第二章 鬼と魔術士②

 殺人を続ける魔人の捜索、発見後の対処に指針が出来たことで津雲上姉弟とは一旦の解散となった。午後の授業も終え、私は自宅に戻り次第、そのまま私室のベッドで仰向けになって両目を閉じた。魔術を知らない人が見ればただ寝ているだけに見えるが、これは立派な魔術の修業なのだ。

 夢を操る魔術を習うにあたり、最初に学ぶのは『自分の夢をコントロールする』ことにある。

 そもそも人間が見る夢の起源は古く、古代ギリシャつまりは今から二十万、果ては四十万年前から夢は認知されていた。当時のギリシャの人たちは夢と超自然的存在、つまり神の世界は繋がっており、神々や悪魔たちのお告げを直接聞くことの出来る特別な空間だと信じられていた。中には「自身の子に殺される」と夢で言われたから、生まれたての我が子を山に捨てるということもあったそうだ。

 現在でも予知夢というものがあり、先の未来に体験する事柄を、夢を通して垣間見ることもある。

 だがこれらの夢に纏わる事象は後年、心理学の範疇として研究対象となり、夢は神から送られる啓示に発するものではなく人間が眠っている間の感情の働きとして定義された。人が眠る時、脳は完全な睡眠を得るまでは、常時動き続け思考する。レム睡眠と言われる状態が二十から三十分ほど続くと夢を見やすい状態になり、さらに時間が経つことで脳も完全な睡眠状態、ノンレム睡眠になる。


「……さすがに酷いわね」


 覚醒するといつもの見慣れた荒れた私室に溜め息を吐く。

 私の部屋は十畳ほどの広さで部屋の至るところに本が置かれていた。その全てが夢に関する魔導書で、中には読むだけで自身の神経を刺激する危険なものも含まれている。魔力を扱えない人が見ればそれだけで意識が混濁するくらいには危ない代物だ。

 魔力は人間だけでなく無機物にも定着することもあり、先の本や武器に魔力を付与することで追加の効果を得ることもある。魔力を付与した武器で有名なのが剣で、相称して魔剣と呼ばれる。


「整理、したいけど量がなぁ」


 部屋には本棚が設置されているのだが、取り出して直す作業が面倒になり、床に直置きすることでその手間を失くしている。本のほとんどが大辞林並の分厚さで、開きっぱなしの本には英語で書かれているものが多い。書物の他には実験器具などに用いられるフラスコや試験管、薬品入れなどの小瓶が戸棚に収納されていて、見た目だけは理科系教授の研究室にも見えなくもない。


「さすがにこれは師匠に怒られるな」


 散乱しきった自室に辟易しながらも、ベッドから降り魔導書、実験器具、その他機材を片付けていく。数分の時間を要しながらも機材を全て戸棚に、魔導書も全て本棚に直しきったところで部屋のドアがノックされる。部屋のドアを開けると取香が居住まいを正して綺麗にお辞儀する。


「失礼します。お嬢様、聖央教会の神父、トマス様がお見えです。あと五分ほどで到着されます」


 トマスが報せ(アポ)もなく家にやって来ることは珍しい。本来なら私たちは敵対する魔術士と粛聖者であるが、私とトマスは十年来の腐れ縁がある。用があればどちらか一方から電話ないしは直接連絡を入れるのだが、今日に限って何の連絡もなく立ち寄ってきたというのだ。しかも魔人討伐のために琉花と波留の協力を得たその日に。確実に面倒なことを言いに来たのだろう。


