第三章 魔は蒼き夢の中で眠る①

二〇〇六年 四月六日 木曜日


 依頼遂行のため、私は住処を出る準備をしていた。ここまでで積み上げたのは依頼とは別に刈り取った少女たちの首六つ。これ以上は依頼した魔導連といえども何らかのペナルティを課すかもしれない。もしくは目標を殺す前に抹殺するか。


「……遊びが過ぎましたね」


 今回の依頼は魔導連上層部直々から受け取っている。年明け早々私のもとに一通の手紙が送られたのが事の始まり。中身を見ると「wanted dead or alive」と書かれた手配書があった。写真にあった少女の素性を探っていく過程で、彼女が十代半ばの少女で我々魔術に関わる存在だということも分かった。さらにその力が未熟だということも。だが金払いはかなりよく、手配書にもあったが少女一人で億という金額が用意されていた。魔導痕が無傷で手に入るならさらに倍額と聞き、私はこの仕事を引き受けた。日本の伝手を辿り、一か月にも及ぶ調査の結果、彼女に億という懸賞金がかけられている理由を知る。

 夕草瞳。表の顔は光聖高校に通う女子高生だが、裏の顔は関東地方の干菓子市を管理する「夢の魔術」を扱う魔術士であった。しかも彼女の父親は魔術世界でも有名な『至高』と呼ばれた魔術士、夕草景その人だった。

 夕草景は彼の妻諸共、魔導連の協定に違反した罪で葬られている。事後処理には私も関わっており、その時にも夕草瞳とは面識はあったかもしれないが、私の記憶にはなかった。ただ両親を亡くしてからは父親が密約を交わしていた聖央教会が彼女を保護し、亡くなった父親の街の管理を一旦引き受けた。17歳になろうとしている現在は、魔術士としての継承をすでに完了しており、教会が預かっていた干菓子市を管理、運営する管理者としての役割も引き継いでいる。

 ただしここである問題が浮上した。彼女はまだ成人していないので管理者権限はあるが、身柄はまだ聖央教会が預かっている中間の状態。つまり何か事が起こればすぐに教会の神父がでしゃばる可能性があった。すぐに行動に移したかった私としては、標的の現状がネックだった。彼女を狙えば、間違いなく教会の人間が間に入る。返り討ちにされることはない自信はあったが、依頼を遂行出来ず逃げ帰る羽目になるかもしれない。彼らの信仰心は異常で、神に背いた罰当たりは皆殺しにしてもいいと本気で信じている集団だ。こちらも全力で迎え撃つ必要がある。しかし例え勝ったとしても、今後の仕事に影響が出かねない。神秘の隠匿は魔人には薄い原則だが、手の内を誰がどこで見ているか分からない状況では、みだりに見せたいとは思わない。

 つまり、目標には完全なフリーの状態になってもらう必要があった。

 標的の情報には両親を殺されたことで、魔術士への憎しみが強いことが示唆されていた。さらに自身の街に対する愛着もあるので、月に何度も町の巡回をしていることも調査済みだ。幼いながら管理者としての責務を負い生きてきた彼女だ。もし自分の街で、得体の知らない余所者が連続殺人など起こせばどう思うか。

 結果は火を見るよりも明らかだった。


「とはいえやりづらくなったのは確かですね」


 魔導連には睨まれたくなかったので、魔術としては最小限の力しか使わなかったが、教会が動き出してしまっては動きが制限される。事実狙っていた七つ目には教会の神父どもが警戒の網を張っていた。六つ目の時もわざわざ廃校まで死体を運ぶ手間までかけたのに、標的だけでなく神父までもが廃校を探し当てている。


「時間の問題ですね」


 ここ数日の標的、教会の動きを見ても今晩中に本命を狙いに行くことが得策だと考えた。まだ教会は彼女の監視を続けているかもしれないが、彼らの目は私に向きつつある。彼らの行動を予測し、入れ違いになったところで一気に目標を狩りに行く。

 私は部屋に隅にかけていた黒のロングコートを羽織る。コートには人除けの術式が施してある特注品なので、一般の人間には意識すら感じさせない。


「なるほど。ここがあんさんの工房っちゅうことか」


 若い女性の声。しかも背後から発せられた。後ろを取られた時点で状況は最悪だが、魔人である私にとってみれば、それは何の脅威にもなりえない。

 指の爪を魔術で瞬時に強化し、人差し指で空いたもう片方の手首を切る。一気に迸る血液はそのまま形状を変化させ、一匹の大蛇となって背後の女を襲う。床が抜けるほどの強度を誇る牙は爆音とともに床のみならず周辺の家具をも破壊する。

