第二章 鬼と魔術士③

 トマスの退館を見送り、私は取香にここまでの経緯を話すと師匠にも話した方が良いと答えた。実を言うと私も同じ考えには至っていた。あの魔人は私よりも数段格上だ。何をするにも師匠の助言が欲しいというのが正直なところだった。

 だが私の魔術の師匠はおいそれと会えるような人間ではない。語弊を承知で言うと、師匠はこの世界に存在していないのだ。とはいえ死んでいるというわけでもない。死んでいれば私の師匠になどなれないし、複雑な言い回しになるが、師匠は私が作り出す夢の魔術の世界に居座っている。

 取香との話し合いが終わるや私はすぐさまベッドで仰向けになり入眠する。意識を全て夢の世界に向けて、ゆっくりと目を開ける。するとそこは大地も空も何もかもが白で満たされており、平衡感覚が大いに狂わされる。自分が立っているのか浮いているのかも曖昧な空間だ。師匠曰く彼自身の術が私の世界に影響を及ぼすと世界が変化するのだとか。圧倒的な強者の前では私の唯一の魔術すら塗り潰されてしまうのだから当初は自己嫌悪で死にたくなったものだ。

 だがこの空間に変質しているということは師匠との面会が叶ったということでもある。彼が私の夢の魔術に干渉した時は今のような純白の世界に強制的に変更されるからだ。


「師匠、いるんでしょう。どこですか?」


 呼びかけるとどこからともなく蛍のような淡い光がやってくる。その光こそが、私の師匠『魔導師・零』であり彼、もしくは彼女は魔術世界では魔術士ではなく、魔導師と呼ばれている。


『でかい声を出さなくても分かる。何故お前はそう騒がしくする?』

「私の世界を勝手に真っ白にしておいてよく言いますね。そんなことより報告したいことが」

『俺のことを知られたことだろう? お前を通して聞いていたから知っている』

「覗き見られるってあんまり気持ちの良いものじゃないんですけど?」

『じゃあ夢の魔術に蓋でもするんだな』


 魔術に蓋が出来るやり方があるなら是非とも教えてほしいものだ。仮に方法があったとしてもこの師匠が教えるとは思えないけど。


「……魔導師ってみんなそんななんですか? デリカシーがないというか」

『俺みたいに魔法を使う奴なんて基本ロクデナシばっかりだぞ。お前も気を付けることだ』


 師匠が言った通り、呼び方に違いがあるのは師匠が扱う術式が「魔術」ではなく「魔法」だからだ。

 魔術と魔法。これらに使い分けがされる理由を端的に説明すると奇蹟のレベルが違うためだ。

 魔術とは人間の力のみで奇蹟に辿りつこうとする技の総称。言い換えれば、一を起点した人間から次の数字を生む技を指す。すでに存在する物質、力、時間、あらゆる事象を応用して人の身で人以上の神秘、奇蹟を起こす。医者で例えるなら高度な医療技術で治療不可能な病を治療可能にするといったところか。

 対して魔法とは、人類の手が届かない領域、つまり本当の奇蹟に辿りついた技の総称だ。

 魔術は見た目には奇蹟に見えるが、それは人間個人の力で成し遂げた技であり、人が作り出す技には必ず限界がある。先の医者を例に挙げるなら、どんな高名な医者でも死者は蘇らせない。だが魔法はその気になれば死者さえも蘇らせるとの触れ込みだ。

 その時代の人間がどれほどの文明、文化を発達させようとも不可能だとされる技を魔法と呼び、その魔法を操る者たちを魔導師と呼ぶ。魔導師は人間を真に超えた存在として、その力を元手に真理に到達することすら叶うと言われている。

 そんな超常の力を持つ魔導師は世界に四人しかいないとされ、その素性は一切不明となっている。その中でも『零』は最も情報の少ない魔導師とされ、多くの魔術士たちから実在しないのではと囁かれるほどだ。

 そんな噂でしか登場しない『零』が私の師匠になった理由はこれまた父が関与している。


『お前の父親もそんな感じだった。気が抜けているというか、脇が甘いというか』

「でも強かったんでしょう?」

『……後にも先にもアイツだけだ。俺から一本取った人間、いや魔術士は』


 少しだけ寂しそうに話す師匠は私の父、夕草景と知り合いだった。しかも一度戦ったこともあったそうだ。


『火水風土。四大元素全てを扱いそれぞれで複合の魔術を扱うアイツは本当に面倒な奴だった。全部の手札を消し去ってもまだ余力を残してやがった。今思い出しても』

「父の話は散々聞いたので結構です。何回話すつもりですか」


 修業の際も必ずと言って良いほど父の話題を上げる。それほどに仲が良かったのかと聞いたこともあったが大抵が『殺し合う程度の仲』とはぐらかされる。そんな関係だけなら私の魔術の師匠など買って出る訳がないのに。


