第三章 魔は蒼き夢の中で眠る②

 住処に残していたのは私の姿形をまねた血液の分身。自動制御の状態で敵との戦闘が始まり次第、宿主である私自身に伝わるよう設定していた。遠隔操作出来たのは女と同じく、八百万の神を基にした神道系の魔術の賜物である。私自身の血液に魔力を注ぎ込むことで私にそっくりの傀儡を作ったのだ。血の傀儡はある程度の魔術も扱える上に宿主と意識を共感出来るので、鼻の利いた魔術士でも偽物と見抜くには時間がかかる。結果私と傀儡と戦闘した女は私のドッキリにもギリギリまで気付かなかった。

 傀儡の中には今回の依頼の際、依頼主に用意させた熱を帯びた魔石を仕込んでいた。周囲の熱を奪って溜め込むその石の表面温度は最高で約五百度。中心温度は約七百度とされている。私はその石に魔術でラップのような空気の膜を張り、温度の上昇を抑えつつ、石の存在を隠した。しかしその膜は外からの衝撃に弱いので、女の攻撃を受け続けた膜は破れ、魔石は血に触れて爆発した。死なないにしても無傷とはいかない。本命を狙う際に邪魔立てすることは叶わないだろう。ただし私にかなり近い精巧な傀儡を用意したために、温存していた魔力はほとんどなくなってしまった。これから本命を討ち取る私にとっては手痛い状態であった。


「ほう……」


 知覚共有をしていために、戦っていた相手がどんな術士であったかは分かっている。だが戦闘中は相手の年齢までに気を遣っていなかったため、今更ながら対戦相手の若々しさに舌を巻いた。見たところ二十代にも達していない女子だ。殺しに手をかけた回数もあったと本人は言っていたが、それは本当らしい。幾多の仕掛けがなければあの家で頭蓋を踏み砕かれていたのは私だったろう。


「彼女との戦闘は出来れば避けたいですね」


 私はすぐさま携帯電話のテレビ電話機能を使い、地上波で流れている速報に目を通す。

 先に私と女が戦った舞台、干菓子市北部の高級住宅街で数十分前に起こった爆破事件で持ちきりだった。一軒丸々吹き飛ばした爆発は幸運なことに爆発による死者は出なかった。しかし爆発とは関係ない死体が後々に焼け跡から発見されることは明白だ。しかもその死体が首しかないとなれば周りもすぐに勘付く。爆発した家の持ち主は連続殺人鬼と関連があると。


「これで教会の連中もそちらに目が行く」


 日本の警察組織と教会に直接的なパイプがないことは今回の依頼であらかじめ調べている。しかも今回の殺人に私が関わっていると知っている教会は、これ以上の被害を必死になって止めに入る。それこそ日本の警察組織に割って入るほどに。奴らは我々を殲滅することしか頭になく、他国との政治的繋がりなど犬でも食わせておけと平然と言ってのける野蛮極まりない連中だ。

 だがこの国ではそうはいかない。日本という国は『事が起こってから動く』特異な国だ。しかも事が起こっても上の人間に意見を仰ぐというタイムラグを確実に間に挟む。それは教会であっても同じで、日本支部の教会も余程のことがない限り、戦闘介入の手続きを踏まなければ実力行使が出来ない。今頃先の爆発事件の介入手続きでもしているのだろう。


「人員の導入は教会日本支部戦力の五割、ですかね」


 半分なら御の字。半分以上の人員を爆破現場に割いているなら、私の任務遂行は格段に成功しやすくなる。一度やり合ったあの神父が爆破現場にいるならなお良い。だがそれは完全に運だ。


「現場に女の死体は、ないようですね」


 速報が流れて十分が経過したが、死体に関する情報はまだ流れていない。一軒丸々吹き飛ばす爆発とはいえ、どんな死体が転がっているかくらいは分かる。だが殺された少女たちの首の情報すらないのなら、あの女は生きている。だがそれも当然のことだ。