「今どの辺?」

「山に入ったばかりです」

「そ、じゃあおもてなししないとね。取香さんは嫌だと思うけど」

「そうなると思い、彼の気配を嗅ぎつけた時点でお茶の用意は済ませております」

「さすが出来るメイドは違うわね」

「お嬢様の命令でなければお湯を沸かすことも致しません。それと私は席を外しますので」


 取香は徹底してトマスと距離を置いている。私がいない時は出迎えから案内まで渋々やってくれるが、本人としては顔も見たくないそうだ。


「了解。お茶は居間にあるのかしら?」

「はい、そちらにお運びしております。それと津雲上姉弟ですが、干菓子市北部の住宅街に到着したようです。使い魔の情報からおそらく今より捜索を開始するのだと」

「相変わらず、早いわね」


 本来なら私が北部の住宅街に赴かなければならなかった。名ばかりとはいえこの街を根城にしていた魔術士の娘なのだ。初戦で敗北を喫した借りもある。そう考えて生徒会室では最悪でも同行を口にしようとしたが、話に上げる前に琉花の方から「姉弟」で捜索することと「頼りない?」と質問されたことが運の尽き。加えて運命共同体と言い切ったことが裏目に出てしまい、結局魔人が潜伏していると思しき住宅街周辺の調査を任せきりにしてしまった。こんなことならどんなやり方でも良いから同行を申し出ればよかったと後悔する。


「悔しがっている場合ではございません。今はお嬢様の出来ることを」

「分かってるわよ。とりあえずトマスね」


 別れ際に私は琉花から頼み事をされている。それは津雲上姉弟が万が一住宅街で魔人と戦闘になった際の周辺組織の足止め。トマス経由なら私の声がそのまま教会にも届くので決着がつくまでの時間稼ぎを仰せつかった。確かに琉花の言う時間稼ぎは私にしか出来ないが、問題の丸投げであることは変わりない。


「交渉事でしたらお嬢様の判断でお決めください」

「言われるまでもなくそうするわ」


 深々とお辞儀する取香を素通りし、二階にある私室から一階の玄関まで移動する。玄関扉を開け、門扉まで進むと同じ反対方向からトマスの姿が見えた。


「連絡もなくやって来るなんて、相当急いでるのかしら?」

「授業が終われば君はすぐに自宅に戻って魔術の修練に入るだろう? 家にいる可能性が高いと予想を立てたに過ぎん。私が先に到着していたとしても業腹だが君の従者の茶をいただいていただけのこと」


 門扉を開けトマスを迎え入れ、その足で居間まで案内する。居間には取香の言う通りティーセットがしっかりと用意されていた。私はトマスに適当に座るよう指示し、彼は素直に椅子に座る。私はティーポットから美しい紅色の液体をソーサーに乗ったままのティーカップに注ぎ入れる。


「そういえば、ここに来るのはそれなりの覚悟が必要だったのではなくて、神父さん?」

「今はその覚悟が必要だと判断したまでだ」


 トマスは一通の封筒を私に差し出す。私はティーポットを置き、紅茶を注ぎ入れたカップをソーサーに乗せたままトマスに手渡し封筒を受け取る。通常の封筒は違い、紐付きで材質も分厚く拵えている。


「嘆願書だ」

「そんなもの私に渡してどうするっていうのよ」

「悪いことは言わない。君はこの件から手を引くのだ」


 紅茶が注がれたカップを手にトマスは紅い液体を飲み下す。やはり、というか一昨日もトマスが口にしていたことだ。だが今回はトマス個人ではなく教会としての勧告である。


「今日、君は津雲上姉弟に協力を仰いだ。私は君が全ての後始末を彼ら姉弟に託したものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。教会の上役に無理を通して作らせた甲斐があったというものだ」

「私が琉花さんと波瑠君に依頼したのは魔人をやっつける手伝いよ。全部丸投げにするはずがないでしょ」


 どんな形でも私は自分の手で魔人に鉄槌を下す気でいた。人の町で勝手に騒ぎ立てて、しかもその相手が私に用があるというならなおのこと私が相手をしなければならない。


「あんたが何をしようが私は」

「十回」


 トマスは私の言葉を遮ってそう言った。


「君が私を門扉で迎え入れ、背を向けた瞬間、私なら君を十回は君を殺せる」


 空になったカップをソーサーに乗せ、トマスは足を組む。


「君の魔術は、対象者を眠らせた後に発動する手間のかかるものだ。それ以外は若葉マークの魔術士でも扱える肉体強化魔術。対して相手の魔人はこの報道にもあるように、若い女性の首を簡単に切り落とすことが出来る血の刃を展開出来る血流操作の達人だ」


