬢様のお父上とでどんな契約を交わされたのですか?」
数年前『至高』と呼ばれる魔術士がいた。名は夕草景。奴は稀代の魔術士で彼の専攻は人の想像力、つまるところ脳に関して魔術的なアプローチを試みていた。催眠術や幻覚を見せる魔術から始まった彼の魔術への探求は、そのまま夢という形で真理に近付こうとした。
そして彼は一つの結論に辿りついた。それは俺の魔法とは対を成す無から有を生み出す魔法。
「しつこいぞ。言わないんじゃない。言えないんだ」
取香は何かに気付き数秒の間驚く。
「魂に刻む解呪不能の呪魂契約、あなたが?」
驚くのも無理はない。俺の魔法を知っている取香にとって、契約などあってないもののはずなのだから。
呪魂契約とは言葉の通り、魔術士同士の魂をかけた契約だ。契約の破棄はそのまま魂の破棄と同義とされ、死後もこの世界に縛られ天に召されることなく輪廻の輪から逸脱した存在となり果てる。要は死んでも天国にも地獄にも行けない状態になるといったところか。
「そりゃ俺だってこんな堅苦しい契約さっさと切ってやりたいが、そうなるとあいつとの縁も切っちまいそうでな」
「えらく人間みたいなこと言いますね」
「人間だからな、これでも」
取香を横切り、仰向けに寝かせていた瞳の傍らに寄り、屈んで頬を優しく撫でる。
「この娘は『至高』が残した最後の希望。人類にとっての到達点。そしてあらゆる生命体の絶望だ」
絶望。そのあまりにも遠い言葉が取香の疑問をより濃くする。
「瞳の心界はあらゆる夢が現実になる。この現代において未だ人の願いを本当の意味で叶える方法は見出されていない。だがこの娘の魔術なら夢は現実になる」
「つまりそれは、良い夢も悪い夢も叶うという意味ですか」
ご明察だ。俺は取香に返す。
「未完成の状態でもし何かの弾みでまた心界が発動すれば。そして発動した時点で誰かの破滅の願いを聞き届けてしまえば、後は言わなくても分かるだろう?」
あらゆる「もしも」が続き、そんなことが起こりえるはずがないと反論されそうだが、魔術士はそういった「もしも」を特に気を配る人種なのだ。そんな奴らが願うだけで世界を崩壊させる危険を孕んだ魔術士が存在すると知ればどういう行動に移すか。今回のことが良い例だ。
俺は立ち上がり暗膜を解除する。
「そういえば、肉体を手に入れて何をするか、だったな。しょうがないからそこだけ答えてやる」
すでにこの世界に肉体と魂、精神を持った状態で実在してしまっている以上、出来る限り存在希釈を早めなければならない。足元から俺の存在は消えて行くがしょうがない駄犬の願いを叶えるため、俺は口にする。
「まず肉体を手に入れた理由だが、こっち側でしか出来ない事情がある。それは瞳の心界とも絡んでくるがそこまでは話せない」
足が完全に消え胸元まで俺の存在が消え始める。
「それと何をするのかだが、そろそろ俺の願いを叶えるための行動を始める」
苦虫を嚙み潰したような表情で「願い」と口にする取香に俺はダメ押しで告げる。
「人間、魔術士、そしてこの星。この世を取り巻くありとあらゆる存在を『ゼロ』からやり直させる」
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