 爆破直前に聞こえた「逃げろ」の一声。念話で話していた男の声だと思うが、あの声があったためにあの女は爆発前に家の外へと逃げたのだ。

 しかしどのようにして私の自爆術式を見抜いたのか。どこから見ていたかも分からなかった。視線には気付きやすいのだが、戦闘中何も見られている感じはしなかった。


「もしかして透視か……」


 特殊な眼を持つ術士がいることも数多くの依頼をこなす中で知っている。中には障害物があるにもかかわらず、あらゆる障害を見通し見たい対象だけを見抜く魔眼を持つ者も存在する。


「千里眼なら面倒だな。今の私も見られている可能性がある」


 千里眼には相手の魔力を見抜くタイプもある。居場所だけでなく相手の魔力まで見抜かれては射程に入るだけで見たい対象を感知出来てしまう。


「兎にも角にも始めてしまうしかないな」


 幸い標的が最も嫌うやり方は分かっている。あの娘はこの街の人間が絡む戦闘を好まない。よって今回の殺しにもかなり嫌悪感を抱いていた。標的の感情を利用し、再び戦場に舞い戻ってもらう。あの娘の性格からして自分が不利な土壌でも喧嘩を売られれば居ても立っても居られない。街の人間の命がかかっているならなおのこと。


「楽しみだ、ああ、本当に楽しみだ」


 私は決戦の地を整えるため、腹ごしらえを始める。腹が減っては戦は出来ぬとはよく言ったものだ。


「君も、そう思わないか?」


 笑みを噛み殺しながら、私はもう一人の、これから私の血肉になってくれる誰かに話しかける。

 私がいる場所は住処にしていた家から約六十キロ離れた高校。そこは夕草瞳も通う光聖高校の一教室だ。

 夕草瞳の暗殺を依頼された時点で私は彼女の情報を全て魔導連からもらっていた。彼女の経歴、人間関係、住処、そして彼女の高校も。

 光聖高校は多国籍な校風が有名とされており、校風維持のため多くの人間を雇い学校経営の歯車にしていた。もちろん雇用するにあたっての審査は入念なものだがそれは家畜(ホモサピエンス)の場合。私は清掃員の家畜として夕草瞳の高校に潜入した。とはいえ潜入させたのは私の血を使って動かせる肉人形。私は常に私自身が完全に操れる家畜を一体用意している。私の血流魔術は扱えないが、代わりに魔術の痕跡は一切漏れ出ない。ゆえに教会の介入も恐れず校内に仕掛けを施すことが出来た。

 すでに仕掛けの一つは起動させている。私の術式でマーキングした生徒の何人かは今日この夜に光聖高校に来るよう呪いをかけた。私の目の前には数十人の生徒たちが仰向けの状態で倒れている。

 あとは大詰めの仕掛けを起動させるだけ。


「そんな顔をしないでくれお嬢さん。恐れることはない」


 少女は仰向けに倒れた時点で意識を取り戻し、今の現状に大声を上げた。聞くに堪えない金切り声を抑えるため両手両足を私の血の糸で縛り、口には血の糸で縫われた状態で放置した。逃げるために必死の身じろぎをするが、その顔は恐怖に歪んでいる。


「君たちは選ばれたんだ。これから行われる儀式に」


 少女に近付きながら出来る限り彼女の恐怖を駆り立てない平静を保ったままの語り掛けを試みる。だが身をよじりながら少女は私から少しでも離れようとする。


「私と一つになれるのだ。光栄に思い給え」


 少女の溢れ出る涙を掬い上げ口に含む。思わず声を上げて喜んでしまいそうになる。そうだ、私はやはりこうでなければならない。他者の私に対する恐怖は私にとって最高の生きる糧なのだと。


「ああ、でも本当に良かった。備蓄を用意しておいて」


 私はゆっくりと今晩の食事を開始する。瑞々しくも濃厚な味わい。消費した魔力、そして血液が十全なものになっていく。


「……ああ、素晴らしい」


 歓喜に打ち震え、私は少女だった干からびた何かに一瞥もせず教室の中心を起点とした魔法円に触れる。すると床に血で刻まれた魔法円が真紅に輝く。


「さあ、始めるぞ夕草瞳。お前は救えるかな?」


 私に補填された魔力を糧に魔術を行使する。いや大袈裟な言い方をするならこれは魔法に近い魔術だ。


「疑似心界・蛟貴族(ヴェノム・ロード)」

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