 トマスは手渡した嘆願書を開くよう促し、私は指示通り封筒の中身を開く。そこには魔人、雨霧一に関する情報も封入されていた。


「あの魔人、雨霧はアフリカ文化になぞらえて術を行使する魔術士だそうだ。農耕民、牧畜民、狩猟採集民、それぞれが培ってきた歴史と文化が魔術の形になっている。さらに雨霧が着目したのは水。農耕民の王が神秘の力を振るい、それを象徴とするタイプで、その祖先はアフリカで権力を振るった王族だった。太陽の日差しが常に照りつけるアフリカで、奴らの祖先である王族は魔術を用いて灼熱の地に雨をもたらした。雨乞いでもって民を従え、王国を築くまでになった。雨霧はアジア諸国の魔術と、アフリカ文化をベースにした魔術を組み合わせて使い、同じ水に近く、神を奉り、儀式としての生贄が必要なものを優先的に選択して術を行使している」

「それが女児の血ってわけね。胸糞悪い」

「古き時代より少女の贄は文献にもよく現れる。恥ずかしい話だが我々教会の中でも、神の捧げものとし少女の髪や純潔を貢物にしていた時期もある。かなり古い時代だがね」


 資料に目を通すと、雨霧の家のことだけでなく殺された女児の情報も事細かに記されていた。


「人間の首はそう容易く切り落とせるものではない。頭部だけでも成人男性の場合、最大で八キロのも重さがある。これは男子プロボウラーが実際に使うボーリングの球と同程度の重さだ。その頭を支える首はさらに厄介で、支える骨、筋肉、そして多数の太い血管が走っている。戦国から江戸時代にかけては介錯人という仕事があったくらいで、相当の腕がなければ一度で人間の首を斬ることなどありえない」


 熟練された腕、切り落とすための武器、そして首を落とす対象の状態によって成功率は変わるとトマスは言う。江戸時代のように罪人が潔く、常に切りやすい位置にいる訳ではないのだ。逃げる相手を、抵抗している相手を、一切の手違えなく介錯することは不可能と言って良い。

 ところが件の魔人はそれを六回も成功させている。余程の腕と魔力操作がなければこうはならない。早い話が人殺しに慣れているということだ。


「君の抹殺を目的としている彼からすれば、これほど楽な仕事もないだろう」


 何より、とトマスは続ける。


「人を一度も傷付けたことがない君では話にならん」


 私の魔術は私自身がよく理解している。ゆえにトマスが私の魔術を訳知り顔で語ったのには思うところがあった。それでもトマスの言い分を否定出来ない。何故なら彼の言う通り、私は一度として魔術戦の実践と殺し合いを積んだことがなかったからだ。


「……しょうがないじゃない。父さんから託されたのが夢の魔術とあんたから教わった防衛手段としての格闘術しかないんだから。それでもやるしかないのよ!」


 テーブルを叩き、トマスに大声で反論する。


「分かってるわよ自分が弱いってことくらい! 誰かの陰に隠れてないと自衛も出来ないことくらい! でも私が進むと決めた道はこれなのよ! 何があっても、どんな死が待っていても黙って指を咥えて傍観者になるのは止めるって決めたのよ!」


 悔しさと怒りが混在したまま隠していた本音が吐き出される。トマスは全て知った上で私に喧嘩を売って来た。こいつはいつも私に見たくない、聞きたくない現実を叩きつけてくる。それがこいつなりのお節介だということも最近は気付き始めてはいる。それでも納得は出来なかった。