 女が何者であったとしても分かることはある。彼女が侵入者で、同じ魔術士だということ。


「挨拶もなしにくるとは、行き急ぎ過ぎですよって」


 ゆっくり後ろを向くと、背中まで伸びた黒髪の女子が学生服姿で立っていた。年は十代後半で顔立ちは清楚、骨格、肉付きはバランス良く形成されモデルをしていると言われても納得のいく発育をしていた。


「また壊してしもた。車椅子一台高いんやで」


 黒髪をかき上げる女を、自身の大蛇が破壊した全てを観察する。床と家具、そして彼女が愛用していた車椅子を。


「弁償してもらおうか。あんさんの命で」

「……車椅子でここまで?」

「ちゃんと玄関からお邪魔しましたよって。勝手に入ったことには謝罪した方がええんやろうけど、人喰い鬼にその必要はないわ」


 臨戦態勢に入る女に私は血の大蛇を自分のもとに呼び、応戦する構えを見せつつも、一つの疑問を抱く。

 当初、侵入者は夕草瞳かと思ったが、かけられた声が明らかに違っていた。しかも私の初撃をかわしているところから魔術士であることはわかるが、目の前の女が私の住処にやってきた理由が分からなかった。夕草瞳の周辺も洗っているが、目の前の女の情報はどこにもなかった。

 そして、何より信じがたいことに会ったこともない女と私には一つの共通点があった。


「見事な認識同化。目の前にいるのに気を抜けば見失ってしまいそうになるほどの空間調和ですか」

「褒めてもあげられるのは一つだけやで」

「ここまでの自然との同一化、もしかして同門ですか?」


 直後、強烈な正拳突きが腹部に叩き込まれる。女の一撃を一切殺せずに、爆音とともに壁にぶつかる。血の大蛇は私の魔力の供給を失ったために元の血液に戻り、床をどす黒い血の沼へと変える。


「言葉に気い付けてな。確かに私も神道系の術士やし、何回か人を殺めそうになったこともあったけど、あんさんのような畜生と一緒にされるんわさすがに腸煮えくり返ります」


 神道に通じる魔術で強化された拳は私を軽々と吹き飛ばし、内臓や骨を砕く威力を持っていた。


「天手力男命(あめのたぢからお)。高天原で最も力のある神さんの名前や。同門や言うんなら知っとるやろ?」


 天手力男命。天照(あまてらす)が天岩戸(あまのいわど)に引き籠り、高天原が闇に堕ちた時に困り果てた八百万の神の代表として、会議に出席した重鎮の一人。

 またの名を八百万の神の怪力大臣。力の神。


「……なるほど、怪力を模した神の力をその身に宿している訳ですか」


 神の力を術として利用し、肉体の部分的強化を可能にしたのだろう。車椅子でここまでやって来たのだとしたら、通常は立つことが出来ない彼女が、直立出来るのも天手力男命の加護が働いているから。

 神をその身に宿すとなればそれなりの代償も考えられるが、それが両足の不全なのかまでは定かではない。何より人間の身体を拳一つで破壊出来る威力を持ち合わせているのなら、それ以外の神も扱える可能性もある。かなり厄介な相手とバッティングしたものだと内心溜め息を吐く。


「波留」

『大丈夫や姉さん。外には魔力どころか一切の音も感じへん』


 通信機などの文明の利器を使わず会話をしているところを見るに、魔力を使っての念話だろう。これも八百万の神を下敷きに空気にも「神は宿る」と仮定した上で、会話をしたい相手を思いながら声を届ける魔術だ。糸電話の上位互換といったところか。

 女は痛みで動けない私の頭を踏み付け、問いかける。


「何が楽しくて人喰いをしてるんか知りまへんけど、さすがにやり過ぎですよって」


 天手力男命の加護はまだ解いていない。ゆえに彼女が生み出す力は人間の頭蓋骨程度なら簡単に踏み砕く。余計なことはしない方が得策だ。何より強化された拳の一撃が効き過ぎている。破壊された部位からの出血量は纏っている服のほとんどが赤に染まるほど酷い。


