幕間一

 雨霧一(あめきりはじめ)は神道の総本山、長野県諏訪神社の出である。ただしそれは正当な神社の跡取り息子という意味ではない。

 彼は日本という国に牙を向ける諸外国の天敵として育てられた、生粋の魔人であった。

 魔人は魔術を研究ではなく実利のための道具として扱う者たちのことを指す。魔術士は己の研究、つまり真理に到達することが目標となっており、魔術はその道に行くための道標。崇高な目的のための神聖な技のため、魔術士は己が扱う魔術に敬意と誇りを持っている者が多い。だが魔人は自分の欲望を満たすためだけに魔術を使う者たちなので、真理には興味を示さず一時的な快楽のためだけに魔術を扱う。よって魔術士は魔人のことを軽蔑し、魔術を汚す下賤な者として見ている。

 ただし、魔術を道具として使う魔人だからこそ、適任とも言える職がある。

 それが殺し屋。つまりは狩人。


「私が何故こんなことをするのか、そう問われた時何を思ったかですか? そうですね、真っ先に思ったのは父のことですね」


 黒の加圧シャツとパンツに身を包んだ雨霧は、辺りを観察しながら部屋の奥に進んでいく。彼が今いる場所は都内でも有数の高級住宅街が立ち並ぶエリアで、彼が根城にする住まいには地下も完備されている。年間で億単位の金額を稼いでいなければ、味わうことの出来ない強者の部屋には一切の装飾品がない。その代わりに居住するに際して、不必要な物品ばかりが彼の目の前には広がっていた。

 地下に設置されている鉄の台に置かれていたのは頭。それらはかつて、純真無垢な少女たちの苦痛に歪んだ肉塊だった。雨霧は頭部だけとなった彼女たちに話しかけ、所々で笑みすら浮かべていた。


「父は偉大な方でね。魔術とはほぼ無縁な人生を送っていたが、私のためだけに心を鬼にして魔術に傾倒していった。無知識だということを自覚しながら、それでも愚直に魔術士となった私を想像して」


 部屋に備え付けられているのは手術に用いられる手術台、医療用ガスシステム、無影灯、電気・空調設備、医療用器具など。その空間があれば、いつでも外科手術が出来そうな整いようだった。

 ただしそこで行われるのは人の命を使った儀式だった。

 雨霧一には生まれつき高い魔力生成が可能だった。魔術士としての才能に一切恵まれることのなかった雨霧家はようやく引き当てた幸運を捨てることなど出来ず、一の父親は彼の才能を表向きの宮司で留めず、神道に即した魔術の教育を施した。

 ただし一が生まれるまで魔術の才に一切の巡り合わせがなかった雨霧家にとって、魔術士の繋がりは皆無であった。結果我流の魔術知識と鍛錬を行う外なく、当時の幼い一にとってすれば父の教育は苦痛でしかなかった。時には自身の生命を脅かされる危機に直面することもあったが、それでも彼はただ生きたいという一心でそれらを乗り切った。

 魔術は自分を傷付けるものだ。幼いながらに一が抱いた魔術への感情はその一つだけだった。そして不遇なことに彼には才能があった。

 神道の神秘印章は一族の先祖である初代の霊魂をその身に宿すことで継承の儀になる。神道はこの世の万物には神が宿るという八百万の神の信仰のもとにあり、それは先祖の霊魂も例外ではない。初代の霊魂を神と定義して、自身の肉体に定着させる。さらに肉体は印章以前に研鑽された自身の経験があるので代を重ねることで神秘の色は濃くなっていく寸法だ。

 ただし一よりも前には魔術の才に恵まれた雨霧の血縁は一人もいなかったので、一の父親は雨霧ではなく神道を学んだ実力のある神道術者の霊魂を集め、その全てを一に降ろすことを決めた。それは同じ魔術士なら狂ったとみなされてもおかしくないことで、何の縁もない霊魂を一族の神秘印章に組み込むなど、血縁のない養子の子に一族の遺産を全て譲る行為に等しい。この事実を知った周辺の魔術士たちは確実に失敗すると考えていた。

 だが結論だけを言うなら印章は成功した。問題はこの後だった。


「そして父の願いは叶い、私は生まれた」


 傀儡。彼の人生はまさにそれだった。そしてそんな彼の中に確固たる自分が形成されている訳もなかった。唯一あったのは魔術への強い憎しみ。苦しみと怨嗟の中で過ごした日々は、全て魔術が生み出したモノ。そんなものが自分の中に流れているだけでも吐き気がする。

 憎悪と苦痛の中で過ごしてきた彼が、何百年と続く先祖の妄執をその身に宿せばどうなるか。儀式にいた者たちは知る由もなかった。もちろんそんな彼を生み出した父親でさえも。

 彼が最期に見た父親の顔は満面の笑みだった。

 水の刃で切り飛ばした首が自身の足元に転がって来たのを見て、少年は初めて笑った。少年は腹を抱えて笑い、至った。

 ああ、ヒトは首を切り落されれば笑顔になるのか、と。

 胸に刻まれた魔導痕が赤黒く光るたびに、一は我が身が焼けるような痛みに襲われた。だがその痛みは彼に生きる意味を与える。


「あとは君たちの状態を見てくれれば分かると思う」


 身をよじれさせ、己を抱きながら、一はもがき苦しむ。


「君たちのような若い命を摘み取るのは心苦しいが、年若い女性が見せる歪みこそ私は美しいと思うんだ。最愛の父の最期の顔よりもね」


 人を殺した感触、記憶は鮮明に彼の内側に録音されており、時折深層心理から浮上する。神秘印章を終え、父親の首を切り落とした後、その場にいた儀式の参列者、候補者、全ての人間を狩り尽くした記憶も。

 ほどなくして魔術士たちで構成された組織の役員たちがやって来たが、現場は同じ魔術士でも見るに堪えない惨状であった。役員たちは雨霧一を一級魔導犯罪者として身柄を拘束し、彼は数年の時を大罪を犯した魔術士のみを収監する牢獄で暮らした。本来なら、即刑執行になってもおかしくはなかったのだが、子どもでありながら、異常なまでの戦闘能力の高さ、止まることのない殺意に目を付けた組織の上役は彼を便利に使うことを決めた。

 組織の上役は敵対勢力である教会や、組織の繁栄を阻止しようとする表舞台の要人を排除する役目を雨霧に命じた。命令に従わなければその場で抹殺される代わりに、命令を聞いているうちは組織全体で雨霧の身の安全を保障するとのことだった。


「でも人間とは、魔術士とは底なしでね」


 生粋の魔人は止まることなく人の死を生み出す。彼の行動原理は「命を刈り取る」そのためだけにあった。


「私はただひたすら焦がれるのだ。父が見せてくれたあの笑顔を超える笑みを見たい」


 魔人になり、堕ちるところまで堕ちた雨霧の価値はどこに行き、どこに落ち着くのか。身勝手極まりない殺人鬼の自分探しは、何をもって終着となるのか、この時はまだ彼自身も知らなかった。

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