「君が怒るのも無理はない。自分の育った町で常軌を逸した殺人事件が起きているんだ。しかも相手は外から入ってきた魔人。人道を忘れ、殺人鬼になり果てた獣が、好き勝手暴れているのだから、どれだけ心根が良い君でも腸が煮えくり返るのも理解出来る」

「なら!」

「それでも譲れないものがある。それは私も同じだ」


 トマスの中で渦巻いているのは怒り、悔恨、そして今は亡き母への愛なのだろう。でなければ表情に出るほどの苦しさを私に見せはしないから。


「魔術士というのは身勝手で、自分本位で、何より周りが見えてない輩が多い。真理などというあるのかどうかも分からないモノを目指すことだけに執心しているのだから、最早人として見て良いのかも怪しい」


 トマスは立ち上がり、瞳の目を見て語る。


「だからこそ君がそうならなかったことは心から喜ばしいと思える。誰も傷付けず、誰も悲しませない。普通に生きて普通に日常を過ごしてくれることを、妹も望んでいたからな」

「……母さんが」

「そして、業腹だがあの男も」


「あの男」というのが父のことだと直感した。トマスは私の父親を名前では決して言わないから。


「君の父親は、私の妹と君を愛していた。そこから波及するように、この世界にも目を向けるようになっていた。君が何不自由なく生きて来れたのは、間違いなくあの男の変化があってこそだ。魔術士のままなら君のような正しい心を持ったまま生きてはいなかったかもしれん」


 部屋の扉の前まで移動し、トマスはドアノブに手をかける。


「私は妹が最後に残していった君のために命を燃やす。君が無為にその命を散らすというのなら、多少痛い目を見てもらう。必要なら恨まれ役も喜んで引き受けよう。君に生きてもらうためだ」


 背を向けていたトマスが私に向き直り、本気の殺気を飛ばす。全身が総毛立ち戦闘態勢に入るが、今の私にトマスをどうこう出来る術はない。逃げることも叶わないだろう。


「……女の子に手を上げるって訳?」

「君が良いなら手足の骨を折って、再起不能にしてしまいたいが」


 トマスはじっくりと上階に視線を向ける。トマスの殺気と同じかそれ以上のどす黒い魔力が上階から私たちのいる一階にまで流れ込んで来た。まず間違いなく取香の魔力だ。


「今は君の従者がいるんだったな」


 殺気を抑え込み、再び出入り口のドアノブに手をかける。


「瞳、何度でも言おう。今回の件から手を引け。でなければ次に戦場で会った時、私は君の手足を折る羽目になる」

「じゃあ今そうすれば良いじゃない。取香さんがいるからってそれで止まるあんたじゃないでしょ?」

「君と従者だけなら何とでもなる。だがもしここにもう一人いたら私でも攻めきれないかもしれん」


 トマスの言う「もう一人」それが誰なのか私はすぐにはわからなかったが、それが誰なのかはトマス自身が語ってくれた。


「君の師匠『零(ゼロ)』の魔導師。彼がこの場にいれば戦況は変わる」


 私は目を見開いた。何せトマスが私の師匠を知っているとは思わなかったから。


「驚くことでもないだろう。いくら君の父親が優秀でも、死んでしまっては今を生きる君に正しい魔術を教えることは難しい。なら君に魔術の手解きをする人間がいるのは必然」

「それがなんで『零』だって言うのよ? 彼、というか彼女? ともかくあの人この世界に存在しているかどうかも分かんないんでしょ?」

「君の父親の唯一の旧友が『零』だということはすでに知っている。旧友に娘を託すのは不思議な話ではあるまい」


 教会は知っていた。父と『零』しか知らないはずの関係を。


「父さん、いや母さんか。直接聞いたの?」

「それを君に語る必要はない。だが『零』には伝えておいてくれ。弟子の窮地を何とかするのは師の仕事ではないかね、と」


 全て知っているぞ、とトマスは眼で語りかけた。

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