「この街で六人も殺したんや。あの子からすれば、顔面に糞投げつけられたことと同じ。しかも無害な女の子ばかり殺されてる。絶対にあんさんを追いかける」


 徐々に足に力を入れていく。脳を守る頭蓋骨に異音が部屋中にこだまする。


「頭集めるの好きなんやろ。自分がそうした女の子らと同じようにしたるさかい、楽しみにし」


 害虫が出たから駆除しないといけない。人なら当たり前の行為を、女は同じ人に向けて行おうとしている。それでも私は臆することなく、むしろ笑みを浮かべて女に問う。


「は、はは。なるほど。同じ術で、同じモノを目指していた者としては、羨望せずにはいられない。とんでもない資質だ」


 骨が軋む音は続いている。このままでは遅かれ早かれ確実に私の頭蓋は砕かれる。だがそんなことなど意に介さず口を開く。


「だからと言って容赦はしない」


 家全体が揺れた。女は地震を連想しただろう。だが即違うと判断し、私の頭に乗せている足に渾身の力を込める。女が即座に私の頭の破壊にシフト出来たのは、大地からの揺れではないと理解したから。揺れているのは家であり、周辺の家には一切の揺れはない。

 では大地の揺れではなければ、何の揺れなのか。判断の時間を削り、女はほぼ反射で私の頭蓋を思いきり踏み砕くことに専念した。

 後方からの殺気を感じ取るまでは。

 舌打ちし、その場から離脱する女。しかし離れたことで殺気の正体を視認出来た。女の前には数匹の大蛇が蠢いていた。全身が人の血液で出来ており女を睨んでいる。


「一軒揺らすほどか。何人喰らったらこうなるんやろうね」


 地響きは未だに鳴りやまない。むしろ家を揺らすほどの振動は強まるばかり。女は無数の大蛇が地の底を這いずり回っているような感覚に囚われていることだろう。何故なら八百万の神をベースに魔術を行使しているのなら、あらゆるモノの魂を聞くことが出来るから。

 彼女の鼓膜は今、私に殺された家畜たちの阿鼻叫喚に振るわされているはずだ。


「気色の悪いもん作ってからに!」


 天手力男命の加護を得た女の脚力は、人間の膂力を超えていた。踏み込んだ次の瞬間には大蛇の頭上に移動し、渾身の一撃を叩き込んでいた。大蛇との距離は二メートルに対し、攻撃までの間は一秒を切った。もちろん人の限界を超えた速度の攻撃だ。私は反応する間もなく、元の血液になった大蛇を見送る。

 天を仰いだ私は満面の笑みを浮かべる。


「なんや、マゾヒストさんか?」


 蠢いていた大蛇は一匹が殴り倒されたことで、一斉に女を襲い始める。しかし人外の速度を手に入れた彼女にとって大蛇の動きは緩慢に違いなかった。反射速度はまさに神速と言っても差しつかえない。視認出来ただけで六匹の大蛇は瞬く間に大量の血液に戻されていた。ただの蹴り、拳を撃ち付けるだけの応酬。しかしその一発一発が必殺の一撃を備えていた。


「いくら血液で蛇を作っても、動きが鈍いんじゃ意味ないんとちゃいます?」

「……おかしなものだ」


 それは今の状況を鑑みた上で出た率直な感想だった。


「自分の縄張りでもないのに、厄介ごとを抱え込むとは。おおよそ魔術士のすることじゃない」


 劣勢は揺るがない。それでも私はこう言い放つ。


「それは、己の秘術を見せてまですることか?」


 勢いよく床を踏み付け、駆ける。


「関係ないやろ」


 半ば呆れ声で女は呟く。


「私らは人道から外れた存在や。自分の欲望に忠実なロクデナシの集まり。あんさんみたいに殺すことを是とする獣もいれば、関係ない魔術士を助ける馬鹿もおるいうことや」


 女が再び仕掛ける。突進しながら拳を固め、私の顔面に直撃させるため最速で命を獲りにかかる。人体を破壊する彼女の拳は立派な凶器だ。当たればかすり傷でも肉ごと抉られる。状況は女に圧倒的有利を見せている。


『姉さんアカン! 逃げろ!』


 だから。女は一瞬の判断を誤った。

 私の色は一色に様変わりする。赤黒い血の色に。


「では、私も君の言う通り欲望に忠実になるよ」


 直後。私は女の目の前で爆散する。

 水蒸気爆発。水が非常に温度の高い物質に接触することで、気化されて発生する爆発のこと。減少としては、熱せられたフライパンに水を一滴落とすと激しく弾け飛ぶことと同じである。

 私はその爆発を人間サイズで実践した。

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