「それどころじゃないんです。面倒なことが起こっていて、特にあなたに関係することで」


 私は先までのトマスとの会話とここ最近の事件のことを一言一句伝えると、発光する光の球体は呆気なく『そうか』と呟いた。


「薄いですね。いつにも増して感想が」

『余所者の魔人のことなど知らん。そんなことは神父どもに任せておけばいいだろう? 神父もそう言っているし』

「私には父に託された街があります。何もかも他人に任せて行く末だけ見守るなんて私はしたくない」

『あいつに直接任された訳でもないのに変なところで背負いこむな。父親そっくりだ』

「……止めて下さい」


 今の状況を作った父親に似ていると言われるのは腸が煮えくり返るだけでは収まらない感情が湧く。どんな理由があれ娘に魔術なんてものを遺す父親を感謝することが私には出来なかった。何より腹立たしいのはそこまで分かっていて魔術士の道を選んだ自分自身なのだが。


「師匠以前言ってましたよね。自分に関する記憶は私と取香さん以外からは消したって。だから無関係のトマスが師匠のことを知っていたことに驚いたんです」

『確かに言ったな。ただいただろう。俺のことを知っていたのは当時のお前の父親ともう一人』


 師匠の言葉に思い浮かんだのは母の顔だった。


『俺とお前の父親が知り合いだということを、父親以外に知る可能性なんてお前の母親くらいだろう』

「ですよね。でもいつ」

『死ぬ前日、と考えるのが自然だろ』


 師匠の指摘通り、母さんが師匠のことを知って、その情報を兄であるトマスに言うのは不自然ではない。どういう風に伝えたのかは知らないが、母が師匠のことをトマスに伝えた可能性は強まった。


『大方お前の母親がお前の生存確率を少しでも上げるために俺のことを話したんだろう。聖央教会にとって魔導師の情報はそれなりに価値もある。けど万が一にもその神父を経由して教会全体が俺の存在を認知していたとしても、手の内までは晒していないから問題ない。俺が記憶を消して回ったのは魔導連の連中が主だしそこに情報が入ってないならそれでいい』

「でも教会から魔導連に話が行けば」

『そうなると面倒だがそうなる可能性は薄い。何せ教会と魔導連は喧嘩相手だ。向こうが知らない情報をわざわざ教えるような優しい連中じゃない』


 教会は魔術士が焦がれてならない真理そのものには興味関心を抱いていない。彼らが行うのはあくまで奇蹟の保管なので、その在り方を汚す行いをしなければ例え魔術士と言えども、発見即処罰とはならない。ただ魔術士のほとんどが奇蹟の独占をし、無辜の民を蔑ろにする者が多いために彼らの教義に反し争いに発展しやすいという訳だ。それが千年も続けば禍根もしこりも大きくたくさん残るのは誰でも予想がつく。


『それにお前がやらなきゃならないのは俺の心配じゃない。お前は自分の魔術の精度を上げることだけに集中すればいい』

「そのことなんですけど」


 私はおずおずと師匠に提案する。


「師匠、夢の魔術以外にも私に扱える魔術は」

『ない』


 バッサリと言い切られる。


「そんなことないでしょう。私だって身体強化以外の魔術を」

『何度言わせれば気が済むんだ。お前の魔術適性は夢の魔術が最も強い。夢の魔術以外で唯一有力なのは封縛術だが』

「封縛術!」


 私は新たな魔術を習えると喜んだが師匠は『待て』と落ち着かせる。


『封縛術は基本封印、束縛を基本とするもので足止め専用の術式だ。殺傷能力は皆無と言っていい。それに今お前に攻撃重視の魔術を教えてやったとしても、現在進行形で街中を暴れ回ってる魔人を打倒出来るほどの魔術なんてある訳ないだろうが。魔術は研鑽と重ねた時間と経験から成る。圧倒的に時間と研鑽と経験が足りん』


 まるで勉強を教える先生みたいだと思わなくもないが、そもそも魔術は勉学に位置づけられる。魔術士は戦闘集団ではなくあくまで真理を探究する研究者。日々勉強と練習と実験に明け暮れる研究者を想像すればお手軽に強い魔術を学びたいという私の発言は愚鈍の極みであった。


「トマスは夢の魔術しか使えないなら身を引けって。私とその魔人の相性は最悪だって」

『神父の方がちゃんと分かってるじゃねえか』


 師匠ですら『当然だ』と言わんばかりに詰る。


『対象の精神状態を不安定にさせることが大前提の夢の魔術を戦闘に転用するなんて通常はありえない。どちらかというと、罠を張って飛び込んで来た馬鹿をとっ捕まえてから夢の魔術を発現するんだからどうしたって後追いの術になる。そんなことお前が一番分かってるだろう?』


 嫌でも分かってる。でもそれでも、私はこの戦いから逃げて傍観に徹することだけはしたくなかった。


「師匠、私と父は似てるって言いましたよね?」

『ああ、特にさっきまでのやり取りは』

「じゃあ私がこの後何するかも分かってますよね?」

『だから』


 突然、私の意識が曖昧なる。いつの段階でかは分からない。ただ分かったのは師匠が私に意識を失くす魔術を行使しただろうということ。


『頑固なお前を止めるにはこれしかない』

「な、んで……」


 薄れゆく意識の中、私は最後に聞いた師匠の言葉を何度も再生させながら意識を閉ざした。


『悪いな。俺にとってもお前には死んでもらっちゃ困るんだ』

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